伴竜精霊

「私、卵から生まれたんだって。単為生殖、お父さんなんて最初からいなくて、私はずっと古い私のクローンなんだって。トカゲみたいだよね。だから私も、私のお母さんも、そのお母さんも、遡れなくなるくらいずっと昔から、同じ名前」

 かぼそい指先が夜の海のような色をした組織をなぞる。恨めしそうに。うつむいた顔に黒髪がはらりと落ちる。

「竜を殺して食べちゃったんだって。そのときに、姫宮紗那は永遠の命を手に入れた」

 魔女わたしにとっては復讐の対象。だからわたしは彼女を嫌い、彼女はわたしを恐れた。なんとなく好きになれない? その程度で収まるものか。魔法が力を持ち始めるのを感じた。言う通りにすればきっと、ここでわたしは紗那の首を刎ねてその死体を炎に巻く。抵抗する理由を探さないといけないような、そうでもないような。ふわふわとした感覚に漂いながら会話を続ける。

「クエレブレと、シャナ?」

 竜の伴侶として精霊に転じた少女の伝承。そのかたちをなぞるために名を変えたのだ。竜の肉を喰らったときに。その儀式によって、人間ではないなにかへと変化した。どこかこの国の音とは違う響きの名前はきっと、その時に彼女が選んだものか、誰かに与えられたものだろう。

「わかる人、初めて見たかも。中学生の読書体験? それとも……」

 答えは、直接聴きたいのだろう。その意思に従う。

「うちの血筋も似たようなもので、ご先祖の記憶とか、考えとかをなぞっているときがあるの。わたし、先祖の声を聴ける九番目だから、九楼。で、ご先祖さまが今なんて言っているかというと……今すぐ紗那を殺せ。だってさ」

「じゃあ、殺してくれる?」

 試すように。

「いま考えてる。紗那は、わたしに殺されたいの?」

「データって、適当なコピペを繰り返すとだんだん劣化していくんだけど、それと似てるかな? 記憶とか意識とかの引き継ぎは止まっているか、そもそもしてないかだけど、ああ多分私はこういうことしないんだろうなって、そう思いながら行動することが多いの」

 海色の鱗、3センチ程度の小さくて、大きな呪い。周囲にはそれを剥がそうと爪、あるいは刃物を立てた痕がある。

「飼ってると縁起のいい動物……白い蛇とか、それこそ鴉。ああいう扱いなんだ、家だと……まぁ、あそこに家族なんていないんだけど。ともかく、永遠に生き続ける私は、ようやくそんな境遇にも飽きちゃった……みたいな?」

「ねぇ、紗那。ほんとはさ、わたしに助けてほしかったんでしょ? それに……突然そんな話を切り出すのって、なんだか命乞いみたいだし」

「そうかも。でも、わかんないや。どっちでもいいから、九楼に選んでほしい。それに九楼のご先祖さまは、助けようだなんて思ってはいないみたいだけど」

 正解だ。だけど、近ごろのわたしはちょっと違う。夜中にじぶんを省みて少し恥ずかしくなる程度には、ほとんど全方位に反抗期。

「最近さ、ちょっと失敗して、それで考え直したんだよね。気持ちいいことばっかりやってるとバカになっちゃうっていうか。だから、ちょっとだけ時間をくれない? わたしも考えておくから、紗那も、自分がどうしたいのか用意しておいて」

 日常から外れたものと相対して、そこでようやく自分について考え始める。わたしにとってはあの樹海が、紗那にとっては、魔女。姫宮紗那という蓄積からは取り出せない結果を求めてこの子はわたしの部屋にやって来た。恐らくは、それが本当に欲しいものかもわからないまま。

 深い海のような瞳は少しのあいだ怪訝そうに揺れたあと、許すような色を持った。傷痕をなぞる指先の震えは止まっていた。

「なんだか夏休みの約束みたい。時間と場所、あとで指定してもいい? スマホの通知は切らないでね? 私、しばらく学校これないから」

「あんまりうるさいからもう切ってるよ。でもわかった。通知、オンにしておきます」

 先延ばしにすることしか選べなかったと言われれば、その通り。だれど今は時間が欲しかった。紗那は裏口から帰すことにする。たぶんわたし達の顔を統さんが見たら、何事かを察してしまう。内緒という約束をしたのだから、それは守らないといけないことだった。普通のお友達みたいな見送りを済ませて上がってきた部屋はもう暗くなっていて、わたしは紗那が一度しか口をつけなかったコーヒーを、氷の全て溶けてしまったそれを出来るだけ大きな音を立てて飲み干すことにした。運命を差し出した相手をその魂に至るまで辱める魔法について……頭に響いた7コマ目の授業が聞くに耐えないものだったから。

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