13

「さらばだ。愚かな同胞よ」


 直撃すれば即死は避けられない拳が無悪めがけ振り下ろされると、重量級の爆弾が炸裂したかのような轟音が山中に響きわたる。


 衝撃の大きさを物語る大量の土埃が舞う地上には、たった一撃で穿うがたれた巨大なクレーターが残されていた。


 そこに無悪の姿はもちろん見当たらず、想定を遥かに越える凄まじい膂力を前に塵となって消えたかとイシイはほくそ笑んだ。


「しかし、惜しむらくはこの手でタンパク質の塊を潰す感触を感じる暇もなかったことか」


 クレータの中心部に降り立ったイシイは独り言ちると興味を失う。


「まあいい。後は研究成果を手土産に金主パトロンの元に出立しようじゃないか」


 人狼隊の報告など所詮過大評価に過ぎなかったと、興味をなくして立ち上がったイシイの表情が強張る。


 肩に妙な違和感を感じて視線を向けると、右肩から先が抉り取られるように消失していた。


 ――何が起きた?


 常人であればショック死をしてもおかしくない重傷なのだが、イシイは神化薬の副作用により針で刺された程度の痛みしか感じていない。


 自身に起きた不可解な現象に戸惑っていると、枯れた樹々の間から細胞レベルで散り散りになったはずのサカナシが平然と歩いて姿を現した。


「駄目だろ。ちゃんと標的が死んだか最後まで確認しないとよ」

「おかしいな……どうして生きているんだい? 君は身動きが取れなかったはずだ。本来逃げ出すことは不可能なはずだが……いや、万が一直撃を避けられたとしても五体満足で済むような生易しい攻撃ではなかったんだけどね。狡賢ずるがしこく解毒薬でも仕込んでいたのかい?」


 自らの発言にイシイ自身がその可能性を否定する。解毒薬があれば麻痺状態にある体を回復することは可能だが、しかしそれはごく一般の化学式を持つ既知の毒であればこその話だった。


 恩寵ギフトの能力を用いて体内で精製した毒は、いわば世界でただ一つの未知の毒。イシイでさえこの能力が無ければすぐに解毒薬を調合薬することは不可能な御業である。


 薬学にも精通していない素人が即興で作れるはずもないと疑ってかかっていると、無悪は片手に握っていたグロックの銃口を、自身のこめかみに突きつけた。


「その拳銃が君の恩寵ギフトなのかな? 勝てる見込みがないからって自殺でも試みる気かい」

「俺がどうして動いていられるのか気になって仕方ないんだろ。まあ見てろって、貴様の疑問に答えてやろうじゃねぇか」


 そう告げると躊躇う素振りも見せずに引鉄トリガーを引いて頭を撃ち抜いてみせた。ゆっくりと仰向けに倒れる姿は、単に拳銃による自殺としかイシイの目には映らない。


 ――かつて米軍の圧倒的戦力の前に為す術なく敗勢にあった日本軍は、「捕虜になり辱めを受ける前に自決せよ」と現場で孤軍奮闘する軍人に迫った。


 戦争を始めた張本人達は部下の命を平気で使い捨て、自分達だけはなんとかして死から逃れようと画策をする。そこには矜持など微塵も存在しない。


 かつての同僚がこの世をはかなみ「天皇万歳!」と叫んで目の前で自決した光景をふと思い出した。


 結局何を伝えたかったのかも判然としないままの無悪を眺めていたイシイは、直後に起こった出来事に我が目を疑うこととなる。


 生命の根幹たる頭部を破壊したはずにもかかわらず、何事もなかったかのようにむくりと上半身を起こして不敵な笑みを浮かべる無悪は、無言を貫くイシイに悠然と口を開いた。


「俺のグロックは標的を速やかに殺害することはもとより、状態異常を回復することも可能なんだよ」

「状態異常回復? 自分で自分を撃つ回復魔法とはなかなか常軌を逸してるが、君はそんな見てくれで回復師ヒーラーの真似事も出来るというのかい」

単独ソロで行動している以上、自分テメェ一人で何でもこなせないといけないからな。回復薬を持ち運ぶ労力がなくなるうえに通常の回復魔法のような無駄な詠唱をする必要もない。貴様が俺を殴殺しようとした瞬間に自分に向けて発砲し即離脱をしたんだよ。あとは余裕をこいてる隙だらけの貴様の肩を撃ち抜いただけだ」


 ――もしも回復に使用せず頭部を撃ち抜かれていたらどうなっていたか。


 想像するまでもない結果にイシイは無悪に対する評価と警戒心をぐんと上げざるを得なかった。


「なるほどね。硬い筋肉の装甲すら易々と撃ち抜く射撃術に加え、僕の特製の毒すら回復する万能魔法とは……やはり僕と手を組まないかい? 今になって君を殺すのが得策ではない気がしてきたよ」

「なんだ、随分と上から目線の発言だな。まだ俺に勝てると思ってるとしたら、科学者として見積もりが甘すぎやしないか」

「言われるまでもなく僕は科学者だ。現状では僕のほうが分が悪いと認めるのも吝かではない。だけど見くびってもらっちゃ困る。こういった事態を化学者である僕がなにも想定していないはずがないじゃないか」


 再び取り出した硝子のケースから新たに注射器を取り出すと、二本目の神化薬を余さず投与した。


 すると――先程とは比較にならないほど全身の筋肉が大きく肥大を続け、生き物のようにうねりを打ち全身の骨が粉砕する音が断末魔にように響いた。


 変化に耐えきれなくなった皮膚が引き裂かれ、大量の血飛沫を上げる。薬の副作用で耐えられる痛みを遥かに超える激痛に人間をやめつつあった化物イシイは天に向かって咆哮を轟かせた。


 一つの個体が数万年――はたまた数十万年かけて遂げる進化の法則を無視して猛烈な速度で変化を遂げた姿は、ただ目の前の敵を嬲り殺すことに特化した異形の姿。


 口に付着していた吐瀉物を拭ったイシイは、殺意に満ちた目で無悪を見据える。

 


「……はぁ……はぁ……使用回数は、一度を限度に定めていたけど……これは酷く耐え難い痛みだ……」

「それが貴様の奥の手か」

「待たせて悪かったね……ここから先は自分を被験体にして神化薬の効果を見極めるとしよう。頼むからせいぜい一分は保ってくれたまえ」




 



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