召喚してみたら石像だった

刀綱一實

第1話

「義文叔父さんも、怪しげなもんを残してくれたよなあ……」


 僕は古びた本をはたきながら、ため息をついた。これをもらったために、僕の生活は一変したのだ。




 ことの原因である叔父、塚田義文は一生独身で周りに人を寄せ付けず、田舎で仙人のように暮らしていた。叔父は手先が器用だったようで、家には自分で作ったであろう石像がいくつも残っていた。これを売買し生計を立てていた、まさに芸術家だった。


 バリバリ大企業で働いている父は、彼のことを「穀潰しの弟」と言ってはばからなかったが、僕は密かに彼の生き方に憧れていた。時間がないといつも眉間に皺を寄せている父よりも、ずっと幸せそうに見えたからだ。


 叔父はそんな僕の思いを読み取っていたのか、ずいぶん僕をかわいがってくれた。癌が見つかってとうとう入院することになった時も、病室に長居を許されたのは僕だけだった。


 そしていよいよ弱ってきたのが、傍目にも明らかになったある日──叔父さんは、僕を捕まえてこう言った。


「正治。お前は兄貴と違って、楽しく生きたいタイプだろ。だから俺の宝物を譲ってやる」

「宝物?」

「俺がくたばったら、タンスの一番下の段を探ってみな。二重底になってて、そこに面白いものが入ってる。かわいい女の子の連絡先も書いてあるから、そいつに頼ってみな」


 いくらせがんでも叔父はそれ以上のことは語ろうとせず、結局笑ったような顔のまま、一ヶ月前に亡くなった。


「最後までふざけた奴だ。だいたい、あいつは昔からやることなすこと雑で──」


 父はそう言って怒っていたから、僕は部活の朝練に行くと嘘をついて家を出た。


 叔父の家までは、電車とバスを乗り継いで最短三時間強。ひとつ乗り継ぎを間違えてしまえば帰りが遅くなり、部活に行っていなかったことがバレてしまう。一応友人に口裏合わせは頼んだが、それでごまかせるのは夕方四時・五時くらいだろう。


 現在、午前七時。三時にはこちらに戻ってきたいので、叔父の家で過ごせるのは、余裕をみて一時間くらい。


 叔父の家に着き、もらっていた合い鍵で扉を開ける。締め切られた家の中はむっとした熱気と埃くささで満ちていて、僕は顔をしかめた。もちろん、この家にクーラーなんて洒落たものはない。


 額に汗がにじんでくる。玉のような汗をかく僕を、部屋のあちこちにあるすべすべした肌の石像たちが黙って見つめていた。リアルな鳥のような造形もあれば、まさにファンタジーの怪物のようなものもいて、なんだか気味が悪い。整った顔立ちの女の子の像もあったが、石造りだから冷たい感じがした。


 叔父さんがくれるというものが、あんな石像だったら……何も見なかったことにして帰ろう。きっと好きな人もいるだろうが、僕はこれならフィギュアの方がまだましだ。


「ここだな、タンス……」


 家具らしい家具はほとんどないため、タンスはすぐに見つかった。言われたとおり最下段を探って、底板を外す。そこにあったのは、古ぼけた本だった。


 大きさは大学ノートよりひと周り小さく、厚みは軽く五倍はある。その中には多種多様な魔方陣が描かれていて、どこの言語かわからない書き付けがつけてあった。その書き付けには、何故か叔父さんの字でルビがふってある。


「叔父さんのアイデア帳かな……それにしては、石像っぽい要素が全然無いけど」


 僕は小さくその書き付けの言語をつぶやきながら、額の汗をぬぐう。日本語でも英語でもない奇妙な発音で、なにか意味があるとも思えなかった。


「あ、やばっ」


 本の内容に興味をとられているうちに、時間が経過していた。バスの時間が迫っていたので、僕はあわてて荷物をまとめて外に出た。




「結局、日本語の記述は一つもなかったな……」


 時刻は夜。暑苦しいので開け放した窓から、ようやく涼しい風が入ってきた。


 僕は両親に隠れて、ベッドの中で叔父さんの残した本を読んでいた。これを読んだから何かできるようになるとは、到底思えない。叔父さんは結局、僕をからかっただけだったのだろうか?


「ま、それもそれで叔父さんらしいけど」


 本にも、下手くそな落書きがしてあるし……古本屋に売っても値段はつかなそうだ。これはあくまで思い出として、僕が持っていればいいだろう。父に見つかったら、真っ先に捨てられそうだ。


「叔父さん、絵下手だなあ……」


 辛うじて女の子とわかるイラストを見ながら苦笑して、その横に書かれた妙な言葉を読んでみる。叔父さんの好きだったキャラクター名なのだろうか? そういえば、女の子の連絡先が書いてあると言っていたが、このページにそんな記載は微塵もない。


 僕の思考は、そこで不意に途切れた。部屋の中に、突如、僕ではない気配を感じたからだ。父でも母でもない。扉や窓が開く気配はしなかった。突然沸いて出た、としか表現しようがない。


 そろそろと気配の方を見る。──そこには、叔父の家で見た女の子の像があった。


「な……」


 パニックになって叫び出しそうになる。あんな大きなもの、どうやって持ってきたというのか。


 夢だ。これは夢だ。夢に違いない。


 混乱しながら、僕は石像に向かって手を伸ばした。その指先が、ひんやりした石に触れる。


「夢じゃない……」


 僕の思考はめまぐるしく回転していた。とりあえず仕組みはどうでもいい。この石像が両親に見つかったら、言い訳のしようがない。クローゼットに隠しておいて、後でじっくり原因を考えよう。僕はそう思いながら、再度石像に手をかけた。


「……触らないでもらえるかしら。あなたとは初対面よね?」


 女の子の声がした。僕の頭のすぐ上から聞こえてくる。次に何が起こるのか予想もつかず、僕は恐怖にかられながら顔を上げた。


 そこには、冷ややかに僕を見下ろす紫色の瞳があった。銀色の髪が、そのすぐ上でさらさらと揺れている。肌はとても白かったが、石像ではなく確かに体温が感じられた。間違いない、本物の美少女だ。──さっきの石像にとてもよく似ているが、人間だ。


「あ、す、すみません」


 なんらかの理由があってこの少女は僕の部屋に入り込んだ。そして僕はそれを石像と勘違いしてしまった。そういうことだろう。これでもだいぶ頭おかしいが、さっきの状況よりはまだあり得る。


「あの、僕は──」

「あなた、義文の息子か何か? 顔立ちが似てる」

「叔父さんを知ってるんですか」

「ええ。──あなたにも、義文と同じ才能があるみたいね」


 少女はそう言って、窓の外を見てため息をついた。


「それをちゃんと使ってないみたいだけど。来るわよ」

「え?」


 その次の瞬間、カーテンが音をたてて切り裂かれた。目を見張る僕の前に、月光を背負って現れたのは──鎧をまとった骸骨だった。骸骨の両手にはナイフが握られていて、それが僕に向けられる。


 骸骨のくぼんだ眼窩には、もちろん何もない。それなのにそこから強烈な殺気が放たれていて、見られているのだと実感した。僕は、こいつにとって獲物なのだ。そう認識した瞬間、足がすくむ。


 固まった僕の襟元が、誰かにつかまれた。そのまま強引に横に放り投げられる。僕は床に肩をぶつけてうめいた。


 痛みをこらえて上を見る。骸骨が低い唸り声をあげながら、僕に向かって飛びかかろうとしていた。僕と骸骨の間に、遮蔽物はなにもない。


 やられる──と思った次の瞬間、ガチッと硬い音が響いた。


「全く、月の出てる夜で良かったわね」


 固く瞑っていた目を開くと、そこには骸骨の攻撃を細剣で受け止めている少女が居た。体は骸骨の方がはるかに大きいのに、少女は余裕の表情である。


「邪魔よ!」


 少女が剣を振ると、骸骨の体が吹き飛ばされる。鎧が窓枠に当たって、硝子の破片が飛び散った。


 骸骨が体勢を崩している間に、少女が追撃にかかる。剣をまっすぐに構え、一直線に突撃していった。


 細剣の先が、骸骨の頭部に突き刺さる。わずかな穴から生じたひび割れが、すぐに頭蓋骨全体に広がり──そのまま頭部が崩れ去った。続いて体や鎧もその後を追い、数分の後には、骸骨は灰になって崩れ去っていた。


「ふー、終わったわね。ちょっとあなた、生きてる?」

「なんとか……ありがとうございます」

「……それなら、今から私が言う言葉を繰り返して」

「なんで?」

「早く!」


 少女の剣幕に負けて、僕は彼女の言葉を復唱する。発音はめちゃくちゃだったが、唱え終わると彼女は満足そうに笑い──そして登場した時と同じように、唐突に消えた。


「正治? 何してるの、正治」


 それとほぼ同時に、寝ぼけ眼の母が様子を見に来た。扉を開くなり、母は呆然として立ちつくす。


 僕は荒い息を吐きながら立ち上がった。落ち着いてようやく周囲を見回すと、部屋は惨憺たるものだった。窓枠は破壊されて折れ曲がり、床には硝子の破片が散らばっている。そして壁には、大きな一文字の傷が刻まれていた。


「あ、あなた!! 来て、正治が──」


 パニックになった母が父を呼び寄せ、さらに父が警察を呼ぶ。あっという間に、家の中は大騒ぎになった。



 結局、僕は泥棒に襲われたということになった。窓を開けていたから、そこを見つかって侵入されたのだろうと警察の人が母に説明していたのを覚えている。


 今も警察は、いもしない窃盗犯を捜している。僕は犯人が消滅してしまったのを知っているが、そんなことを言うわけにはいかないので黙っていた。


 僕の家は、窓もドアも頑丈に作り直され、警備システムが導入された。今では夜に窓を開けただけで警報が鳴るため、うっかりしていて怒られたことがある。引っ越す話も出たが、やはり両親もローンが残っている家を手放すのはいやだったのだろう。


 父母は、事件のことを徐々に忘れている様子だった。しかし僕は、いつまでも引っかかるものを感じていた。


 だから月が明るい夜、カーテンを開けてから……また、少女のページに書いてあった呪文を唱えた。


 案の定、誰もいなかったはずの室内に銀髪の少女が出現した。彼女は少し呆れたような顔で、僕の方を見ている。


「あなた、あんな目にあったのにまだ懲りないの?」

「……理由が知りたいんだ。君がなぜ石像の姿で現れるのか、なぜ月の光で元に戻るのか、あの襲撃者は誰だったのか」

「はあ。まあいいわ。義文は本当に何も伝えてなかったみたいだから」


 少女はそう言って優雅に座った。


「あなたも、その本が全ての元凶っていうのはわかってるんでしょう?」

「そうだね」

「その本は、この世と他の世界をつなぐ『門』なの。義文は、『召喚アイテムだ』って言ってたけど、あなたもそれで理解できる?」


 ゲームでよく、召喚師という職業が登場する。別の世界の魔物や神を呼び出して自分の配下や仲間とするものだ。この本があれば、誰でも召喚師になれるということだろう。


 ……叔父さん、なんてものを残してくれたんだ。


「ただ、このアイテムには欠陥があったの。呼び寄せることはできたけれど、なぜか全て石像になって召喚されてしまう」

「まさか、叔父さんの家にあった石像って」

「そうよ。召喚失敗の成れの果て。それを作品と称して売ってたの。あいつ、ズボラで常識なかったからねえ」


 僕は苦虫を噛みつぶした。才能ある自由人と思っていたが、とんだ適当野郎だったようだ。父が叔父を蛇蝎のごとく嫌っていた理由が、なんとなくわかってきた。僕に本をくれたのも、たいした理由はなかったのかもしれない。


「君は石像になったのに、どうして動けるの?」

「義文が召喚に慣れてきて、だんだん強い生物を召喚できるようになったの。すると召喚の時の石化をかいくぐれる個体が出てきたってわけ。今のところ完全じゃなくて、月の光の中だけ解除されるみたいだけどね」


 叔父はこれを知っていたから、「女の子の連絡先」と言っていたのか。そんな回りくどい表現じゃわからないよ!


「じゃあ、あの襲撃者も……」

「そうよ。一回義文が呼び寄せたけど、夜中に襲われて大変なことになったの。私がいたから撃退できたけどね。以降、決して呼ぼうとはしなかった。……あなた、適当に本の中身を読んだりしたんじゃない?」


 言われてみれば思い当たることがある。あの危機は、僕が招いたことでもあったのだ。だとしたら、怪我なく済んだのは奇跡でしかない。


「ごめん。助けてくれてありがとう」

「まあ、十分情報を与えなかった義文が悪いわよ。あなた、そう無茶しそうなタイプにも見えないし。今後は私がいない時に、勝手に本を使わないことね」

「二度と使うつもりはないよ」


 本音で僕は言った。あんな思いは、もう二度としたくない。もっと言うなら本自体を捨ててしまいたいところだが……この魅力的な少女に全く会えなくなるというのも、寂しかったのだ。


 時々、彼女に話し相手になってもらうくらいなら構わないだろうか。こんなに可愛い子、モデルにだってそうはいないと思う。いや、会ったことはないんだけど……。


「それより、君のことを……」

「しっ」


 僕が咳払いして話しかけようとすると、にわかに少女が厳しい顔になって窓ににじり寄った。


「な、何?」

「血の臭いがするの。しかも、こっちに近づいてくる」


 少女が指さすのは、下の通り。ちょうどそこを、ふらつきながら若い女性が歩いてくる。彼女の白いジャケットは、どす黒いもので染まっていた。


「あの人、もしかして怪我を……」


 僕が最後まで言わないうちに、少女は窓を開け放っていた。彼女が窓から飛び出した途端に、けたたましいベル音が鳴り響く。また母が起き出してくるのではとちらっと思ったが、死にそうな女性がいるというのに無視はできない。


「大丈夫ですか!?」


 僕が声をかけると、女性は明らかにほっとした顔でこちらに近づいてきた。


「やっと……人に会えた」

「やっと?」

「いきなり切りつけられて……助けてって何回呼んでも、誰も出てきてくれなかった……」


 そんなことがあるだろうか。夜の十一時とはいえ、ここは住宅街。ずらっと道の左右に並ぶ家々の、誰かは必ず起きているだろう。関わり合いになるのが怖かったとしても、警察くらいは呼ぶはずだ。


「あなたたち、二人とも早く隠れて。おそらく──」

「君がルーナかい」


 少女が険しい声で言う。しかしその言葉を、誰かの声が遮った。


「誰だ?」

「名乗るほどの者じゃないよ」


 そう偉そうに言いながら路地から出てきたのは、まだ小学校にあがりたてといった感じの少年だった。手足がひょろっとしていてひどく痩せていて、そこだけ見れば庇護欲を感じる。しかし、彼の手に握られていた本を見て僕は顔をしかめた。


「……同じ本を持ってる」


 この本、一冊だけではなかったのだ。それなら少年といえども、十分脅威になりうる。僕の手に冷や汗がわいてきた。もし彼が──石像しか召喚できない僕より色々なことができたら。非常にまずいことになる。


「そうだね。なら詳しい説明はいらないかな」

「なぜこの女性を襲ったの?」


 僕が聞くと、少年はひどく大人びた笑みを浮かべた。


「面白いから」

「は?」


 理解できない言動に、僕はそう返すことしかできなかった。


「だって、人を虐めるのって面白いじゃない。パパだって、よく部下を家に呼びつけて朝まで帰さないよ。ふらふらになって困ってる相手を見るのが面白いんだって。僕もそう思うな」


 親子そろってとんでもないクズだ。僕の胃の腑に、吐き気がこみあげてきた。


「この本は、外国の蚤の市で見つけたんだよ。すごいよね、これで攻撃したって、誰も僕がやったなんて思わないもの。まだ一つの術しかちゃんと使えないけど、将来はもっと役に立つだろうな」


 少年はそう言いながら、大きなカマキリを呼び出した。女性の肩を切り裂いたのだろう、鎌にはべったりと血がついていた。


「……見せびらかしてくれてどうも。ただ、こっちにもルーナがいることを忘れてもらっちゃ困るな」


 僕は異変に気付いていないふりをした。あの正義感の強い少女が、間抜けな僕さえ助けた少女が、こんな言葉を聞いて黙っているはずがない。なんらかの状況で、動けない状況にあるということだ。


「そうだね。ルーナは強くて綺麗でいい。侮れない相手だ。君たちのことは、一年前の事件の時から知っていたよ」


 少年はそこで初めて、残念そうに舌打ちした。


「僕の本に載っていた呪文は全部試したんだけどね。あんな綺麗な人は出なかった。だから、この勝負に勝ったらルーナをもらうよ。君の本ごとね」

「……好きにすればいい」

「いい度胸だね、塚田義文。そっちからかかってきなよ。僕は誰であっても手加減しないから、そのつもりでね」


 僕はそう言われた次の瞬間、地面を蹴って全力で走り出した。カマキリの邪魔が入らないうちに、少年に狙いを定めて体当たりする。


「うわっ!」


 吹き飛ばされた彼の体からこぼれ落ちた本を、急いでつかみ取る。相手が体勢を立て直す前に、それを思い切りひきちぎった。本の形が崩れると同時に、カマキリが霧のようにかき消える。


「お……お前、お前! 何してるんだ!! 何してるんだよ、このクズ!!」

「クズはそっちの方でしょう、クソガキ」


 僕に向かって唾を飛ばす少年の襟首を、ルーナががっちりとつかんでいた。想像通り最高クラスに怒っているらしく、使う言葉にもいつもと違って品がない。


「な、なんで動けた! ちゃんと──」

「名前を読んだのに、だろう? 使える術が一つだけってのは嘘だったんだね」

「おそらく、もう一体召喚獣がいたんでしょう。ポケットにでも潜んでいたのよ」


 僕とルーナがそう言うと、少年は顔を真っ赤にした。


「お前がなんで見破った!?」

「卑怯な奴の言うことは信用しないんだ。それに、名前を呼ぶ必要がないところで喋ってたしね」

「塚田……」

「あ、塚田義文は僕の叔父。一ヶ月前に癌で亡くなったから、代替わりしたんだよ。悪かったね」

「大きなことを言っていたけど、調査能力が未熟ね」


 ルーナがせせら笑いながら拳を握った。ここでようやく、少年が恐怖の表情を見せる。


「た、助けて……」

「だそうよ。どうする?」

「ルーナ。容赦なくやっちゃって」


 僕は迷うことなく答えた。その直後、ルーナの鉄拳が少年の顔面にめりこむ。一撃で意識を失った彼を、ルーナがゴミのように放り投げた。


「誰に対しても手加減しないんなら、自分がそうされても文句は言えないよね」


 僕はもう聞いていないであろう少年に向かってつぶやいた。そして電話を取り出し、救急車を呼ぶ。その間、ルーナはどこかに消えていた。


 女性が救急車に乗り込み、車が見えなくなった時にようやくルーナが帰ってくる。


「どこ行ってたの?」

「あなたの家の警報装置を解除していたの。勝手が分からないから、少々戸惑ったけど許してね」

「あ、そうだった!」


 事件が起こったのは二回目だ。さぞ母が気を揉んでいるに違いない、と考えると僕は青くなった。この家は気に入っていたのに、引っ越す羽目になるかもしれない。


「ご両親のことなら心配ないわ。ぐっすり眠ってた」

「あんなに警報装置が鳴ってたのに?」

「この子供の召喚獣じゃないかしら。女性が逃げてるとき、誰も助けに来なかったんでしょう? 実は三体目がいて、周囲の人間を眠らせてた可能性が高いわね。あなたは術士だからひっかからなかっただろうけど」


 改めて、地面に横たわっている少年への怒りが湧いてきた。しかし相手は未成年だし、使ったのが怪しげな召喚術とくれば刑事も民事も立件は難しいだろう。


 ……となると、絡め手から攻めるしかない。


「ルーナ。悪いけど、これから僕の言う通りにしてくれる?」




 数日後、リビングで朝食をとっている僕の横に父が座った。相変わらず厳しそうな顔立ちをしているが、その口元が緩んでいるのが見える。


「どうしたの。今日はずいぶん嬉しそうだね」


「ライバルが自分から勝手に転げ落ちていったからな。今週末は寿司でも食いに行くか」

「会社で何かあったの?」


 だいたい結果の予想はついていたが、僕はしらばっくれて聞いてみた。


「ことあるごとに部下を家に呼びつけて、パワハラをしてたんじゃないかって言われてた奴がいてな。その会話を録音してた奴がいたらしく、全社とマスコミに流されてとんでもない騒ぎだよ」

「そりゃ面白いことになったね」


 その録音は僕も聞いている。少年の持ち物を探って住所を突き止め、レコーダーをルーナに設置してもらったのだから。


 少年のご立派なパパのいじめは、僕だけで独占しておくなんてもったいないほどひどかった。


「子会社への出向になるのは確実、下手すれば首だな。本人は子供が怪我をしていて大変だから見逃してくれと言っているが」

「父さんはそのつもりはないんでしょ」

「もちろんだ」


 そう言って笑う父は地獄の帝王みたいな顔をしていた。自分にも他人にも厳しいこの人は、やると言ったら本当にやる。なりたいとは思わないが、そういうところは尊敬していた。


「よろしくね」


 僕は小さな声で言って、そのままトーストをかじり続けた。




「義文叔父さんも、怪しげなもんを残してくれたよなあ……」


 その夜、僕は古びた本をはたきながら、ため息をついた。これをもらったために、僕の生活は一変したのだ。


「でも、今回のことは良かったと思っているんでしょう?」


 月光を受けて傍らに立つルーナがつぶやく。僕は何もかも見透かされていることに気付き、薄い笑みを返した。




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