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 無悪はグロックを握りしめながら、住民が今にも押し入ろうとする扉のドアノブに手を掛け外に踊り出るタイミングを見計らっていた。


 アイリスという存在がいかに連中にとって厄介な存在なのか――ドアノブに触れていた指先から直に焦燥感が伝わってくるようだった。


 搾取されるだけの弱者が一致団結し、一刻も早くアイリスの身柄を確保して山賊どもに突き返さそうとしている。

 あの山道で見ず知らずの二人組を殺害してからおよそ数時間が経つが、この世界の文明が劣っているとはいえ流石にアイリスを連れ戻さないことに、山賊どもも異変の一つくらいは察知してることは間違いないだろう。


 ――もしも自分が頭の立場なら、このエペ村の住民がアイリスを匿ってやしないか確認をさせに部下を直接村まで走らせる。


 カーテンの隙間から外の様子を監視していたアイリスは、首を振りながら強張った声で現状を伝えた。


「駄目です。続々と村人が集まって来てます。ネズミ一匹逃げる隙間もなさそうですよ」

「気にするな。奴ら有象無象がどれだけ集まろうが俺の敵にはなりえない。それよりお前らはいつでも脱出する準備をしておけ」


 少ない荷物を掻き集め、ズタ袋を背負うアイリスには足の不自由なガランドの面倒を見るよう言いつけてある。王都までは面倒を見るとはいえ、ジジイの介護をするつもりは一切なかった。


「よし、行くぞ」


 扉を勢いよく蹴り飛ばして外に飛び出すと、松明の火に照らされて浮かび上がるのは面食らった住人どもの顔、顔、顔。


 一様に血走った目から、極度の緊張感が見て取れる。超越草の使用による副作用なのかもしれないが、貧弱な武器を持つ手はどいつもこいつも一様に震えていた。


 ――どいつもこいつも、廃人の一歩手前といったところか。


 近くにいた名も知らぬ若者の足元すれすれの地面に威嚇射撃を放つと、突然鳴り響いた発砲音と見たこともない拳銃の威力に怯んだ集団の統制が一気に崩れた。


 何が起こったのかもわからない様子の若者は腰を抜かせ、粗末なズボンにシミを描いている。


 恐怖心を煽ってやろうと、たまたま視線があった老人の額に照準を合わせるもアイリスと交わした約束を思い出し銃口を下げる。


「村人を無闇に殺さないでくださいね」


 背後から念を推すように釘を差され、舌打ちをしながら住民を牽制しつつ歩みを進めたが、制約が付きまとうのは鬱陶しいことこの上ない。


 誰も殺さないというのは、なんともつまらない話だ。



       ✽✽✽



 自らヒットマンとして名乗りを上げたのは、無悪が自らの組を立ち上げる以前の事。


 当時歌舞伎町で幅を利かせ始めていた福建や上海といったチャイニーズマフィアの連中は、それまで絶妙なバランスの上に成り立っていた歌舞伎町独自のルールを顧みることなく、ヤクザとは一線を画して警察の目も気にせず好き勝手に暴れていた。


 鬼道会がケツモチをしていた飲食店や風俗店に乗り込んでは滅茶苦茶に暴れまわり、堅気の人間相手にも平気で刃傷沙汰を起こす。


 その結果店舗を守ることもできないヤクザに高額なみかじめ料を収める必要があるのかと疑問視した店舗は、続々と鬼道会から離れていった。


 当時の幹部連中は「中国の不良共とは関わるな」と全ての組員に通達をしていた。

 舐められることを何より忌み嫌うヤクザが、なにイモ引いてんだビビってんだと憤慨していた若き無悪は、大鰐会長と膝を突き合わせてチャイニーズマフィアに報復措置をとることを直訴した。


「駄目だ。庭を好き勝手に荒されて面子メンツを潰されとる件については、いずれきちんとした形で中国の不良共に責任を取らせる。だが、今すぐ安直な行動に移すには大義名分がない。派手に動けばイタズラに警察の監視の目が厳しくさせるどころか、下手をすれば痛くない腹の内まで探られかねん。失う物がない連中と、大所帯をまとめる鬼道会のどちらが被害を被るか……さすがにお前でもわかるだろう」

「お言葉ですが、舐められたらヤクザはおしまいだと教えてくれたのはオヤジじゃないですか。そんなことを仰らずに、どうかこの俺に全て一任してください」


 大鰐会長が自分の提案を断ることは想定していた。

 組織を束ねるトップが、下手をすれば死人が出るチャイニーズマフィアとの抗争に繋がりかねない案件に素直に首を縦に振るはずがない。


 だからこそ大鰐源蔵に首を縦に頷かせる条件を事前に用意していた。


 無悪は腕に巻いていたロレックスに目を落とし、じきに届く着信を今か今かと待ち構えていると待ちかねた着信音が鳴り響く。

 

「すみません」


 一言断りを入れて平静を装って電話に出る。

 相手は付き人の伊澤。予め電話を寄越す手筈となっていた。


「なんだって、東金とうがねが刺されただとッ! 様態はッ! 無事なのかった!」

「いったいどうしたんだ」

 

 僅かに眉尻を上げて訊いてくる会長をあえて無視し、電話口で普段誰にも見せない切迫した態度を見せると額に青筋を浮かべ電話を切った。


「ウチに東金という男がいるんですが、どうやら福建の連中とケツモチを任せている店舗で鉢合わせしたらしく、言い争ってるうちにトラブルに発展し刺されたようです。その後運ばれた先の病院で息を引き取ったと……」


 手短に何が起きたのか伝えると、さしものカリスマも表情を険しくさせ重い口を開いた。


「……とうとう死人が出ちまったか。そのような真似をされちゃあ、さすがに黙って指を咥えてるわけにはいかねぇな。断った手前頼みにくいが、中国から忍び込んできた外来生物の駆除をお前に任せても構わないか」

「任せてください。この手で必ずや根絶やしにしてみせます」


 それから数日後――福建マフィアの幹部が定期的に集う中華料理店に無悪の姿はあった。


 マフィアの連中とともに企てていた襲撃計画を実行に移すためである。

 店内に駆け込んできた手練の暗殺者に血相を変えながら、福建語で怒鳴り散らしていた男六人は次の瞬間に血と臓物の海に沈むこととなった。そのなかにはリーダー格の男も含まれ、顎から上は原型をなくし仰向けに倒れている。


 上海の連中は狂ったように雄叫びを上げ、死体をこれでもかと足蹴にしていた光景が印象的だった。


 福建は全員死亡。こちらは上海のガキが数名死んだくらいの損害で、秘密裏に進めていた計画は無事に成功を収めたと言っていい。


 当たり前だが事件の目撃者はいない。店内にいたものは従業員だろうが堅気だろうが、証拠を外に持ち出す可能性は全て排除するつもりだった。その場にいたものはハナから生きて帰すつもりはなく、足元で物言わぬむくろと成り果てていた堅気の連中を一瞥しながら、「運が悪かったな」と漏らし中華料理店をあとにした。


 じきに訪れる警察の目には、この惨状が一目で中国人同士の争いだと映ることは間違いない。


 ただでさえチャイニーズマフィアが引き起こす事件の捜査には消極的な日本の警察が、裏で糸を引いていた無悪の描いた絵に気付くことは万に一つも考えられない。


 そもそも東金という男が福建の連中に殺されたという話からして、全てがブラフである。

 東金と言う男が刺されたのは事実だが、相手は福建でも、ましてや上海マフィアでもない。多重債務で首が回らない客を福建マフィアに仕立て上げて刺しただけにすぎない。


 今頃無悪にとって糞の役にも立たない人間ゴミクズは、伊澤の手によってにしている清掃業者のもとへと連れて行かれこの世から全ての痕跡を消して消え去ってるころだろう。 


 どうでもいい男の命一つで、争いの火種きっかけを手に入れられたのは僥倖ぎょうこうといっていい。


 福建マフィアが牛耳っていた密入国ルートを上海マフィアが奪取し、無悪は組員の敵討ちを成功させ、さらに鬼道会に対して功績を積む――自らが裏社会で伸し上がるためには手段を選ばず、その後功績を讃えられ無悪は組の立ち上げを認められることとなる。

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