聖血の継承
「講義って、いまさら遅いですよ。たった今人生あきらめたところです。死にそうなので」
『あきらめたような声には聞こえないな』
なんでこの人、こんなに嬉しそうな声をしてるんだろう。腹立たしいけどその通り。今、わたしから抜けていく力の尾を掴んで元に戻している最中だ。図星をつかれたときにでる声にならない音が、彼への返事の代わりになった。心底嬉しそうな笑い声がスピーカーを通してわたしに届く。受けたわたしの不機嫌は電話越しに伝わって、それでなんとか真面目に講義とやらをはじめる気になったらしかった。
『……まずは質問からだ。九楼、森の本体はどんな形をしていた?』
「え……っと、桜の樹から裸の女が生えてます」
『なるほど裸の女……そこ、中央公園だろう? アルラウネだな。刑死者が咲かせる花』
模範解答らしい。ここはわたしと同意見。
『で、キミはソイツ相手に魔法を使おうとして見事にフィズったわけだ』
「ふぃず……なんですか?」
前後の文脈からわたしの失敗を笑おうとしてることは想像できる。なんでこんなにテンション高いのかはいまいちよくわかんないけど。
『ものの例えだな。対象不適正で立ち消えたってこと。九楼、カタチを燃やそうとしたろ?』
カタチ? 燃やすべきものを間違えた?
「あの……それってどういう」
『よし、考えてみようか。ヒントはそうだな、魔女が本当に殺したいもの』
「答えをくれませんか? わたし、殺されそうなんですけど」
わたし自身に殺されるという未来は一旦保留になったらしいけれど、それで安全というわけじゃない。なぜならわたしは依然として地面に転がっていて、この首をめがけて森の刃が振り下ろされるのを待つ身だからで……再認識した瞬間、脊髄が氷の柱と交換されたような感覚に陥る。途端に息が苦しくなる。抑えようとする意思に反して喉から空気が漏れていく。
『落ち着いて、大丈夫だ。そいつは魔女を殺さない。死して断片に引き裂かれようとも……だって、竜は魔女の友人だったんだろう?』
口調こそ少し緊迫したようにはなったけれど、それだけでこの言葉に全幅の信頼がおけるかと問われれば否だ。でも、竦む身体を無理やり起こすことならできる。恐怖から逃れるための余裕にはなった。講義とやらが続く。今度はいつもと変わらない調子で。
『いかに竜の死体といっても、いや、竜の死体だからこそ、この現代にカタチを結ぶのは難しいんだ。切り分けられた断片であっても例外じゃない。だからそれらは時に古きもののカタチを、姿を装う。どこか近いところのある生きた伝説や信仰を借りてね。古き姿と現在の伝説、その共通点が魔法の適正な対象を導くことになるんだけど……』
統さんは今までずっと暖めていたであろう、これを言いたかったんだろうなというセリフまで言い終えようとする。でも、もう大丈夫。全部聞く前に答えに行き着いた。手に付着した土を落としてから、誰の許しもなくポケットでスピーカーを震わせていたスマホの電源を落とす。ここからはわたしの言葉で、この嘘つきに、竜骸の
「森、ですって? 嘘ばっかり。だってここには命がない」
そう、ここには命がない。森がその豊かさで育むべき生命が、虫の一匹だって存在しない。例え屍血を啜る魔物だとしても、緑の家族として生まれてきた以上は命を紡ぐものだ。壊すだけの森なんて、そんな在り方は歪に過ぎる。これの本質は草木などではなく、草木が啜ったとされるモノ。
「あなたはただの血でしかない。たとえ草木に憑りついたって、あなたが寂しい竜の残骸なことは変えられない」
アルラウネ、刑死者の血を啜って芽吹く花だという。そのカタチを借りて、処刑場に咲いた桜の伝説に仮託して、森を装い都市に佇立した憐れな竜骸幻想。大地を侵す竜の血液。その目的が、木々を操り版図を広げるその理由が、わたしを、魔女を探しているからだとしたら。
「死んでるモノは殺せない。だから、ここよりもっと良い場所に連れてってあげる」
死体に向かって殺せと叫ぶ滑稽なわたしと、何でもお見通しだって顔をしたあの人が、一番驚く方法でどうにかしてやることに決めた。衝動的な行動だったかもしれない。でも、可哀想だと思ってしまったのだ。きっと気が遠くなるほど長い時間が過ぎただろうに、それでもここまで精緻にわたしを、いいえ、最初のわたしを覚えていたこの竜骸のことを。
山刀を強引に自分に向ける。右の手の平を運命線に沿って薄く裂き、傷口を作ると俄かに血が滲みだす。さっきよりもずっと鋭くて熱い痛みが、手のひらから頭に向かって疾走する。でも、痛いのはこの選択の必要経費。
「おいで」
女人像の頬に傷口で触れる。やっぱりそうだ。近く、ランタンで照らしてわかったことだけど、この像はわたしとよく似ている。肉付きは多少貧相かもしれないし、髪もここまで長くない。それでも怒っているときは拗ねているように、ちょっといいことがあれば心の底から幸せそうに、そう紗那に指摘された顔。いつも誰にだって年下だと思われてきた、子供っぽいつくりの顔。わたしの嫌いなわたしのかたち。鏡を見ているようで……だとしたらこれはわたしのご先祖さまに違いない。そして、その頬を伝って流れる朱い雫はきっと、竜が彼女に遺した感情なのだろう。傷口で掬い上げるようにして、それを身体に受け入れる。
「少なくとも、これで寂しくはないでしょう?」
憎悪にも似た未練を叫ぶ血と、寂しさを溶かした竜の血と、その両方に向けたわたしの、わたしだけの、鹿野九楼の言葉だ。
これは、人を殺している。
鼻先を夢の香りが掠めていく。だったらこれが、わたしの正解。
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