第21話

 私、セレーア・ルキウスの話をしよう。


「テオ、行ってくるね」

「もう行ってしまうのですか」


 今テオのお尻につく大きな尻尾が垂れ下がったのが見えた。何だか犬のように見えて私は笑ってしまう。

 私が行くのは私の恩人でもある人の元だ。


「すぐ戻ってくるわ」

「本当にどうしても行かなくちゃならないんですか?」

「……約束してるんだもの。テオの方が毎日顔を合わせているでしょ?」

「そうですけど、そうじゃないというか」


 私はよく分からないテオの言葉に首を傾げる。テオは深いため息をついた。


「私は、姉様が」


 テオはまたそこまで言って言葉を飲み込む。首を横に振って、そのまま俯いた。


「行ってらっしゃいませ。夕飯は召し上がりますか?」

「ううん、要らないわ」

「……左様ですか」


 テオを取り囲むどよんとしたオーラが苦しい。そんなに寂しいのかな。私はテオの顔に触れてその頬をわちゃわちゃと撫でる。クロウド兄様は私によくこれをやっていた。お兄様、元気にしているかな。

 私を見るテオの顔は、今は護衛騎士としてではなく弟のテオとしての顔だった。


「行ってきます。大好きよ、私の可愛いテオ」

「行ってらっしゃい。愛してるよ、姉様」


 何だか苦しげにテオが言う。私にそんなテオに手を振ってバルコニーに出る。そして心の中であの人の名を呼ぶ。


 イヴァン、あなたの元に私を連れていって。


 その私の願いに応えるように私の体が光に包まれた。


 ◇◆◇◆◇◆


 姉様が触れていた頬は熱い。どんな顔をしていただろう。せっかく夢を叶えたというのに、夢を叶えた後の方が胸が苦しい。こんなに近くにいるのにあんなに遠い。姉様はまるで蝶のように私の指に降り立ってはすぐどこかに飛んでいってしまう。今日だって、彼の元へ行ってしまった。

 あの綺麗で可憐な手で彼を愛でるのだろうか。あの可愛らしい声で何度も名前を呼ぶのだろうか。私にも見せないような笑顔を彼には見せるのだろうか。そう思うと無性に殺意が湧いて仕方ない。

 ぽんぽんと浮かんでくる腹立たしい光景を消すように私は姉様の部屋を出た。


 あの日、私は勇気を出して姉様に全てを告白した。自分の出身のこと。ましてや本当の父は母様を襲った人間だ。そんなやつの血が流れていると寒気がして今にも全て血を抜き取りたいくらいだが、そんなことしたら姉様と二度と会えなくなるのでしない。一度たりとも父親だと思ったことのない男。感謝するのは私をこの世に生み出してくれたことだ。おかげでセレーアという最愛の人に会えた。

 あの日私ができなかったのは姉様への想いの告白。幼い頃から募らせたこの想いを伝えるべきか迷って、結局私は言えなかった。姉様に嫌われたら嫌だと怖気ついてしまったのだ。そのせいで今はこの有様。姉様は恩人だという男の元に数ヶ月に一度行ってしまう。

 何百年も生きる竜人族を治める竜神。数年前の戦争も彼が止めたと言っても良いだろう。彼の落とした無数の雷が両軍を撤退させ、戦争が終わった。国は彼に感謝している。私もそのことに関しては感謝している。

 が、姉様を奪っていったことは許していない。姉様は帰ってきたらイヴァン、イヴァンとうるさい。あんな無愛想な男のどこが良いのだろう。姉様を愛してくれる保証もないじゃないか。私なら姉様だけを愛するし姉様が望むことだけをする。

 あんな、あんな姉様を阿呆呼ばわりするような男なんかに!


 私はその苛立ちを足に込めてカンカンと履いている皮のブーツが床を鳴らす。

 姉様が幸せなら、それが一番だ。その隣にいるのが私でなくとも。そう昔は思っていた。だが歳を重ねるごとに膨らんでくること独占欲は歯止めが効かない。姉様の隣に立つのは私でありたい。専属護衛騎士であることを選んだ自分が何を言っているのだという話だが、それでも良い。騎士が姫と結婚してはいけないというルールはない。現にシュティル兄様は平民の娘と結婚した。なら、騎士でも問題ないだろう。

 それにあいつは姉様の唇を勝手に奪った。それはもう死んでも許す気はない。これ以上姉様に手を出す前に何とかしなくてはいけない。


 今日こそ、今日こそ想いを告げるのだ。姉様があの男に本格的に惚れてしまう前に。姉様をあんな年寄りに渡すものか。


 ◇◆◇◆◇◆


 時をまた三年前に戻す。


 私は会えなくなってしまったイヴァンソロディス様のことが気がかりで仕方なかった。勝手にキスまでして契約を結んでおいて、やるべきことを終わらせたらぱったりと消息を絶った。一度くらい会いに来てくれても良いのに。そう思ったってイヴァンソロディス様は来なかった。

 私はある日思い立ってバルコニーに立って大声で叫んでみた。そしたら来てくれるかもしれない。何度も声が枯れてしまうほどに叫んだが彼は来てくれなかった。諦めて振り返ったとき、古代ギリシアの人が着てたみたいな白い服が目に入る。

 私は勢いよく見上げた。そこにいたのは、顔がとてつもなく美しい竜神、イヴァンソロディス様だった。


「うるさい。近所迷惑だ」

「近所迷惑って、この近くに人は住んでませんよ」

「街まで聞こえているぞ」


 私はその言葉を聞いて口を押えた。それは、なんだかものすごく恥ずかしい。


「それにその様とはなんだ。気味が悪い」

「なんですか、気味が悪いって! だって、お兄様たちがあなたがすごい人だって言うから、恐れ多いなって」

「王族が何かに恐れてどうする。良い、呼び捨てで」

「良いんですか? 不敬だと殺しませんか?」

「なぜそのような考えに至る。勝手にしろ。それで、何か用か」

「用ってわけじゃないんですけど」


 私は気になっていたことを全て質問した。なんで会いに来てくれなかったのか。あの後どうしていたのか。今どこに住んでいるのか。質問攻めにはなってしまったが当然だ。こちらに来てくれると思ったのに来てくれなかったのだから、心配していた。

 体とかは無事だったのだろうか。


「我は昔竜人族が住んでいた天空の国にいる」

「て、天空の国?」


 なんだそのファンタジー要素たっぷりの国は。


 イヴァン曰く、本当にその名の通り空の上にある国だという。竜人族が許した者のみが行くことを許される幻の国。それが天空の国・ルウィーテ。

 なんだかルキウスとかアルキューテと似ているなと思ったらどうやら両国はこのルウィーテから国の名をつけたらしい。ルキウスが建国したのはイヴァンが産まれるよりも前の話らしく、真偽は定かではないが、そう書いてある書物があるのだとか。


「行ってみるか?」

「え、良いの!?」

「ああ。貴様は契約を結んでいるしな。我しかおらぬが、それでも良ければ」

「行く! 連れていって、イヴァン」


 私が喜んでそう言うとイヴァンも微笑んでくれた。

 イヴァンは右手の手のひらに息を吹きかける。するとそこに小さな星のようなものが散りばめられた。それはたちまち私たちを囲み、体が重力に逆らい始める。突然の光が視界を遮った。

 光が消えるとそこに広がっていたのは辺り一面の草原だった。青い空には雲一つない。地面にはカラフルな花がぽつぽつと咲いて可愛らしい。奥の方には池のようなものが見える。川も流れている。

 目の前にはその存在を示す、アテネにある神殿のような白い大きな建造物がある。なんというか天国みたい。


「素敵な場所」

「ほう、貴様はそう思うか。珍しいな」

「この景色を見て素敵だと言わない人が逆にいるんですか」


 私は少し大きな声で驚いてしまう。イヴァンは私の言葉に頷いた。

 信じられない。こんなに綺麗で美しい場所を綺麗だと思わないなんて。どんな世界で生きてきたんだ。


「ここに来るのは大体聖女だ。ここには何もないからつまらないと駄々をこねていた」

「そ、そうなんですか……」


 私と違って聖女の方は突然わけも分からないまま異世界に召喚されて、自分の人生を邪魔された上にこんな場所に連れてこられたら、そりゃ景色なんて楽しんでる場合じゃないなと思った。


「我もこの景色には飽きる」

「確かに、同じ景色が続いてますもんね」

「ここは景色も変わらぬ。天候も何もかもが変わらない。永遠のような時が流れる場所」


 風が私たちの間を通り抜ける。

 永遠のような場所。景色も何もかも変化のない場所。そこにいた竜人族はどんな気持ちでここにいたんだろう。そして、天の上から地底に住むことになって、彼らはどう思っていたんだろう。私には到底想像できるものじゃなかった。

 たくさん聞きたいことがある。話したいことがある。くだらない話もしたい。だけど、それの全部が喉より上に這い上がってこない。まるでそこに仕切りがあるように、私の口から言葉が出てこなかった。

 草が風に揺られる音が耳鳴りのように音を立てる。


「我は初めて契約を結んだ」

「は、初めて?」

「ああ。聖力を持つ者と契約を結ぶこと。それはつまり命を捧げるような行為だった。契約主である、我にとっては貴様が死んだとき。我は活力となる魔力を失い死ぬ。それがくだらなくて全て却下していた。何でもないやつと契約して我に何のメリットがあるのか、理解できなかった」


 私は息を呑む。それって、私が死んだらイヴァンが死ぬということだろうか。イヴァンが勝手にやったこととはいえ、良かったのだろうか。もし私が早死してしまったら、イヴァンの人生を奪うことになる。それは嫌だ。


「そんな難しい顔をするな。良い、我はどうせただ一人しかおらぬ。今すぐ死んだって誰にも責められない」

「でも、あなた一人しかいないのでしょう?」

「伝説となるだけだ、竜人なんて。天の国にいた竜人族。いつの日か戦争と同じように本当にあったかは謎な話になる。だから良い。それに魔法など使わなくても生きていける社会だ。我らは不要なのだよ」


 私はイヴァンの話を聞いて肩の力を抜くとその場に寝転んだ。


「イヴァンは自虐する癖があるわね」

「そうだったか」

「あら、自覚なし? 生き残ったのには絶対に理由があるわ。それが竜神様だからって理由があるのは確かだけど、そうじゃなくってね。あなたがこの世界に残されたのはきっと何かまだ役目が残っているからな気がするわ」

「例えば?」

「例えば……。うーん、誰か好い人を見つけるとか!」

「はっ、無理だな。興味ない」

「そんなに綺麗な顔して、もったいない」


 私はイヴァンのいる方に寝返りをうつ。ギルベート兄様といい、どうしてその顔の良さを利用しないのだろう。私だったら女の子にとりあえず声かけまくるのに。そのくらい良い顔なのに。


「貴様は?」


 突然私の横にイヴァンさんが横になる。私たちは真正面に向かい合う形で横になっていた。綺麗な顔がすぐ目の前にある。つり上がった目に長いまつ毛の影が落とされる。形の良い唇は潤いを持っている。触ったらぷにぷにしてそう。白くて毛穴の一つも見えないモデルさんのような肌。本当に神様みたいに綺麗。その逞しい体と喉仏さえ隠したらイケメンな美女にも見えなくない。全貌が見えて喋ってしまったら全然男の人なんだけどね。

 それにしても眩しい、眩しすぎるわ。直視できない。この彫刻作品イケメンめ。もう、人類の最骨頂だろう。写真集はまだですか。


「どういうことですか」

「貴様は、色恋に興味はないのか?」

「大ありです。私だって早く恋愛したいですよう。こんなに可愛い顔に産まれたのに、独身なんて絶対、絶対に嫌です!」

「ならパーティーに出れば良いだろう。顔の良い男なんてうじゃうじゃといるのでは? 知らぬが」


 語尾に知らんけど、をつけて喋る関西人みたいにイヴァンは言う。

 ……関西人の方、間違ってたらすみません。私は関西から遠く離れた埼玉の田舎者なんです、許してください。埼玉に来たら彩果の宝石とかいうゼリーをお土産にどうぞ。ゼリーフライなんかも食べていってくださいね。生憎観光地ばかりの関西と違って秩父と川越以外何もない所ですが。

 そう、とりあえずもう二度と会うことのない関西人に心で謝った。


「顔の良いのは周りに多いのでハードルが高いんです」

「世の男が泣くぞ」

「顔じゃないです。中身です。優しくて大事にしてくれて、よぼよぼになっても愛してくれる人が良いんです」

「では、貴様が望むその性格の持ち主が大変な顔をしていても良いのか?」


 大変な顔と言うイヴァンについ笑ってしまう。不細工だとか言わないで大変な顔って言うんだ。初めて聞いた。面白い表現だなと私は変なところでツボに入ってしまった。

 一通り笑い終えて私は呼吸を整える。何が面白いの分からないのかイヴァンは首を傾げていた。


「もちろんです。顔は二の次ですから。顔が良いなと思う一時の幸せか、優しい気持ちを一生味わえる幸せ。私だったら後者を選びます」

「女は顔の良い男が好きなのだろう。貴様は違うのか」

「いえ。イケメンは好きですよ。大好物です。イケメンで性格も良いなら最高なんです。その上筋肉もあればもう何も望むものはない。分かりますか?」

「う、ううむ」


 私はオタク特有の早口でイヴァンに迫る。すぐ目の前の綺麗な顔は顔を顰めて少し顔を逸らした。

 危ない危ない。つい熱くなって語り出すところだった。日本人オタク魂は恐ろしいものだ。


 この誰しもに埋め込まれたオタク魂。それがアイドルでもアニメでも芸術でも何でも構わない。何かに熱中したとき、人は誰でもオタクという恐ろしい怪物になることができる。何かに熱中できるって、よく考えると素敵なことよね。生きる活力にもなるし。人それぞれ夢中になることは様々で、まさに十人十色というやつだ。


「もし私が結婚したときには結婚式に来てくださいね」

「気が向いたらな」


 私たちは笑い合った。初対面のときはあんなに感じ悪かったイヴァンも今ではこうして何気ない会話で笑ってくれるようになった。それが、何だか無性に嬉しい。

 それから私たちは二ヶ月に一度このルウィーテで会うことを決めた。私も教会で非常勤講師としての仕事もあるし公務もある。

 お父様が執り行うと宣言したスラムの方に行く仕事もある。これからスラムは大きく変わるだろう。家も建てられる予定だ。仕事も与えられ、食料も少ないが無料で提供する。子どもたちへの教育にも力を入れて、ますますルキウス王国は栄えていくだろう。この歴史的瞬間に生きることができて光栄だ。


 更なる繁栄のために。私は国のために生きていくことをあの日に誓った。


「そうだ、セレーア。これを持っていろ」

「これは、指輪?」

「ああ。右の小指につけておけ。これがあれば我がおらずともここへ来れる」

「もらっても良いの?」

「我の主でもあるからな。二ヶ月と言わず、来たいときに来れば良い。我がここから消えることはない」

「ありがとう、とっても嬉しいわ」


 私が微笑むとイヴァンも少し口角を上げた。柔らかな風が髪を撫でていく。

 私とイヴァン別れを告げて、私は城に帰ってきた。突然消えてテオは心配していたようで、騒ぎを聞きつけていたギルベート兄様と一緒に叱られてしまった。ちゃんと二人に理由を話したら渋々了承してくれたが、これからはちゃんと連絡するようにと言われた。

 たくさん怒られたが、これも愛されている証拠。少しくすぐったくて、笑ってしまうと話を聞けとまた怒られてしまう。

 私はその後ちゃんと謝って二人と一緒にお昼ご飯を食べた。その日に並んだのは私の大好きなクリームパスタだった。

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