第22話

 今日も仕事をするためにスラム街へ、テオと一緒に向かう。もう暑い夏ので白のノースリーブレースワンピースに茶色のサンダルに麦わら帽子という涼し気な格好だ。


「そういえばイヴァンがあなたのことを弟だって知って驚いていたわ」

「なんで? 似てないから?」

「んー、イヴァンは向けられてる感情が家族のものだと思わなかったって言ってた」

「……なんだよあいつ。対して話してもないのにそんなのも分かるのかよ」


 テオはぼそぼそと言う。

 イヴァンが言うに、姉とかそういうのではなくて一人の人間として私に好意を持っているのをひしひしと感じたという。そんなの、私は全然気づかなかった。それに、テオに限ってそんなことないだろう。だって今まで姉と弟として生きてたのだ。姉を女性だと意識するのには少々無理がある。

 イヴァンはそこんとこ分かってないんだなぁ。


「ねえ、姉様。その竜人の言葉が嘘じゃないって言ったら、姉様は困る?」

「えっ?」


 私は今考えていたことを聞かれたようで上ずった声を出してしまう。斜め後ろのテオの顔を見つめると、その言葉が冗談で聞いたものではないと分かった。

 困るかどうかの話よね。テオが実際にはそう思ってないけど、もしそうだったらの話よね。きっとそうだわ。


「確かに、困るかもしれないわ。だって私にとってあなたは弟なんだから。でも」

「や、やっぱり良い。何だかここで答えを聞くのは卑怯な気がするから。──さあ、姫様早く行きましょう。皆が待っております」


 テオは慌てて私の言葉を制すると、咳き込んで護衛騎士として私に声をかける。私は瞬きを繰り返したが、テオの言葉に返事をした。突然慌てるなんて、どうかしたのだろうか。


 スラム街はすっかり姿を変えていた。継ぎ接ぎだらけの家は全てなくなり、豪華ではないがちゃんとした家が建ち並んでいる。そこから私の訪れを耳にしたのか家から子どもが飛び出して両親も出てくる。

 どんよりとした空気が流れ、常にピリついていたあの空気は風と共に消え去って見違えるようだ。

 民にも笑顔が現れて私は喜ぶばかり。


「セレーア様、今日は何を持ってきてくれたの?」


 子どもたちが私を囲んで飛び跳ねながら尋ねてくる。その姿が可愛らしくて私はその場にしゃがんで持ってきた一つのバスケットの蓋を取る。そこに入っているのは子どもたちから人気が高いメロンパンとベーコンチーズパンだ。四つバスケットを持ってきているので一人一つ選んでもらうシステムだ。ただ二種類同じ数ずつなので早い者勝ちにはなってしまうが、どれも美味しいためお目当ての物がなくなってしまっても誰も嫌な顔をしないでいてくれる。

 あっという間に売り切れてその場に集まった人たちはパンを頬張る。皆が笑顔で感想を言ったり世間話をしていた。シェフにこの光景を教えてあげなきゃ。きっと喜んでくれるだろう。


 そんなとき、私の腹の音が盛大になる。恥ずかしさで顔が熱くなり、隣にいるテオはやれやれと首を横に振る。

 私だって好きで鳴らしたわけじゃないのに。美味しそうな物見たらお腹空くのは当然でしょ。


「セレーア様、一口どうぞ!」


 一人の少年がちぎったメロンパンを私に差し出す。今は一口サイズのメロンパンだって輝いて見える。本能が受け取れと言うが、彼らはただでさえ自分たちで食べていくのが困難な人たちなのだ。奪うわけにはいかない。私は帰ってシェフにお願いすれば食べれるのだから、我慢だ。


「私のも!」

「僕のも食べてよ」

「僕も!」


 次々に子どもたちは一口サイズのパンを差し出して私は押し潰されそうになる。嬉しいけど、もらえないのよ。私の立場を分かってちょうだい、少年少女たち。


「王女様、もらってやってよ!」

「そうよ。あたしたちがこうして生きてられるのはセレーア様がいてくれるおかげなんだ。子どもたちの言うこと聞いてやってくれ」


 奥の方から子どもたちの母親と思われる人たちが私にそう言う。それに乗るように周りの大人たちがそうだと声を上げる。皆が楽しそうに笑い始めた。

 私はまたしゃがんで持っていた一つのバスケットの蓋を取った。


「じゃあ、私にくれる優しい子はこの中に入れてね。一口で良いからね。本当に嬉しいわ、ありがとう」


 その私の言葉を合図に子どもたちはちぎったパンを次々に入れていく。バスケットの半分ほどの量が集まって私とテオは顔を見合せて驚いた。


「一人で食べたら夕飯が食べれなさそうだわ。一緒に食べましょう、テオ」

「これは姉様がもらったものでしょう。私は結構です」

「またまた。目がパンに釘づけですぞ、お兄さん」


 テオは顔を赤くさせて小さな声で少しだけなら、と言う。最初から素直に欲しいと言えば良いのに。

 私とテオも立ちながらパンを頬張る。甘いパンとしょっぱいパンの組み合わせってなんて罪なのだろう。美味しすぎる。

 普段城にいるときは立って食べるなんて怒られてしまうから、このときだけの特権だ。この罪悪感がスパイスになってより美味しくさせたりする。


 私はスラムの人たちにお礼を言って次の場所に向かう。目的地はここから少し離れた場所にある教会。

 王都にただ一つだけある教会なのだが、規模はそんなに大きくない。北の地に大きな教会があるので、王都にはこじんまりとしたものだ。


 教会にある机と椅子を使い、二日に一回ごとに勉強の苦手な子や学園に通わせるほどのお金がない家庭の子どもを対象に、お昼から夕方にかけて学校が開かれる。日によって教科が違う。確か今日は数学の日だ。

 数学といっても前世のようになんだか難しい文字などは出てこない。簡単な計算などが主だ。ただこの世界はまだ前世ほど進んでいないので簡単な計算も理解できない子が多い。その子たちのために私たちがいる。子どもたちが大人になったときに困ることがないように。


 子どもたちより先に教会に着いた私は神父さんに挨拶をする。今日は私一人での授業だ。補佐にテオも参加してくれるそうなので勉強面に関しては心配はしてないけど、大勢の子どもを二人で時間内に見ることができるかは心配するところだ。

 準備をしていると教会の扉が開いて子どもたちがやってくる。子どもの年齢は様々。五歳くらいの子もいれば十歳くらいの子もいるし、十五を超えた子もいる。

 だけれど安心して欲しい。私は前世、ちゃんとそれなりに良い大学に合格して通っていたのだ。計算くらい朝飯前よ。

 訪れた子どもたちにそれぞれ能力にあった課題を渡していく。それを解いてもらって分からないところがあれば質問してもらって教えるという感じ。まだ幼くて問題も理解できないような子はつきっきりで見てあげる。

 今日はその仕事をテオに任せることにした。テオもこれくらいなら大丈夫だと自信ありげだったので安心だ。


 私はこの辺りじゃ頭の良い人として認識されている。でも、実際私のいた世界では普通のこと、当たり前のことだ。こんなんで頭良い認定で良いのかと逆に不安になるくらい。だけど、これを機にもっと頭の良い人が出て社会がより良くなったら本望だ。そのために私は子どもが積極的に質問してくれるのを良いことだと褒めて、納得してもらえるまでなるべく分かりやすいように説明している。

 平民出身でも頭が良ければ国家の重要機関で勤めることもできる世の中だ。学園を出たかなど学歴がどうのこうのではなく個の能力で判断する。良い世の中になってきている。


 今日の簡易学校も無事に終了。質問にも全て答え終わって神父さんに感謝をして神様にもお礼を言う。

 私たちはすっかり夕暮れの空の下を歩いて城に戻る。

 今日も疲れた。けど、前よりもずっと有意義な時間を過ごせている気がする。頼りにされるって気持ちが良いことだし、嬉しい疲れだわ。


「姉様はすごいです。学園に通ってないのに、私より頭が良くて」

「それならレオン先生を褒めてあげて。私をここまで育ててくれたのはレオン先生のおかげよ」

「確かに。また行こうかな。あそこのコーヒー美味しいし、最近行けてないし」


 テオは微笑んで言う。レオン先生と最近仲良くしているらしく、私がテオに休みをあげたりイヴァンの所に行っている間はよくあそこに入り浸っているらしい。ある相談をしてから仲良くなれたんだとか。一体どんな相談をしたんだろう。

 レオン先生は聞き上手だから、イケメンから話を聞けて嬉しかったのかもしれない。そういえば胸に刺さるイケメンは見つかったのだろうか。私も話をしに遊びに行きたいな。


 レオン先生の営む喫茶店は開店から行列ができるほど大繁盛しているから、ちゃんと休めてるか心配。

 この世界の人は休まず働く癖があるから心配する人が多すぎる。皆ちゃんと休んでね。


「姉様、少し止まって」


 私は止まって振り返る。それと同時に手を右手をすくわれ、薬指に指輪がするっと入っていく。

 左手の小指にイヴァンからもらった指輪をつけて、次は右手の薬指か。これじゃあちょっと陽の人みたいになっちゃうじゃない。私は陰に生きる人間だから、こんなアクセサリーまみれの女になるはずじゃなかったのに。

 ……と、そんなことはともかく、急にどうしたんだろう。

 私が首を傾げながらテオの顔を見ているとテオは突然膝まづいた。誰もいないレンガの道。木々が揺れる音が向こうから聞こえてくる。


「ちょ、ちょっとテオどうしたの。立ってよ」

「聞いて、姉様」


 真剣な声で言われて私は黙った。私の右手を掴むテオの両手は少し震えている。何か怖いことでもあったのかな。

 私が左手でテオの頭を撫でようと手を伸ばしたとき、テオが息を大きく吸い込んだ。そして顔を上げて私と目が合った。テオのきらきらと輝く目が私の姿だけを映している。


「私は、幼い頃から姉様のことが好きでした。最初は姉として好きだったのかもしれない。だけど、いつしか胸が苦しくなったんだ。姉様、いやセレーア・ルキウスのことを一人の女性として好きになったんだ」

「……へ?」


 私は情けない声を出してしまう。突然の告白に私は思考が止められた。テオが、私のことを女として好いている。そう、言っている。どういうことだ?

 私の脳を言葉が行ったり来たりする。落ち着け、落ち着いてくれ私!

 前世と合わせてもこんな真剣な告白は始めてで、私は汗がたらたらと流れてきた。手汗もすごい。テオ、お願い離して。幻滅されるほど手汗すごいから。


「と、とりあえず手を離して。手汗が、すごいから」

「構いません。あなたの汗でさえ愛おしい」


 そう言ってテオは自分の額に汗びっしょりの私の手の甲を当てる。やめてやめて、手汗が本当に止まらない。

 そんなことよりテオにこんなヤンデレ属性があったなんて。いや、昔からそんな兆しがあったような。お兄様たちと同じ重度のシスコンだと思っていたのに。シスコンどころの騒ぎじゃなかった。


 どうするべきか。応えるべきだろうか。いやでも騎士と王女って、あり、なのか?

 いやいやいやいや、そんな話じゃなくて。私はテオの秘密を知っているから良いけど、知らない人からしたらただのヤバい姉弟だ。家族で恋人なんて禁忌だろうから、うん。


「やっと、やっと言えた」

「やっと?」

「ずっと、告げようか迷っておりました。師匠にもたくさん相談しました。後悔するくらいなら、決着をつけるべきだと思ったのです」


 そう言うテオの顔はもう先程のような怯えた様子はない。きっと、私が首を縦に振っても横に振っても同じ反応をするだろう。テオのことだからこの想いを伝えて私が困らないかどうかとかのことを心配していたのだろう。優しい、人だ。


「答えなら何年だって待ちます。私の気持ちが変わることはありません。二十年近く慕っていたから、絶対に」


 そう言ってテオは立ち上がった。見慣れた顔が、なんだか別人のように見える。私の心臓はドクドクとうるさい。


「ありがとう、テオ」


 私は大きく息を吸い込んで吐き出す。そしてテオのその目をちゃんと見る。


「答えを出すのは少し待ってちょうだい。せっかく一世一代の告白をしてくれたんだもの。これからは弟ではなく男の人としてあなたを見るわ。できるかは、分からないけどね。それでも良い?」

「はい、ありがとうございます」


 テオは涙を一筋だけ流しながら満面の笑みを浮かべた。きっと緊張して先程も手が震えていたのだろう。気が緩んで安心して涙が出てしまったのかもしれない。

 私たちは隣あって歩いていく。もうすっかり外は暗くなってしまっている。


「それにしても、この指輪はどうしたの?」

「ああ、姉様の左の薬指の予約です」


 そう言って私が手を前に出してきらきらと輝きを放つ宝石のついた指輪を見る。きっと高かっただろうに。

 私がそう指輪に気を取られているとテオがその私の右手をとって、指輪をつけた薬指にキスをした。


「独占欲の塊じゃない。よく隠せてたわね」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 テオは妖艶に笑う。色っぽさに私はどきまぎしてしまうが首を勢いよく横に振ってこの熱を消す。この色男に惑わされてはだめだ。一応私の方が歳上なのだから、ちゃんとしなくちゃ。

 そうして、この世界で産まれて二十四年目のこの日に私の更なる波瀾万丈な生活が幕を開けた。

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