異邦の門

 繁華街の中心にある公園はむかしは処刑場だった。あそこには死体が埋まっていて、だから、そこに咲く桜は美しい……そんな、ありえない存在を望んで、起こり得ない現象を信じる脳には隙を見せてしまうのが、この街を覆う帷の脆弱性。かくして都市と重なり合って存在する異界の門は開かれた。あるいは、求めに応じて存在を得た。それだけの神秘、基点には必ず竜骸が関わっている。わたしの使命、わたしの目的、わたしが終わらせるべきもの。

 現状、その姿を捉えることのできる人間は限られているけれど、それも今日までの話、あれが見たまま森ということなら、その目的は進行と定着のはず。時間をかければ誰の目にも鬱蒼とした緑が映るようになり、枝葉はビルに穴を開け、根っこは地下鉄の路線をズタズタにする。揺られている間に目にしたそれは地下15メートルまで伸びていた。そんな根を持つ木々の森だ。きっと尋常ではないサイズなのだろう。致命的な事故になりうる芽はすでに出ている。半歩だけ逸れた位相にある今のうちに干渉してなんとかしなくてはいけないし、それが叶うのはわたしだけ。

 時刻は21時過ぎ。改札を抜けたあたりで気がついたことだけど、この時間に制服を着て歩き回るのはよろしくない。よろしくないけど、今さらどんな顔をして戻れば良いのか。仕方がないので歩みを進める。多分まだギリギリ部活帰りとかで言い訳が効くはず。部活、やったことないけど。冷静さを欠いているぞという自己診断はもっともだけど、これは気にすると辛くなるだけだからやめた。それにあの時、あの場所にはもう1秒だっていられなかった。エプロンを投げつけるので精一杯、階段を昇って着替えに戻る時間を捻出するだけの心の余裕はなかったのだ。

 路線に穴を開ける予定の根っこと同じように、駅構内にも緑が入り込んできている。やっぱり時間はそんなに残ってない。今夜のうちになんとかできなくて、それで大変なことになったら統さんのせいだ。お店の常連さんと似た無駄話を披露するだけ披露して気持ちよくなっちゃってさ。わたしに人間ガスバーナーの魔法を教えなかったせいでこの街はバカでっかい森の前に滅び去るのだ。すれ違う人に聞こえてしまうくらいの音量で、悪態がつい口をつく。根を辿るようにしてどこまで行っても同じような構造の地下街を走り抜け、目当ての標識を見つけると階段を駆け上がる。予想通りというかなんというか、息を切らしたわたしの目には、地上の都市はもう、その頂点を視界に修めようと見上げれば首が折れてしまうほど高い木々の海にしか見えなくなっていた。

 いいや……これ、違う。いつもの街とは空気が違う。温度が違う。見知った土地、人の整備した場所を歩くとき、無意識のうちに安全を感じていたのだと気付かされる……失ってはじめて。この不安を例えるなら、迷い込んだような。その正体を探る。見立てでは、建物その他の人工物が森の実体に飲み込まれるにはまだ時間的猶予があるはずで、本来なら街の実像と森の幻像が重なり合っているはずだ。単純な構造だけに迷いやすい地下街から、それでも目的地に最も近い出口を選んだつもり。それなのに、わたしの視界に当然入ってくるべき、大きな吹き抜けをお腹に抱えた背の高い八角柱が見当たらない。構内ではかき分けるほどいたはずの人間だって、一人として見かけない。だとしたらここは現実の半歩先、繁華街の灯りはその構成材質たるビルもろとも掻き消えて、星明かりさえ樹海が閉ざす。端的に言うと。

「……まっくらだ」

 初めて目にする脅威、わたしがわたしに託した敵、悪意を持ってわたしを迎え入れた異界。くじけはじめてから、そういえば夕ごはんがまだだったね。なんて頭が回るようになる自分に嫌気がさす。戻ろうか? いや、駅の出入り口はとっくに消失している。そんなもの、初めからここには無かったのだろう。

 恐ろしければ、帰ってご飯が食べたければ、そしてあの人を見返したいのなら、もう前に進むしかない。あの人の言葉を思い出す。誓って方便にしたつもりはない。わたしと同じように巻き込まれた人がここにいて、そしてまだ生きていたとしよう……わたしはきっと、この森もろとも焼き尽くしていたに違いない。恐怖に背中を押されて。3秒使って乱れた息を整えてから、天高く聳える桜の樹海、その中心を目指して歩き出す。

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