第18話

 私は夜までぐっすりと眠ってしまっていたようで、起こしてくれたメイドに礼を言う。簡単な身支度を終えて私は公爵と公爵令嬢が待つ執務室に向かう。

 メイドが執務室の扉をノックして私はその部屋の中に入る。そこには初老の男性、現公爵であるジュペー・ケルリスとその一人娘であるマリア・ケルリスが正面で立っていた。

 私はドレスを掴んでお辞儀をする。ここでマナーの授業が活きるなんて。真面目に受けとくものね。


「突然の訪問であるのにかかわらず、おもてなし感謝致します」

「頭をお上げください、王女殿下。あなた様がご無事なら何よりです」


 両者が頭を上げてそれぞれ椅子に座る。マリアさんの後ろには恐らく本当の護衛騎士である男性とその斜め後ろにテオがいた。弟の仕事姿が見られるなんて。ちょっと新鮮。


「王族へ伝書鳩での伝言、感謝しますわ」

「いえ、殿下の無事は何よりも大事な報せですのでね。陛下によると一日でも早く城に戻すようにとあります。お体の方は大丈夫ですかな」


 公爵は心配したように言う。人当たりが良さそうで優しそうな人だ。隣のマリアさんは、いかにもお嬢様という感じがする女の子。くるくると巻かれた銀色のロングヘアがそれを物語っていた。

 いやでも人は見た目で判断しちゃいけないと言うし、良い人かもしれない。


「お気遣い、ありがとうございます。私は大丈夫ですわ」

「それならば、今夜数名の騎士と共に城までご案内致しましょう」

「そんな、ここも避難誘導で大変なのでしょう。私共だけで参りますのでお気持ちだけ頂きますわ」


 先程イヴァンさんから聞いた。この領土に住む人々を避難するには人手が足りず、公爵自ら現場に行ったりなんてこともあるらしい。そんな中で私なんかに数人も出させるわけにはいかない。それに、イヴァンさんには瞬間移動の魔法があるし契約もしたから魔力に悩まされることはない。


「あんたが道中何かあったらウチが責められるのよ」


 自分のくるくるな髪を指で巻きながら上から目線に言う少女。

 や、やっぱりお嬢様だったー。

 王族である私にこんな態度をとってしまったことを心配してか隣の公爵が大きな声で名前を呼んだ。マリアさんも気まずそうに目を逸らしていじける。気まずいのは私の方よ。

 でも私は完全な王族でないのでこういう態度をとられても何とも思わない。むしろこの子の方が純粋なお嬢様なのだから、プライドが高いのかもしれない。私にはプライドなんて、欠片もないから……。


「も、申し訳ありません、殿下。まだ世を知らぬ若者でして」


 公爵はぺこぺこと頭を下げる。私はそれをやめるように促したが、そこで何かの違和感を感じた。なんだろう。その正体は分からないけど、何か変だ。


「テオは殿下の弟君であられましたな。テオ、殿下をお守りしなさい」

「御意」


 テオは右手の手のひらを胸に当ててお辞儀をする。公爵の計らいで私の案内兼護衛をテオ一人に任せることになった。それなら何人か連れていくよりは良い。それにテオなら気を遣わなくて済む。

 私もそれに礼を言ったのだが、一人反論の声を上げる者がいた。


「なんで! テオは私の護衛騎士よ。私が命令するの。テオは私のそばにいなさい」

「マリア、殿下は命が危険に晒されているのだ。それにお前にはエレクがいるだろう」

「エレクじゃ嫌よ、テオが良いの。エレクを連れていきなさいよ」


 マリアさんはエレクと呼んだ男性の足を蹴る。なんというか、反抗期だなぁって。テオのことを気に入ってくれたのだろうか。公爵家ならこのままここに残って仕事をするのも良いかもしれない。王族よりも危険は少ないし、ここは自然豊かで良い所だ。

 テオは誰の護衛騎士になるんだろう。どこに行っても、きっと気に入ってくれるだろう。なんてったって私の可愛い弟なのだから。


「エレクはお前の護衛騎士だろう。テオはエレクの元で実習している見習いに過ぎないのだ。わがままはやめなさい」


 公爵が咎めてもマリアさんは嫌だの一点張り。これは私が諦めるしかないかもしれない。


「私、エレクでよろしくてよ。あ、エレクさんがよければですけれど。元より私たち二人で城に向かう予定でしたので」


 そう説明すると公爵は気まずそうに目を逸らしたが頭を深く下げてエレクを前に出した。

 短い茶髪にしっかりとした体。まだ若そうな青年だ。護衛騎士の証であるジャケットを着ていて、そこの胸元には公爵家の紋章のバッジがつけられている。


「僭越ながらこのエレク・ディリオ、殿下の護衛を務めさせて頂きます」


 行儀良く大きな声で膝まづいて頭を下げる。私はお礼を一言言うと軽く公爵と話をして執務室を出て屋敷を出た。

 テオとはあまり話ができなかったけれど、元気そうで良かった。実習が終わったら少しは城に戻ってきてくれたら良いな。


 私たちは道中、人の気配を感じさせない道を通りながら城に向かう。馬に乗るとなると公道を通らなくてはならず、敵に存在を広く知らせることになってしまう。地道で時間はかかるがとりあえず国の中心部にある侯爵領に向かう。侯爵領より奥、つまり王都ではまだ敵の侵入は確認できていないので、侯爵領から馬を借りて城に向かうといった流れだ。


 歩きながらこのピリついた緊張の流れる空気をどうにかしようとエレクは色々と話してくれる。いつの間にか私の緊張も少しほぐれて気疲れすることはなくなりそうだ。後ろからついてくるイヴァンさんは何も言わない。

 話の中で私が先程感じた違和感の正体にやっと気がついた。


「そういえば、昔私の誕生パーティーで会った公爵と少し印象が変わっていたわ。少しお痩せになられた?」

「公爵領は小麦の生産で栄えております。ですが、近年は小麦の需要がなくなったことで赤字が続いておりまして、それで生産者にも給料が発生せず、民が離れて公爵領は過去最大の危機にあるのです」


 そう教えられて三年くらい前にレオンさんがケルリス公爵家が危なくなるかもしれないと言っていたのを思い出す。レオンさんはこういう社会情勢にも強いのでこういう予測は大体命中する。聞き流さないで何か考えていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。


 それにしても、小麦の需要がなくなるなんてことあるのかしら。だって小麦はパンにも麺にもケーキにもピザにもなる。

 そういや考えてみればこの世界に来てパン以外の主食を食べていない気がする。それにパンもバターパンかクリームパンかコッペパン。パンに具材を挟んだりジャムを塗ったりはするが、パンの種類的にはこんな感じ。王族でもこの三種類しかないのだから他の人たちは何を食べているんだろう。そりゃ飽きて小麦離れするわよね。

 これは私の出番みたい。前世の記憶を活かして城のシェフにお願いしてみよう。パンの種類増加と小麦の使用用途増加よ!


「エレク、安心して。私に解決策があるの。しばらくしたらきっと各地から小麦の取り寄せの鳩がたくさん来るはずよ」

「そ、それは本当ですか。本当なら幸せなことです」


 エレクは安心したように微笑む。きっとエレクは公爵家に忠誠を誓っているのだろう。こんな良い護衛騎士がいてくれて幸せじゃないの、マリアさん。


 私が公爵家の話をしていると今度はエレクさんの愚痴大会が始まる。お嬢様がどうだのこうだの。旦那様が最近元気がないとか。でもそこには心配と信頼が感じられる。きっと良い環境であったのだろうなと思った。メイドさんも執事さんも良い人ばかりだった。この現状が、公爵家をおかしくしている。早く何とかしないと。

 それよりも早くこの戦争を止めなくちゃいけないけど。


 中心部にある侯爵領は例えるなら東京だ。最先端のものが集まり、若者の街って感じ。ちょっと高めのブランド品とかも揃ってる。街全体が大きなショッピングモールみたいなので都心みたいな場所だ。

 いつもはもっと賑やかなのだというがこんな状況なので外に出ているのは騎士だけだ。公爵が侯爵家へ連絡を入れてくれていたようで私たちは領についてすぐに馬を渡された。

 馬の乗り方を私は知らない。イヴァンさんは少し説明を聞いただけで乗りこなしてしまった。私はエレクさんと一緒に乗ることになり、危なくない全速力で一直線に進んでいく。

 まるでおとぎ話のように続く石造りの道。これが公道だ。全ての公道は城に繋がっていて迷ってもこの道を辿っていけば城に着けるし、他の貴族の領土にも行ける。でもこれが敵にバレたら一直線に城に攻め込まれちゃうのよね。そのための防衛戦として貴族の領土があるのだけれど、メリットがあると必ずデメリットが存在するものだなって思う。


 馬を走らせていると公爵領を出てから四回目の朝日を目の前で見る。東の方からゆっくりと昇っていく景色は幻想的だ。遠くの方で高い所にある城のてっぺんが見えてきた。もう少しで城に着ける。


 あっという間にお昼になり、その頃には王都に着いていた。いつも賑わう大市場も誰の声も聞こえてこない。エレクによると国に避難警報が出て貴族の屋敷に逃げるか教会に逃げるかなどして避難しているそう。

 私はエレクにお願いをし馬を駐屯地の馬小屋に預けてもらった。エレクとはここでお別れだ。四日ほど一緒にいたから少しお別れが悲しい。だけれど私は国のために行かなくちゃならない。それに、エレクが信頼している公爵家のためにも早くしなくちゃだしね。


 私とイヴァンは坂を上り城の門を開けてレンガの道を歩いていく。だが、イヴァンが門の前で立ち止まりついてこなくなる。


「城には入らぬ。話をつけてこい」

「どうして? 皆良い人よ」

「気にするな。ここで待っている」


 私は家族にこの人が私を助けてくれたのだと紹介したかったのだが無理強いするわけにもいかない。待ってくれていると言っているし私は足早に城の扉を開けた。すると、扉の前にも人がいたのか城の中にいた人に私が開けた扉が当たってしまった。扉は外からは押して開くタイプなのだ。


「痛てぇな」


 イラついた声が聞こえて私はその場にしゃがんでその人に謝る。少し豪華な騎士服を着た尻もちをついたような体勢で、顔を押えていた。後ろに倒れてしまったのだろう。立てるだろうか。

 私がそう心配していると、その姿に見覚えがあるのを感じた。騎士なんて、団長とかそのくらい人しか見たことがないのに。こんな若い人、どこで。


「……ギルベート、兄様?」


 目の前にいる人をギルベート兄様と呼ぶ。最近騎馬隊に入団してからは駐屯地から城に帰ってこなくなったので久しく会ってなかった人。私がいなくなる前の誕生日の日に庭で少しだけ会話した人。

 その人は顔を覆っていた手をどけて私を見た。やっぱりギルベート兄様だ。


「セレー、ア」


 ギルベート兄様はぎこちなく私の名前を呼ぶ。目があちこちに泳ぐ。瞬きを繰り返し、それが夢かどうか確かめるように。そして手を伸ばして私の顔に触れる。


「お叱りを受ける覚悟はできてます。でもその前に私は──」


 私は俯いて言った。ギルベート兄様のことだ。私のことを馬鹿者と怒鳴ると思った。今はそれを全部受け止める。どんな罰だって受ける。そう覚悟していたのに。ギルベート兄様はそのまま私に抱きついた。私が苦しくなるほど、強く。


「何も、何もなかったか」


 まるで泣きそうな声でギルベート兄様は言う。頭を強く掴んでその髪をすいていく。私はお兄様から離れることができない。


「助けてくれた人がいるんです。おかげで、生きてます」

「この馬鹿者が」


 ギルベート兄様はそういつものように言ったが、それには愛が含まれていた。きっと心配してくれてた。誰よりも心配してくれたかもしれない。あのとき最後に話したのは自分だったと責任を感じてしまっていたかもしれない。

 私は何気に初めてギルベート兄様が泣いている姿を見て私はその背をさする。私はちゃんと生きてここにいるよって。


 鼻水を拭いながらギルベート兄様は立ち上がり、私は今までの経緯を短く話す。ギルベート兄様もこれまでの国のことを話してくれた。


 ギルベート兄様が騎馬隊を率いて各地を散策。お兄様がウェノプスへ行くとき、シュティル兄様もついていったそう。そのときシュティル兄様はノア兄様に会ったらしい。

 話を聞くにノア兄様はアルキューテの子宝に産まれなかった公爵家の養子縁組に入り、公爵亡き後に爵位についていたという。あの二年近くでそんなことが起きていたとは驚きだった。そんなノア兄様が私のネックレスを持っていたことからアルキューテが姫を攫ったと判断。法律に則りお兄様はアルキューテに宣戦布告。

 それから十日ほどで戦争が始まり、基本的な戦地はウェノプス山脈。だが紛れて国に入る兵もいて民は安全な地へ避難しているといった状況らしい。


「戦争を止める、か。ルキウスが退いてもあっちが退いてくれるか」


 ギルベート兄様は顎に手を置いて考える。私には一つ策が思いついたが、私の力でやるものではなかった。イヴァンさんに力を貸してもらおうとしたのだ。何か魔法で両軍の戦いを止めることができないものかと。


「私、少しある人と相談したくて、少し外に出てきます」

「は? お前、何考えてんだよ。攫われたばっかだろ」

「えっと、門の外で待ってくれているんです。その人にその策を実行しても良いか聞くだけです。本当です」

「なら俺も着いていく。もし何かあるようなら俺がぶっ殺す」


 相変わらず物騒な言葉に私は苦笑する。二人で城を出て門の外にいたイヴァンさんに駆け寄る。本当に待ってくれていた。

 私は門を開けた。その音にイヴァンさんは顔をこちらに向けた。


「もう終わったのか」

「いいえ、あなたに手伝って欲しいことがあって」

「国を滅ぼすか?」

「そんなことしないわよ。何か戦ってる人を自分の国に戻ってくれる魔法とか、ない?」

「そんな都合の良い魔法があるか。だが、前のように戦争を止めるのも良いかもしれない」


 前のように?

 私は首を傾げる。イヴァンさんは何だか楽しそうに話す。大量虐殺とかじゃなければ良いんだけど。

 すると私の背後にいたギルベート兄様が私の肩に手を置いて屈み、私に耳打ちする。


「おい、この男は?」

「イヴァンソロディスさん。地底にいた人よ。この人が私を助けてくれてたの」

「地底……? いや、そんな馬鹿な」

「貴様は」


 イヴァンさんは冷たく低い声で問う。それは私にではなくお兄様に向けられていた。身長の高い方であるお兄様はイヴァンさんを見上げて睨むように見ていた。


「ギルベート・ルキウス。こいつの兄だ。妹が世話になったようだな、礼を言う」

「ふっ、その姿を見る限り、騎士か」

「ああ。騎馬隊副隊長をしている」


 イヴァンさんはその切れ長の目で観察するようにギルベート兄様を見た。


「地底ということは、お前は竜人族か」

「ほう、このお花畑よりは教養があるようだ」


 イヴァンさんは少し口角を上げて言った。お花畑と呼ばないでよ。ちょっと頭が楽しそうな人になっちゃうでしょ。これでも私頭の良い方だと世に知られているんだから。


「そうだ。我は竜人族。お前たちの先祖が地底にやった哀れな種族よ」


 自虐するようにイヴァンさんは言う。歴史の授業でそんなこと言ってたっけ。レオン先生の授業を思い出すと最近ハマってるスキンケアの話と入団した騎士のイケメンリストしか出てこない。レオン先生はいわゆるオネェなのだ。

 戦争、戦争、戦争……。


「戦争を止めた地割れを生み出した神?」

「我はそのように伝えられているのか。笑えるな」


 かつて書庫で読んだ歴史入門書を思い出した。

 激しい衝突は止まず。それを止めたのが天空にいたまるで神のような風貌の男。ウェノプス山脈の頂上に大きな地割れを作り出した。それでも小さな争いは続いたが大勢の犠牲を出す戦争は終わったという。

 まさか、その本人がイヴァンさんだったとは。イヴァンさんではなくイヴァンソロディス様と呼ぶべきなのでは。


「地割れは作らぬ。というかもう作れないからな。いかづちをそこに落とそう。何度も間近で落ちたら戦争どころではなくなる」


 イヴァン、ソロディス様はそう言う。楽しそうに話すのは、見ていて嬉しいがギルベート兄様と言い物騒なので私は全然笑えない。だがこんな状況でどうか穏便に、なんて当然言えるわけもないので何も言わなかった。


 私は安全のため城に避難することにした。イヴァンソロディス様はそのままウェノプス山脈に向かうと姿を消した。

 それからしばらくして大きな雷の音が国中に鳴り響いたのも、また伝説として書き残されることとなったとか。

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