第2話
『カルラちゃんは本当にいい子ね。将来は素敵な旦那さんを見つけて、絶対幸せになるに違いないわ!』
ソフィア・ルルミアは心優しい人であった。
誰に対しても笑みは絶やさず、誰に対しても情を向けることができる。その笑顔で救われた人は数知れず、初等部にいた頃は全学年から慕われるほどだったという。
そして、その笑顔の大半は妹であるカルラに向けられた。何をするにも構ってくれて、どんな時でも傍に置いてくれ、いつでも元気を与えてくれた。
加えて魔術の才能も、勉学の才能もあった。
それが分かるのはソフィアが大きく成長してからになるのだが、それでも客観的に見れば誰もがその才能に拍手を起こす。
未来の王妃———そう呼ばれていた時期もあったそうな。
そんな少女が、どうして虐げられるようなことになったのか?
それは色んな要因があったと思う。
父親が賭博に走り、なくなった財産の代わりに不法な売買に手を染めて精神が狂い始めたこと、母が自分より人気が出始めた娘に嫉妬してしまったことなどが挙げられる。
明確に「いつ?」という堺はなかったが、ソフィアは日中暴力を振るわれるようにもなったし、食事も残飯が多くなった。
使用人の皆も雇い主には逆らえないのか、止める者はいなかった。
もちろん、中にはこっそりちゃんとした食事を提供したり、病に伏せてしまった時に医者を呼んだ者もいたが、結局露見しクビになる。
そんな日々を送るうちに、笑顔が多かったソフィアに笑顔は減っていき、やがて心が侵されることになった。
でも、今は学園で出会った第一王子に見初められ、笑みが戻ってきたように思える。
それこそ、昔のように。
カルラは、そんな姉のことが―――
「そういえば、あなたには色々手伝ってもらったものね」
口元を綻ばせたカルラは思い出したかのように首を縦に振った。
「そうっすよ! なのに今更罪人面は困りますって……お嬢が洗いだして集めた証拠と密告書を匿名で王室に提出したのも、クビになった使用人が路頭に迷わないように手配したのも全部俺じゃないっすか!」
「仕方ないじゃない、私が出すわけにはいかなかったんだもの」
「仕方なくはないと思いますけどね。全部お嬢がやれば綺麗に話は纏まりましたよ」
もしカルラ自身が告発していれば?
間違いなくこうして国外に追放されることはなかっただろう。
それどころか、何か褒賞を与えられたかもしれない。国が見逃していた罪人を捉えた功労者として。
だが―――
「……膿はね、全部綺麗に取り除かないといけないの」
「はい?」
「お姉様が第二の人生を歩むにあたって……両親も、家も、立場も全ての膿は綺麗さっぱり除去しないといけない。もちろん、それは私も《・・》ね」
堂々と胸に手を当てて「膿」と呼んでみせるカルラに、アレンは苦笑いを浮かべる。
「だから学園でソフィア様を虐めていたと?」
「えぇ、そうしないと密告した時にヘイトが私に集まらないでしょう? 明確な悪があるからこそ、周囲はお姉様に同情する。それは我慢すればするほど、解放された時の勢いが大きくなるわ―――知ってる? 不満って、募らせておけば徐々に視野が狭くなるの」
視野が狭くなってしまえば、密告した相手など周囲は気にしなくなる。
それよりも悪が裁かれることに、悲劇のヒロインが救われることに意識が向くようになる。
誰が? どうやって? そんなものは些事でしかない……全て丸く収まるなら、そっちに気持ちは傾いてしまうのだ。
「学園内での立場を上げていれば、周囲はお姉様を虐げていたとしても我慢せざるを得ない。でも、心の中では思うのよ……お姉様は可哀想だって。取り巻きの皆も、私が裁かれるのを望んでいたんじゃないかしら?」
「……かもしれないっす」
「そして、自分と同じ行動をする娘に両親は関心を寄せるようになる。ガードも緩くなれば、私の言葉を全て信じてくれるようにさえなるの」
「ほぉー、だからあんなにも簡単に売買契約書とか集められたんですね。不思議に思ってたんですよ、普通は実の娘ですら見せるはずもない弱点をあっさり見せたのか」
「ふふっ、人ってそういうものよ。望むものを与えてあげれば、自然と信じてしまう……一言で言ったら「馬鹿」ってところね」
カルラは再び歩き出す。
進んだ先には、アレンの言っていた馬車が一台停まっていた。
(あら、意外といい馬車じゃない。アレンったら、本気で一緒に行こうと思っていたのね)
元専属執事の厚意と手厚さに、カルラは苦笑いを浮かべる。
もう自分は何も残っていないのに、と。どうしてそこまでしてくれるのか、ふと疑問に思った。
その時───
「お嬢」
「ん?」
「お嬢は、どうしてそこまでしたんですか?」
何を、とはいなかった。
振り返った先にいるアレンの顔は至極真面目で、聞いておきたいのだという気持ちがありありと伝わってくる。
だからからか、何を……という言葉を聞かなくても理解できた。
故に、カルラは
「そんなの、お姉様が大好き《・・・》だからに決まっているじゃない」
昔からずっと。
カルラはソフィアという姉のことが大好きだった。
学園で女生徒のトップという地位を築いてきたのも。
両親の行動を黙認してこびへつらって可愛い娘を演じていたのも。
姉が虐められているところを黙って見ていたのも。
姉が第一王子に興味を持たれるように手を回したのも。
「優しくて、才能があって、美しくて、純粋で、カリスマ性があって……私は、子供の頃からずっとお姉様の背中を見てきた。憧れもしたし、好きにもなった」
───全ては、姉のため。
お姉様が笑って第二の人生を送れるようにするため。
「お父様が賭博に走った時点で終わってたのよ、私の家は。だから私はお姉様をこの家から解放してあげることを望んだ───第一王子とくっつくように目の前で虐めてあげたこともそうだし、姉の書いた魔術論文を勝手に提出して才能を知らしめさせたことも、全部……そうね、全部優しいお姉様のため。ま、お姉様はもう気づいていると思うけど」
カルラの表情は、普段のものとは大きく違った。
不遜でも、堂々とも、上品でも、恐ろしくともない。
純粋に、年相応の───好きなものを語る時の、柔らかい優しいもの。
───そんな顔を見てしまえば、今の言葉が嘘なのだとは誰も思わないだろう。
アレンは思う。
この人は、いつから姉のために行動してきたのか、と。
二年前。自分がカルラの専属執事になってからは、すでに立場も証拠も環境も全て整っていた。
あとはソフィアが家を潰されても影響のない環境に出るまで我慢するだけ。
その環境を整えるために、いつから手を回して立ち回っていた?
恐らく十も満たない時のことだろう。
(すげぇな、カルラ・ルルミア)
アレンは自分の想像に戦慄してしまう。
だからこそ思った。
(
子供の頃から計算し、積み上げ、我慢し、望む未来まで導いた。
それがどれだけ凄いことか? 誰にこのような所業ができる?
もし、カルラの言っていることが全て正しいのであれば───この少女は、紛れもない
人に評価されることのない、隠れた才能。
(とはいえ、俺が誰だっていう部分には気がつかなかったようだし、そこまでは天才じゃないか? ……いや、姉のことで頭がいっぱいいっぱいだったんだろうな)
カルラの背中を見ながら、アレンは肩を竦めた。
(ちょっと
「本当に私と一緒に行くの、アレン?」
「え、えぇ……もちろんっす!」
「だったら早く行きましょ───お姉様が追いかけてくる前に」
あ、いいんだ。そう思いながらも、慌ててアレンは駆け寄った。
そして、染み付いた習性かのように自然とカルラを馬車に乗せるためにドアを開ける。
「っていうか、今思ったんですけど……お嬢、俺がいなかったらどうするつもりだったんですか?」
「さぁ? とりあえず隣国へ行こうとしか考えていなかったわ」
「無計画……」
「あら、そんなことないわよ? だってお姉様ほどじゃないけど───」
カルラは、不安そうにする執事に向かって誇らしげに笑った。
「私、こう見えて
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