4
「サカナシ殿はおられるかッ!」
扉を荒々しく押しのけて店内に踏み込んできたのは、無悪が肥溜めに等しい牢屋に拘留される要因を作り出した衛兵の一人だった。
額には大玉の汗を浮かべていたが、大量の汗をかくほどの気温ではないことは確か。緊張性の発汗なのだろう。
後から続々と仲間と思しき連中も続々と姿を現した。
「なんなんだ騒がしい。おっと、貴様の顔はよく覚えているぞ。俺が直々に御礼参りに伺いたいと切望していた人物だからな。よくもまぁ無実の人間を冤罪に仕立て上げてくれやがって。今更のこのこ顔を出して何の用だ」
「貴様……エドガー様への不遜な態度は許さぬぞ! その傲慢極まる態度を改めぬか!」
――俺を嵌めたのはエドガーというのか。覚えておこう。
「有象無象が俺に話しかけるな。二度と満足に口を開けなくしてやろうか」
その名を頭にしっかり刻み込み、ふてぶてしくテーブルの上に足を投げ出す。女主人は我関せずといった様子でテーブルの上の空いた皿を一人片付けていた。
あちらは全員が全員飼いならされた愛玩動物よろしく、直立不動の姿で無悪に敵意剥き出しの視線を向けていた。無悪は無悪で挑発的な態度を崩さず、鬱陶しい視線を軽くいなす。
いつ寝首を掻かれるかわからない鬼道会の中において、昇り龍が如く裏社会を伸し上がった無悪に不満を抱いて楯突く輩は数多く存在した。
正攻法では潰せないと悟った負け犬の裏工作――出世頭の足を引っ張ろうとして逆に蹴落とされる同期――弱者はいつだってそうだ。
自分の無力さを直視することが出来ないからこそ強者にお門違いな妬み嫉みを抱く。ヘドロより粘着質な手法で、自らの立ち位置まで引きずり込んでやろうと無駄な努力とも知らず、常に手ぐすねを引いて待っている。
その様子を遥か高みから眺めては常々滑稽だと一笑に付していた。
エドガーとやらは、集団から一歩前に足を踏み出すと苦々しい顔つきで帯剣していた刀の柄に手を伸ばした。その表情にはわかりやすく葛藤が浮かんでいるのを見逃さない。
「おいおい、今度は実力行使か。まあ、俺としてはそのほうがわかりやすくて助かるがな」
「くっ、ふざけた態度をとりおって……まあいい。実はさる御方から貴殿に
暗に出ていけと
「この俺が断ると言ったらどうする。なんでもかんでも自分の思い通りにことが運ぶと思うなよ」
一息ついたところでの
その様子に気付いたガランドが向けてきた視線は――荒事は控えろ――と訴えているようだった。
同じ相手に二度も舐められることなど、考えるだけで殺意が沸いてくる。
それは即ちヤクザとして死ぬことと同義であり、万が一にでも再びあらぬ嫌疑をかけられようものなら、忠告を無視してでもガラ空きの頸動脈を掻き切ってやろうと虎視眈々と機会を伺っていたのだが――エドガーはしばらく立ち尽くしたのち、柄から手を離すと突然片膝をついて頭を下げてきた。
「……なんの真似だ」
「私の先走った判断でサカナシ殿に迷惑をかけてしまったこと、ここに深く謝罪致す」
エドガーのあとに続き、渋々といった様子で取り巻きどもも膝をつき頭を垂れる。
「無様な手のひら返しだな。謝罪など求めてないのだが、そうだな……小指の一本でも詰めてみろ。詰めろって意味がわかるか?」
テーブルに乗せた手の平、小指に匕首をを突き立てる動作を見せると、顔を上げたエドガーの表情から血の気が失せた。
「サカナシさん……お怒りなのはごもっともですけど、何もそこまで求めるのは酷ではないでしょうか。こうして頭を下げて謝罪されてるだけでも異例中の異例ですよ」
「アイリス。いいか、よく聞け。生きてる限り舐めれたら終わりなんだよ。これでも頭を下げた分だけ割り引いてやってんだ」
「サカナシ、時には忍耐も大事だぞ」
二人同時に嗜められるも、落とし前は決して譲ることはできない。自分が貶められたなら尚更だ。
「お前らは黙ってろ。さあ、エドガー。これは貴様が自分で撒いた種だ。その目を摘むのは誰の仕事がわかるよな。自分で詰める度胸がねえんだったら代わりに俺が直接詰めてやるから安心しろ」
緊張で体が硬直し、身動きが取れなかったエドガーの手首を掴むとテーブルに思い切り押し付けた。
「や、やめてくれッ! 私はこれでも将来を嘱望されているエリートなんだぞ」
「オラ、舌を噛むから喋んじゃねぇ。歯を食いしばってろよ。3、2、1――」
所詮威勢がよかったのは最初だけで、カウントダウンがゼロになる頃には「嫌だ嫌だ」と喚きだした男の第一関節に押し当てた刃が、ストンと小指を根本から切り離した。
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