亢進呪法

「なに……というと、森かな。うん。森だろうね。ビルとかに重なっているみたいだけど、ああ、ちょうど東7番出口あたりからみた景色だな。だとしたらなるほど、尋常ではないね。スケール感もバグってる」

 変な土地勘を発揮するものだ。東7番出口についてはピンとこなかったけど、でも、そこまで理解しているのなら話が早い。デジタル加工の線をまったく疑わないのは、やっぱりそれなりに心得があるということの証明だろう。

「そう視えているの、たぶんわたしと叔父さんと、あと何人かだと思います」

「だろうね。帷に引っかからずにこれが視えるようなら、今頃大変なことになっているだろう」

 そう、あくまでこの森は幻像イメージ。現実世界には何の力も影響も持たない。今のところはまだ、という注釈付きだけれど。現状、この姿を捉えるには魔的なモノを視る才能とか血筋、あるいはこの写真の撮影者のように、不自然なものを見るという目的で外からやってきたという属性と指向性がいる。画像をよく見るためだろうか、伸びてきた手から逃がすようにスマホを胸元に引き戻すと、ちょっとだけ不服そうな声がした。

「……で、これと九楼になんの関係があるんだい?」

「燃やします」

「燃やすとな」

 目を見開くようにして大げさに驚いている。落ち着いた雰囲気は演出でしかなくて、ほんとはそこそこ忙しい人なのかもしれない。

「あー、だから最近は魔法を教えてくれ、じゃなくて、炎の魔法を教えてくれ、になったのか。あげく僕が煙草休憩に入るとついて来ようとするし……」

「理解してもらえましたか?」

「まったくわからない。動機も経緯も原因も、まるっと教えてくれるかい?」

 この人にも見通せないものがある。そういう当たり前の事実に気が付いたことが面白かったので、もう少しだけ解説を入れてあげることにした。

「桜の下には死体が埋まっているって、なんか口に出すのも恥ずかしいですけど、そういうことらしいです。市役所裏の中央公園に石碑があるのは知っていますか?」

「それは確かに、僕が口にするのは不可能だね。九楼には似合っているけど。あーごめんごめん。質問に答えます。たしかにあそこには、かつては刑場だったとか、無実の罪で処刑された人の供養だとか、そういう石碑があるらしいね。そして公園には桜が植えられている……と、つまり写真に写ってしまったあの森は巨大な桜か。花はつけていないようだけど」

 似合っているって、言外に子供っぽいとか夢見がちとか、そういう誤った印象が含まれていて甚だ遺憾だ。きっ、と睨むようにしたわたしの視線で話を本題に戻した。

「この写真を撮った人、そういうオカルトを検証するとかいって県外から来たらしいんですけど、写真をSNSにアップしたあと、アカウントの更新が止まっているんです」

「じゃあ、もう死んでる。あきらめなさい」

 意外と残酷なことを言う人だった。これは魔法の師匠としての言葉なのだろうか。

「だとしても、誰かが止めないと。きっと同じようなことが起こりますよ」

 この人がSNSに画像をアップロードしたとき、キャプションには「森」と記されていた。拡散力のあるアカウントというわけでもなかったようだけど、都市を写した写真に似つかわしくない文言が添えられたその投稿と、更新が停止したというエピソード。アカウントのフォロワーを中心に二次被害を生むのは時間の問題だと思う。

「じゃあそれも、あきらめなさい」

「わたし、魔女なんですよ」

「高校生だよ。ただの」

「でも、放っておいたら森そのものも成長するかもしれなくて、そうしたらもっと……」

「正解。ただし、放置した結果何かが起きるとして、それは原因不明の災害だよ。学生、それも九楼のような女の子がなんとかしなくちゃいけない理由はないと思うな。付け加えておくと、僕でもなんとかできる気がしない。お手上げだよ」

 なってから一か月も経ってない肩書になんか、興味もなれれば愛着もない。もっと古く、深いところで自分を規定するものがあって、それはわたしがこの血と、この星で最後の魔女だという、運命。きっと物心がつく前から耳元でささやかれてきた物語と、それを証明する魔法の力。この人はわたしがその運命のままに振る舞うことを否定する。どうしてなのかわからない。同じ物語を知っているはずなのに。

「と、こうして僕が止めたとしても飛び出していきそうな勢いだから、もう少し協力させてほしい」

「ここまで否定しておいて、ですか?」

「ごめんよ。趣旨を間違えたね。でも、僕としては九楼に危ないことはしてほしくない。それだけなんだ。ただ現状、どうやってもキミを止められないから、せめて力になってあげようとしている」

「あなたに心配されるような筋合い、ありませんから」

 それはある種の本心で、大人と子供、叔父と姪だとか、そういう立ち位置を使ってわたしの思い通りにならないことをするこの人の感情を邪魔に思っている。わたしが欲しいのは魔法の教科書としての人物でしかなくて、そのはずなのに、少し前の左のつま先と同じように、胸がじん、と嫌な熱を持っている。たぶん、すごく酷いことを言った。顔をあげると、やっぱり統さんは悲しそうな顔をしている。そしておそらく、わたしの顔色を見て、この人は聞かなかったことにすると決めたらしたかった。

「……なんとかしたいモノが現状、馬鹿げたサイズの桜の森だというのは分かった。でもそれがどうして、遥か古代の魔女のやり残し、竜の死骸と結びつくのか、説明できる?」

 その質問にわかりやすく答えるのは、実のところ難しい。言葉を尽くせばあるいはとも考えたけれど、どうせまた呪いだとか言って取り合ってくれないのだし、手伝うつもりもないのだろう。言葉にするのが面倒だった。

「抽象的な思考。いや、認識か。それを言語化するのがむずかしい……そんなところだね。いいよ。僕が話すから、認識と違うとこがあれば指摘してほしい。まず、竜の骸の上にできたとか、そういう神話があるんだよな、この辺りは。そしてその竜と、僕たちのご先祖、つまりは魔女だね。は、仲が良かったらしい」

 わたしが口を閉ざした理由をそう解釈して、そして叔父さんは代わりに話すことにしたらしい。センテンスごとに同意を求めるようにしているので、うなずくことで会話を進めていく。

「魔女については、理由は割愛するが僕らの親戚中の蔵の古文書にだってあんまり記載はない。一方で、竜については民話や伝承と呼べる規模で有名だ。市の図書館にもそういうコーナーがあるほどにね。一つの都市全域を飲み込むほどの土地に竜が眠っていると、そう長いこと信じられていたんだよ。この街では」

「今も、です」

「そうなんだ? まぁドラゴン、カッコいいもんなぁ。おおかた小学校あたりの社会科で調べ物をして、そのことをなんとなく覚えてるとか、そのあたりだな。ともかく、ここが竜の死骸の上に築かれた都市である。という前提に立てば、なるほど今回の怪現象に九楼がしゃしゃり出る理由は作れるか……つまり、なんとかしたいのは桜の森ではなくて、そのカタチを借りた竜骸。そういうことだろう?」

「そう、です。間違ってません。だからその、炎の魔法が使えたらって」

「鹿野さんとこの魔法があるだろう。燃やすならあれで足りないかい?」

「あれは出力が絞られてて、自分で調節できないんです。丸ごと燃やすには足りません」

 ようやく本題に入れるのだと思った。説明と理解ではなくて、確認作業のような、そんな不毛な遠回りの果てに。

「わるいけど九楼、それじゃだめだ。方法が間違ってる。だから教えてあげない」

「な……どうして」

「これは九楼に耳打ちしているやつが悪いな。うん。そういうことにしてあげる。やっぱり呪いだ」

「さっきから、言ってることの意味が……」

「人を殺すつもりなのか、と聞いている」

 それは当初の方法と、その手段を検討するにあたって当然行き着くべき結論で、今まで何故だかわたしが無視していたことの正体だった。背筋を何か冷たいものが走り抜ける。

「九楼の提案する方法に僕が力を貸すと、キミが言っていた人が巻き込まれている。被害が拡大するかもしれない。という大義名分が全部嘘になってしまうね」

「それは……ほら、あの森がある位相だけを燃やせれば」

「それもダメだ。より多くを燃やしたいけど、燃やす相手は選びたい、なんてことはそうそう許されない。たった今それを思いついたような子には不可能だね。特に」

 はじめての叱責だと思う。底の浅さを見抜かれたような恥ずかしさと、品定めをされていたという怒りが同時にこみあげて、そしてそれらは言葉にはなってくれなかった。

「ああ、だからあんまり幽霊の言うことは聴くもんじゃないと言っている。その考え方はもう人間のものじゃないんだ。それに、炎で燃やせるのは森の幻像イメージだけで、精髄エッセンスではない。あれは見たところ異界として成立しつつある結界といった印象だ。なんとかしたいなら基点を崩す必要があるが、直接飛び込む以外に方法はないよ。それでもやるのかい?」

 結局この人は何がしたかったのだろう。一緒にアクセルを踏むなんて嘘をついて、その気になったわたしの考えを不見識とあざ笑うことだけが目的のように思えてきた。このまま話を聞いてしまうのは毒にしかならない。もうここにはいられない。ここにいたら、きっとわたしがわたしでなくなってしまう。

「……少し、急ぎすぎたか。話の続きを聞きたくなったら、いつでも電話しなさい」

 言葉の価値はそれを送る人間によって左右されるものだと思う。少なくともこの古ぼけたビル、栄羽統の魔術師塔を出ようとする背中に届いたものの価値は、わたしの内側で響く声とは比べるべくもなかった。

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