【短編】お見舞いに来たヒロインがただただ話しかけてくるだけのお話

misaka

第1話 事故 (甘さ指標:糖分控えめ)

 最初に聞こえたのは、救急車のサイレンの音だった。

 近くでは女の子が泣いているような声と、阿鼻叫喚といった様子の喧騒。

 時折聞こえる、シャッター音。


 そんな雑音の家でも、その声は驚くほどよく聞こえた。


 「――さん! ――さん!」


 誰かが懸命に名前を呼んでいる。

 どこか懐かしいような、聞き馴染みのある声。


 それに応えようと体を動かそうとする――が、動かない。

 今思えば、目を開くことも、指先一つ動かすこともできない。

 全身の感覚がない。


 そこにあるのは音と、そして、圧倒的な血の匂い。

 もうろうとする意識の中、事故に遭ったのだと思い出す。

 いや、遭いに行ったのだ。




 信号待ちをしながら、誰か――恐らく今、名前を呼んでくれている女の子と、


 『車にはねられて死んじゃったら、この前貸してもらった本の男の子みたいに、異世界に行っちゃうかもしれませんね』


 なんて話していると、信号が青に変わった。


 刹那。


 聞こえたのはけたたましいブレーキ音と、鉄と鉄がぶつかり合う音。

 そして悲鳴。

 見れば、突然のことに手を伸ばしたまま固まる中年の女性の姿。


 その視線の先を追うと、小さな子供が今まさに、複数台の車の玉突き事故に巻き込まれようとしていた。


 『――さん?!』


 そんな声が聞こえた時にはもう、体が動いてしまっていた。

 魔法を駆使して、轢かれそうになっている女の子のもとへ駆ける。


 どうにか、回転しながら飛んできた乗用車と女の子の間に割って入り――。


 そこが最後の記憶だった。




 「嫌っ! 放してください! その人は私の大切な――」


 そばで必死に呼びかけてくれていた声が遠のいていく。

 救急隊員らしき人々がなだめているようだが、必死で抵抗している様子。


 「行かないで! もう私を1人にしないでください!」


 そんな声も、カラカラと自分を運んでいる担架の音とともに雑踏に飲まれていく。

 バンっと救急車の扉が閉まる直前。


 「絶対に、あきらめないで!」


 切実な願いが聞こえた気がした。

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