書痴的蒐集

 統さんほどの時間をかけずに階下に戻ってくると、二人はレジに移動していた。商品の受け渡しの最中らしい。数奇者から数奇者への譲渡、代金を介さないやり取りとはいえ、初めて目にした商品を手にお店のレジに向かう後ろ姿が、まさか紗那の黒髪になるとは思いもよらなかった。にこやかに談笑まで交わしている。統さんのそれはお店に遊びに来る常連さんに対するものになっているし、きっと紗那だってそうだ、わたしに話しかけるときの暖かな声色。階段を昇り降りするまでの時間でずいぶんと打ち解けたらしかった。特殊な共通の話題がなせるものだとしたら、少し複雑な気分だ。

「あ、九楼、ごめんなさい。私、話し込んでしまって……でも見て? 立派な額まで用意していただきました。持って帰って机に飾るのが楽しみです」

 ちゃんとしてない大人の階段に足をかけたらしいクラスメイトが、自慢げに当店の元商品を見せびらかしてくる。わたしに似ていると言ったイラストを、大事そうに両手に収めている。できる限り叔父さんとの接触は避けたかったけれど、まさかこういった化学反応が起きてしまうとは思いもよらなかった。

「ハイハイ。これで用事は済んだってことね。気をつけてお帰りください」

「だめだめ、そんなに拗ねないで? 九楼のお部屋を見せて貰わないと帰れない」

「じゃあ、ちょっとだけね。コーヒー飲んだら帰るってことで」

 紗那の生返事を背に再び階段へ向かう。カラスでも爪でもなく、苦労だと思う。わたしの名前についた意味。そうでなければ一日になんどもエアコンの効いていない階段を往復するものか。低学年あたりまではそういうからかい方をされていたなと思い出して、ささくれじみたものが胸に刺さったままなのだと気づく。どうしてわたしの名前は九楼なのですかと、そう問う相手をわたしは持たない。ほんとのところはただの製造番号なわけだし。それも、換えがきくような。母さんもそうだったというのが、唯一の救いなのかもしれなかった。

「はい。到着。人が来るとか考えたことなかったから、がっかりするよね」

「私が見る前から決めつけないの。そこ、直したほうがいいかもです」

 ドアとの間に渡した橋をくぐるようにして、紗那がわたしの部屋に侵入を試みる。もしかしてこっちが素の状態なのかな。学校で見るような古式ゆかしい巫女さんとか、厳しく躾けられたお嬢様とか、そんな鋳型に押し込められたような印象はあまり感じさせない。むしろお転婆さが際立っているというか。いろいろ溜め込んでいるものがあるのかもしれなかった。

「わー洋風だ。シュッとしてるね。かっこいい」

「そうかな。そうかも。だいたい統さんのセンスだよ」

 17帖くらいのワンルームを前に、玄関で立ち尽くす紗那。どんな感想を持っただろう。頭ごと振るようにして部屋の隅々を検めているらしい。きっと10秒もかからない。白く塗装された鉄骨をあらわにした天井と、さっき踏みしめてきた階段と同じ木目、同じ白色のフローリング。持て余すほど大きな引き出し収納付きのベッドと、その端に並べられた、父さんからの贈り物。実家から持ち込んだ勉強机、それでおしまい。紗那の検分はすぐに終わって、そして彼女は伸びを一つ。

「九楼のにおいがするね」

「気持ちわるいこと言わないでよ。靴はここで脱いで。ほら、喉乾いてるでしょ? コーヒー、もう水っぽくなってるかもだけど」

「それは私のせいだね。お時間取らせました」

 二度目のおじゃましますを聞き流して、靴を脱いだ来客を一脚だけの椅子に案内する。私もそっちがいいという声は無視してベッドに腰を下ろす。グラスを両手に抱えた紗那に問う。

「気は済んだ?」

「むしろ、ここからが本番? ね、テレビとかパソコンとか、そういうのは置いてないの?」

「統さんの部屋にならあるよ」

「九楼はいらないんだ? テレビ見たくなったら下に行くの?」

「見たくなったことがないかな。ほら、これは買ってもらってあるし」

 メーカー保証外の変な機能付きだけど……。

「なるほど、じゃあWi-Fiのパスワード教えて?」

「……えうれかせぶん、全部小文字で、せぶんは数字のナナ。お店のやつだから、あんまり電波良くないけどね」

「ありがとう。ね、クマ、好きなの? いっぱいいるけど」

「好きといえば、好き。これは全部父さんが誕生日に贈ってくれたやつだから、自分で買ったりはしたことないけど」

 届きはじめたのは5歳から、以降律儀に毎年誕生日が来るたびに、遅れることなく渡される。特にメッセージの類が入っていることもないので、その影に父さんの姿を見ることはなくて、わたしにとっては誕生日といえば毎年無言のテディベアが届く日という認識だ。

「誕生日はいつ? お父さんのことは好き?」

「12月19日……どうかな、わかんないや。会ったことないから」

「そうなんだ。今度その子たちのお耳に書いてある名前で検索してみてね。ちょっとだけ好きになれるかも」

「……わかった。というか、これいつまで続けるつもり?」

「飽きちゃった? じゃあクマさんについて調べながらでいいから、もうちょっとだけ」

「ん、わかりました」

「普段ここでは何をして過ごしてるの?」

「課題と……家事かな。居候なので」

「大変だね。料理もしてる? この部屋、ベランダないけど、洗濯ってどうしてるの?」

「料理はだいたい週4くらいかな。平日は夕ご飯だけ。土日は昼も作るよ。お財布渡されてて、帰りに駅で食材買ってくるの。放課後に申告して作るって感じ。一回失敗しちゃって、それからは統さんが食べるときじゃないと新しいメニューは試せなくなったけどね。あと、洗濯は下の階に大きな洗濯機があって、それが乾燥までやってくれるから手間じゃないかな」

「もしかして、この部屋から統さんを追い出したりした?」

「わたしが来たときにはもう勝手に出て行ってた。あの人今はソファベッドで寝てる。いや、申し訳ないと思ってます。部屋変えをお願いしたんだけどね。煙草吸うからキッチンがあった方がいいって。病気だよね……ねぇ、この話、おもしろい?」

「とっても興味深いです。ね、統さんのこと、好きなの?」

 学校で交わす会話とさほど違いはない。紗那が質問をして、わたしがそれに答える。基本的には一方通行で、二人の間に横たわった沈黙を埋めるためだけの、何日か前と同じ質問がされることもあるけど、指摘したことはない。沈黙よりはよほどいい。

「え、嘘。テディベアってこんなに高いの? うわ……」

 だいたい1万円から3万円のものがベッドにずらりと並んでいることに恐怖を感じた。彼らにふさわしい椅子を買ってあげなくてはいけないような気がする。最古の一体などは耳についてあるタグを可愛そうだからとちぎってしまっている。悪いことをした。

「統さんのこと、好き?」

「いや、ぜんぜん。変な人だと思う。臭いし空気読めないし、特に自分のほうが賢くて物知りだって前提に立ってあれこれお説教されるのは、嫌い」

「きらいっていうの、初めて聞いたな。なんだか親子みたいだね」

「……まぁ、母さんの兄らしいから、そういう感じになるのかも。携帯買ってくれたりとか、学費払ってくれたりとか、実は統さんが負担してくれてる。実家が育児放棄に近い放任主義だから、そのあたりは感謝してるかな」

「ほんとうの親子みたい。嫌いって言えるくらいには仲良しだし、知っているってことね」

 本当の親子、あんまり楽しい空想でもないので、黙秘。

「じゃあ、九楼、私のことは? 私のこと、どう思う?」

「うん。実は第一印象から少し苦手だったけど、理由がわかんないから言わなかった」

 この間の桜の森について、統さんに見せた画像データを手に入れたのは紗那を経由したからだ。彼女はいつものようなお昼休みに、なんでもないことのようにスマートフォンを取り出して、何が見えるかをわたしに問うた。魔に纏わるものとしての正解を用意した上で。

「でも今は友達になれるような気がしてて、だから、こんどはわたしから質問をしてもいい?」

 ある種の共通認識が形成されたのはあの辺りからだ。姫宮さん家は竜を殺したなどと名指しで我が家に伝わるくらいなので、きっと昔はバチバチしてたのだろう。おそらく先方の記録にもあることないこと我が一族について語られているはずだ。あの姫宮さんで間違い無いよね。あの鹿野さんでいいんだよね。と、言葉にこそしないものの、そんな前提を共有したのが、例の一件だった。

「あ、じゃあ私と同じ。嬉しいな。ね、なんでも質問してよ」

 私と同じ……か、そうだと思った。紗那がわたしに興味を持ってあれこれと質問するのはたぶん防衛本能だ。入学式のあの日、わたしが紗那に送った視線にはご先祖譲りの殺意が含まれていたのだから。

「質問……わたしのこと怖がっているのって、その包帯が関係してる?」

「そうだよ。中身見せてあげるけど、言い触らさないでね?」

 左手首に巻かれた包帯がするすると解かれていく。毎日巻いているからだろう、手慣れた動作だった。顕になった脈を、一枚の鱗が覆っている。

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