霞隠れの外套
「魔法、教える気はあるんですか?」
「あるとも、ここのアルバイトもその一環さ。ほら、マンガとかでよくあるやつ」
「嘘はいいです」
「ふむ……」
よせばいいのにさまよう刃の前にのこのこと現れてきたものだから、自然と詰問という形になる。硬い丸椅子に長い背丈を無理やり折りたたんだ師匠を、それが挟み込まれた机の向かい側から糾弾する弟子、という構図だけど、わたしはこんなこと望んでない。少なくとも叱られているのが弟子の方なら、今よりどれほどマシだったろうか。
「じゃあほら、アレとかどうだろう? 寿司屋の弟子は技術を盗むというよ。何事も教えてもらうより自分で調べたほうが身につくものさ」
「じゃあってなんですか。その悪習のせいで、今はもう機械くらいしか寿司職人さんがいないっていいますよ。それに、技術とやらを見ようとすると、師匠は未成年の前で煙草に火をつけなくちゃいけませんよね。いいんですか?」
「九楼。キミ、なかなか弁が立つね」
「馬鹿にしてますよね」
少し大きな声が出た。その元凶たる男は意に介した素振りもなく、ぱたぱたと片手を振ったあと口を開く。手ぶりもいちいち大きくて、それがどういうわけか癪に障る。その笑顔も、なんとなくこうしておいたほうがいいんだろうなという考えで出てきたに違いない。顔のいい青年が人生を舐めたままおじさんになったような、そんな笑顔だった。この店に並ぶ売れてるところを一度も見たことのない商品のように薄っぺらい。今となってはもう、火に焚べられる薪にしかならないというのに。
「よく、お聞きなさいね。叔父さんは親戚として、キミにより良く生きる方法を教えてあげたいと思っている。鹿野のお家がどう考えてるかは知らないけれど、これはキミのお母さんに頼まれたことだ。魔法というのはそれに比べると優先度が落ちるんだよ。どうしたってね」
言い終えるころにはもう、その笑顔から軽薄さは抜け落ちていた。わたしの母、叔父さんの妹を話に出してきたのはこれがはじめてのことだったから、少し面食らう。真面目な話をするつもりになったのだろうか。それなら、黙って聞いてあげることにしよう。わたしの知らない母さんの言葉を聞かせてくれるというのだから。少しの間を置いて、続けて良いかい? と問う声に首肯で返す。
「今の九楼が魔法なんて覚えたところで、人間を生きたまま燃やせるようになった女子高生が生まれるだけだよ。それよりよっぽど役に立つことを教えたい。そう考えてるんだな。僕たちは」
燃やさない。どんなに腹が立ったってせいぜいローキック程度だ。人間相手には。と、反論したいところだけど、養育者の言い分としては間違ってない気もする。要は子供に銃を持たせるかどうかという話らしい。それにわたしとこの人ではたぶん、出力が違いすぎるのだ。叔父さんが煙草に火をつけるために使う魔法、あれをわたしが使ったら、人間どころかビルだって丸ごと燃やせる。そのことにはこの人も気付いているはず。一人では、そして鹿野の家では持て余した力の使い方を教えてくれる。そんな触れ込みで引き合わされた師匠だけれど、結局この人もわたしの力を持て余している。そのビルを燃やすくらいの火力が今、どうしても必要なのに。
「なら、学校に通わせアルバイトに来てもらった方がずっと有意義だ。人間燃やして喜ぶやつは少ないうえにロクデナシだが、九楼がエプロン着てレジに立ってると善良なみんなが嬉しい。気づいているかい? 最近はみんな、ちゃんと風呂に入って洗濯をしてから来るようになった」
なるほど、まだここに来たばかりの頃に鼻先を蹂躙した異臭の正体は、洗ってないおじさんたちの臭いということらしい。涙がでそうだ。母さんを盾にこんなことに従事させる人だってロクデナシには変わりない。
「ここに来たとき、言いましたよね? やらなくちゃって、思ってることがあるんです。わたしの……鹿野の、母さんの使命を果たさないと」
悔しさのせいか、涙の滲んだ声になった。想定した通りの声色で、意図した通りの感情を伝えられないのがもどかしい。これじゃあ、怒りではなく懇願のように聞こえてしまう。こういうところをみて大人はわたしのことをまだ子供だと判断するらしいから、避けないといけないはずだったのに。
「使命……ね。
泣いている子をあやすような声ではなかったのは救いと言えば救いだけれど、叔父さんの言葉はどこか怒りを含ませたように聞こえた。だとしたら成功かもしれない。年上の男性がわたしだけを相手に怒っている、というのは恐ろしくもあったけれど、それでも気取った口調で煙に巻くような振る舞いはしなくなるはずで、それは好ましいことだった。
「残念ながら僕はそれを言伝でしか知らない。でも、キミを駆り立てる使命について、一面では九楼より詳しいという自負があるよ。まず、使命というのが良くない。そういうのは呪いと言うんだ」
再び口を開いたときには、その声色からはもう怒気を感じることができなくなってしまっていた。反対に、そんなわけあるか。と声を荒げたいのはこちらだけど、今はきっと、癇癪を起した子供の声として響いてしまう。そういうのが他でもないわたしの耳に届くことが一番悔しい。膝の上で握りしめる手のひらに力がこもる。机で隠れているとはいえ、この人は意識して無視をしたのだろう。彼の態度には構わず、感情を乗せすぎないように反論を言葉にすることにした。
「呪いなんかじゃ、ないです」
そう、呪いなんかではないのだ。この人は当事者じゃないから、きっと勘違いをしている。やり残したことがあるのだと、叫びが耳に木霊する。果たすべきだった、果たせなかった約束を、どうか代わりに果たしてほしい。これはそんな祈りであって、わたしを害する意図なんかぜったいにない。それがどうしてわからないのか。
「どうしても、そう思ってしまうのかい?」
「はい。どうしても、そう思います。きっと、わたしにしか分からないんだってことも」
年長者として、困っている顔さえ見せないように。左手の指先を額にあてて、その表情を隠すようにしている。ちょうど、出来の悪い生徒に直面した教師のように。配慮というのは受ける側にもそれを拒む権利があったっていいと思う。少なくともこの人からの心遣いにまっすぐありがとうと言える日は来ないだろうな。
「何が必要なんだい? 使命というのを果たすためには。そして僕が与えたもので、キミは何をするつもりなのかな?」
「……それは、どういう意味ですか?」
「かわいい姪っ子が説得むなしく危ないことをしようとしているんだ。止まる気がないなら一緒にアクセル踏んだほうがマシかなぁと」
拍子抜けだ。どうやら彼はこの会話の目的を切り替えたらしかった。ある意味ではわたしの思い通りになったと言えなくもないけれど、なんだか侮られたような、見限られたような気がして面白くない。面白くないけど、それでもチャンスには違いなかった。エプロンの下、
「これ、何が見えます?」
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