16
ウェルカムドリンクの
二杯目に注文した
それでもアルコールの誘いには抗えず、一気に飲み干したジョッキの底をテーブルに打ち付けると、かつて屋上から散っていった男の力無い表情が蘇った。
――潜入捜査はバレたら死に直結することは最大の危機を意味する。
今更死ぬこと自体に恐怖を感じたりなどしないが、だからといって何処の馬の骨ともわからぬ奴の手にかかって犬死するつもりなどさらさらない。
「あの……本当に俺のこと、無事に帰してくれるんですよね? 約束通り安全な場所に解放してくれるって約束、信じてもいいんスよね?」
「少し黙ってろ。いいから俺が指示したことに素直に従ってればいいんだよ。それともなんだ、今頃組織が血眼になって探しているはずの貴様に、俺の隣以外でより安全な場所があるとでも言うのか? あるんだったらそこで匿ってもらえばいい。ただこれだけは言っておく」
「な、なんスか……?」
「俺なら、裏切り者は地の果てまでも追い詰めて責任を取らせる。例えそこが異世界だろうがな」
無悪が座するテーブルの対面に座っていたウィルは、一刻も早く帰してくれと震える声で何度もせがんでいた。
周囲から顔を隠すように頭からすっぽりフードを被り、指名手配犯が周囲の視線に過度に怯えるように辺りの様子をしきりに気にしている。
顔面には殴打の跡が生々しく残り、真新しい傷と皮下出血で腫れ上がった瞼が先刻まで受けていた暴行の激しさを物語っていた。
無悪がウィルと出会ったのは数時間前のこと。アキツ組の下っ端連中にシメられ、発見が少しでも遅れれば命を落としていたかもしれないタイミングで偶々現場に居合わせた無悪は思いがけない出会いを果たした。
✽✽✽
ラスケイオスに到着し、めぼしい情報がないまま夜半の街道をぶらついていた無悪の耳に、複数の騒ぎ声が届いた。
最初は酔客がふざけて騒いでるだけだろうと気にも留めなかったが、続いて聞こえた悲鳴にただならぬ気配を感じた。狼に襲われ、抵抗虚しく生きたまま喰われていく哀れな羊の姿が脳裏をよぎる。
人助けをするような義侠心などハナから持ち得ていないが、暇潰しに声のする方へと歩みを進めると人気のない裏路地の
誰も無悪の存在には気づいていないようで、リーダー格の男が歩み出ると地面に突っ伏して悶えていた男のガラ空きの腹部に、遠慮なく蹴りをお見舞いする。
蹴られた男は蛙の断末魔のようなくぐもった悲鳴を上げ、無様に胃の内容物を吐いていた。
弱者にのみ強く出る人間には反吐が出るが、さらに無悪を苛立たせるのは「弱者であることに甘んじている」人間だった。
暴力にはさらなる暴力で返すしかないが、横たわっている男にそのような気概が備わっているとは到底思えず、さっさとその場を離れようと踵を返すと気になる言葉が無悪の足を止めた。
「おい、ウィル。せっかく臆病で使えねえテメェをよ、拾ってやったオレに何の相談もなく無断でアキツ組を足抜けするなんざどういった了見だよ。お前のせいでな、一応は世話役を任されてる俺の命まで危なかったんだぞ。そこんところわかってんのかよ、オイッ!」
「ひゃっへ……
「んなもん上に殺れと言われたら殺るのが鉄の掟だろうが!」
「でもいいのかよ。ウィルは確かに何やらせても使えねぇ鈍間だけどよ、あの噂をお前も知らないわけじゃねぇだろ」
「ああ? お前もあんな与太話信じてんのか。勘弁してくれよ」
「信じてるわけじゃねぇけどよ……ウィルが実は頭領の息子だって話が本当なら」
「あり得ねぇだろ。俺ら下っ端は頭領の姿を見たことすらねぇから邪推しがちだけどよ、頭領はそもそも未婚だぞ。愛人に産ませたガキが一人や二人いてもおかしくはねぇが、だとしたらこんな見習いからじゃなくて最初から出世コースに進ませると思わねぇか?」
――アキツ組トップのガキ? そんな奴がいるなんて話は
後継者となりうる実子の存在は、連中が話していた通り皆無のはずだった。それどころか未だ顔さえ掴めていない
実は
「残念だったな、ウィル。お前はここで無様に死にやがれ」
放っておけば間もなく殺される運命の男を見放すか――それとも救うべきか――答えを導き出すのに時間を要することはなかった。
俺に利益を授けるものは、悪魔であっても手を差し伸べる。
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