第2話 自己紹介 (甘さ指標:加糖)

 次に意識を取り戻した時。どれくらい時間が経っただろうか。


 ピッ、ピッという電子的な心音だけが聞こえる。

 シュー、シューというのは呼吸音だろうか。


 どうやら一命は取り留めたらしい。

 しかし、全身に力が入らないため、目を開けることも、声を上げることも、身をよじることもできない。


 窓から差し込んでいるらしい日の光が瞼を透過して瞳に届き、意識の覚醒を促してくれる。


 「――さん?!」


 ベッドからガバッと起き上がるような音と、声が聞こえたのはまさにその時だった。

 郷愁を感じる、聞いていて落ち着く声。


 と、すぐに椅子から立ち上った気配があった。

 日光が遮られたということは、恐らくが顔を覗き込んでいるからだろう。


 「気のせい、でしょうか……?」


 言いながら座り直した様子。


 「いえ。私の勘ですよ? 神様の私の! “もと”ですが……」


 1人で何やら言っている。

 そしてしばらく自分と葛藤していたらしい彼女は、


 「――さんに届いていると信じて、話しかけないと!」


 フンスッと意気込んだ。


 「お医者さんもそうした方が良いと言っていましたし、あなたがまだ、諦めていないんです」


 だから、私も。

 そう言った彼女はガサゴソと手帳を探し始める。

 そして、すぐに、


 「ありました!」


 弾んだ声が聞こえた。


 「えっと……、大事なことだから――」


 ページをめくる音がすることから、少し大きめの手帳のようだ。


 「ここですね。えっと……『最初は記憶が混濁しているかもしれないから、自己紹介や本人について話しましょう』」


 なるほど、という声とパタンと手帳を閉じる音が響く。


 「コホン。あなたはこの1週間、ずっと、集中治療室にいたんです」


 前回の事故から、かなり時間が経っていたようだった。


 「小さな女の子を助けようとして、車の下敷きになってしまって……。人間の力だけでは、本当に、死んでしまって、いたかもしれなかったんですよ?」


 そう語る声はどこか湿り気を帯びている。


 「それから、傷自体は治ったんですが、意識が戻らないと……」


 そこで少しだけ間があった。


 「生きることを諦めないでいてくれて、本当に、良かった……っ! 異世界になんて、行かないでください……!」


 ポタポタとベッドのシーツに水滴が落ちる音がする。

 感覚は無いが、衣擦れの音から、彼女が腕を取っていることも分かった。


 しばらく、鼻をすする音と、外で鳥が鳴く声が聞こえるだけだった病室。


 「……クヨクヨなんてしてられませんよね」


 決然とした声が聞こえるようになったのは、1度だけティッシュで鼻をかんだ後だった。


 「私にできること。いえ、私がしたいことをするんです!」


 また小声で気合を入れている。

 急に泣き出したかと思えば、今度は気合を入れ直して、明るく振舞う。

 感情がコロコロと忙しい少女のようだ。


 「あ、自己紹介を忘れていました……」


 そして、少しだけ抜けているのかもしれない。


 「私の名前はシア。天人あまひと……。えっと、自分で言うのも変な話ですが、もともと【運命】と【物語】を司る神様でした」


 声に恥じらいを含ませながら語る、天人あまひとの少女。


 「生まれてから10年と少しになります」


 ということは小学校高学年か、中学生あたりだろうか。

 それにしては話し方も大人びていて、座ったまま話す声も高い位置から聞こえる。


 「あっ、正確には意識が芽生えてから、ということになります。肉体、知識という意味では、高校生と同じくらいです」


 言っている意味は難しいが、ひとまず高校生ぐらいの知識と体格をしているということ。

 一方で、精神年齢は見た目より少し低いということだろう。


 「それで、私とあなたの関係は、その……」


 そこまで言って、口ごもってしまった。

 事故の直前、話していた彼女の姿はまだ思い出せない。

 それでも、彼女も自分も楽しそうに話していたことは分かる。


 「いえっ。恥じることではないですねっ! むしろ誇るべきことです!」


 ままよ、と、そのまま勢い任せに


 「そうです! じゃあ言いますよ? いいですか? ありがたいことに、私とあなたは――」


 ピリリリと携帯が鳴る音がした。

 はぅあ、という素っ頓狂な声を上げて彼女は話を中断する。

 すぐさま口調と雰囲気を張り詰めたものに変え、


 「はい、シアです。そらちゃん……? えっと、今は病院ですけど……え、サイレントモードですか? 通話に出るな……?」


 でも任務が、魔獣がと言い訳するシアだったが、どうやら相手に叱られているようだった。


 「わ、わかりましたから! あ、いえ、すぐに出ます!」


 言いながら荷物をまとめているらしい。

 ガタガタと忙しい音がして。


 「すみません、任務の話し合いに行くので今日はこの辺りで失礼します! また、お見舞いに来ますね!」


 そのままドタドタと病室を出て行こうとドアを開けて、閉まる――音が聞こえない。

 ゆっくりと閉まる扉もあるし、音が出ないものもあるだろう。


 しかし。


 なんとなく、そこに彼女がいるような気がして。

 ためらいのような間がたっぷり10秒ほどあって。




 「こ、こいびとです!」




 脈絡のないそんな言葉が、パタンと扉が閉まるその寸前に聞こえた。

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