枝の贖い
景気づけにと小枝を踏み折った。多分それがまずかったのだと思う。風が切れる音がした。太く鋭い枝の数々が鞭のようにしなり、狼藉者を打ち据えるべく前後左右、上下を問わず迫ってくる。既に開いた結界が、圏内に到達したそれらに対して自動的に反応する。音を聴くのとほぼ同時だった。まずは炎、次いで切断。
未開地を切り開く炎と刀……緑が嫌う魔法を持っているとはいえ魔女一人、巨森の物量でもって擂り潰しに来られたら苦しいかもと怯えていたけれど、どうやら現状、わたしを脅威とは認識していないらしい。そもそもこの樹海にそういう機能があるのかというとこから疑ってみようか。いかに魔的とはいえ、木々の集合体に悪巧みをするような知性、あるいは統合された意識というものが存在するだろうか。もしかすると、もっと分業が進んだ機械的な連帯なのかも。ただの人間なら、ただそれだけで死ぬのだから。さっきの小枝はおそらくトラップで、あれを踏むと付近の枝が起動する。そんな単純な仕掛けが幾つも張り巡らされているだけなら、話はずっと簡単だけど。
まぁ、そう虫のいい話があるわけないか。ランタンが照らせない森の奥、闇からこちらを射かける木々がある。濃く、強い何者かの意思を感じ取る。恐らくはこれが殺意。まったく希釈されていない緑の香りと共に、退路を塞ぐように根が隆起する。やがて都市を飲み込む予定の物量がわたし一人に対して浴びせられる。失敗した。ランタンも山刀も、切って拓く者の味方だ。立ち止まっての行使や、帰るために力を借りようとした途端、絞られた出力がさらに乏しくなる。退路と、そう認識しちゃったせいでもう、後ろの根を焼き払うだけの火力は望めない。
風を切る音、当たったら痛いじゃ済まないだろうなという音、恐れるならば、前に進むのが正解だ。わかっていても踏み出す一歩が思い。それでも、進む。少なくともローファーでくるような場所じゃないよね? という声を押し殺して、こけたら即死だろうなという予測だけは噛み締めて。
踏み折った枝の報いとばかりに飛んできたのはただの反応で、今わたしに殺到する圧力が、攻撃、波と表現してもいいそれは、初手に飛んできたものとは質も量も桁違いだ。紗那がここにいればたぶん、システムが切り替わったとか、顔に似合わない表現をするに違いない。前者を第一波、後者を第二波と置くなら、わたしが第一波を全部撃ち落としてから第二波に移行するまでには間があった。本当に切り替わったのだろう。敵に見つかったというわけだ。今、この異界には意思がある。侵入者の進路を妨害し、仕留めるために蠢動する意思と、その統率者たる個体の存在を感じ取る。根で囲い、蔦を這わせて歩みを止めて、最後に枝で射貫く。そいつの思惑としてはこんなところだろう。今日一日で桜のことを嫌いになりそうだった。
歩みを止めないことが前提だけど、開拓者の魔法は大木そのものを投げつけられでもしない限りは機能するはずで、それはある程度思考を盤上から外すことのできる猶予を生む。生まれた時間で相手の嫌がることを探して、そこから突き崩そうと意識を向ける。打開策は……。
根の壁を配置する方角に偏りがある。この異界が森という形態をとることに意味を見出すとしたら、それは言葉をずらして何らかの守りであるという可能性。相手はその仮説を支持する行動をとったことになる。気が付かなかった今までの時間、きっとわたしはこの森の外周をぐるぐると回るように誘導されていたに違いない。ともかく、ようやく本当に進むべき道がわかった。壁の先にはきっと、この異界が大事に守る弱点がある。だったらそれは、わたしを観測し、脅威と判定し、排除を試みるこの世界の主、竜骸に他ならない。抵抗が強くなっていく一方で、不確かな地面を踏む音は今までよりはっきりと耳に届くようになった。
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