第17話

 私たちはテオのおかげで公爵邸に入ることができ、客室に通されていた。メイドに湯浴みしてもらい、何日もお風呂に入っていなかった体は綺麗になる。イヴァンさんも嫌々一人で湯浴みしていた。元々綺麗だった髪は艶めきもプラスされてさらに美しさに磨きがかかる。私より綺麗なのではないだろうか、この人は。


「イヴァンさん、契約の仕方がキスなら先に行ってくださいよ。私、初キスだったんですから」

「初キス? 貴様が?」

「悪かったですか」

「王族だろう。キスの一つくらい、するのではないのか?」

「王族にどんな偏見持ってるんですか。言ってくれたら覚悟できたのに……」


 私が頬を膨らませて文句を言うように呟いているとイヴァンさんは目の前で視線を逸らした。


「すまない、キスなんてとっくに色んな男とやっているものだと思っていた」

「やってませんから! なんでそう思うんですか」

「昔関わっていた王族は皆そうだった。夫、妻の他に愛人というものが幼い内からいて、聖女などもそうだったな」


 なんか、今聞きたくないことを聞いてしまった気がする。幼いときに愛人がいるとかどんな世界線なのよ。ハードすぎるわ。私なんて、お兄様以外まともに話したのイヴァンさんくらいなのに。私が、おかしいのかな。私って、お嫁に行けないやつ?

 そう思うとなんだか涙が出そうだ。


 イヴァンさんは確認したいことがあると部屋を出ていった。元々この部屋は私用に用意されていたのでイヴァンさんには別に部屋があるのかもしれない。むしろそうであって欲しい。さすがに公爵家、そこら辺は配慮してくれると信じています。


 私はふかふかのベッドに身を沈める。今日は色んなことがあってなんだか疲れてしまった。公爵も令嬢も今は領土のことで忙しくしているので話をするのは今夜になると言う。

 執事の方には何度も頭を下げられてしまったがこちらこそ頭を下げたいくらいだ。忙しい戦時の中、客室まで用意してくれたのだからお礼をしなくてはいけない。


 公爵領にもアルキューテの兵が忍び込んでしまっており、屋敷に避難していた民を隣町に避難させているところだという。民を引き受けてくれる町探し。そこまで安全に連れていくルート探し。その騎士の派遣。公爵家は今が一番忙しくしているという。

 それに何より領土に敵兵がいるのが一番の問題だ。どうにかして彼らを始末せねばならない。先程イヴァンさんが数名殺してしまったから現在は残り三名の生存が確認できていると言った。


 そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえて私は返事をした。メイドかな。

 しかし、そこに入ってきたのはメイドでも執事でもなかった。


「テオ、仕事は大丈夫なの?」


 部屋に入ってきたのは護衛騎士が着るジャケットを脱いだ姿の弟、テオだった。なんだか苦虫を噛み潰したような顔をしている。何かあったのだろうか。

 私は心配になって起き上がってゆっくりとテオに近づく。


「姉様は!」


 テオは私を咎めるように大声で言う。私はテオから聞いたこともない大きな声を聞いてついびっくりして体を揺らしてしまう。


「一体何日行方を眩ませていたかご存知ですか」

「え……? えっと、十日とか?」

「ほぼ一月ひとつきです。三十日も行方が分からなかったのです。その上ウェノプスで姉様のネックレスが見つかり、その後尋問で五名が姉様を攫ったことが分かった。それで今はこの有様です」


 私は改めて身内から咎められ、手を握りしめて唇を強く噛む。口の中が血の味で溢れたが、今は何の味も感じない。この有様だという言葉と先程まで見ていた光景が頭にこべりつく。


「ごめんなさい姉様。私は怒るつもりではなくて、ただ心配で、堪らなくて」


 テオは私に近寄るとその分厚くなった手で私の頬を包み込んで親指で頬を撫でる。

 そこで私は気づいた。知らぬ間に私は泣いてしまっていたのだ。それに気づいたら涙は止まるどころか溢れ出て嗚咽が腹から込み上げた。私はテオの胸に顔を当ててそのまま子供のように泣きじゃくる。

 私より背の低かったテオなのに、今では私の頭はテオの胸辺りにある。それに何気なく言っていたが一人称が僕から私に変わっている。大人に、なったんだなぁ。


 テオは私の背を慰めるように優しく撫でる。かつて、私がテオによくしていたように。それに安心を覚えて私はそのまま意識を手放した。


 ◇◆◇◆◇◆


 久しぶりに見た姉様は、とても綺麗になっていた。消息が途絶えて戦争も始まって。なのに、久しぶりに姉様をこの目が捉えたとき。安心とかよりもその美しさに目を奪われてしまっていた。


 王族から公爵家宛に伝達が来たときはまともに考えることができないくらいには動揺した。姉様が誕生日に連れ去られた。私も誕生日にはサプライズで物を贈っていた。ティナから届いたと連絡が来ていたからその日を待って、最近は連絡がなくなってしまった姉様から久しぶりに連絡が来たらいいな、なんて思っていた。だが、当日私の元に来たのは一生の中で一度たりとも聞きたくもない報せだった。


 姉様を探すためにウェノプスにだって、アルキューテだって行きたかった。連れ去ったやつを生け捕りにしてこの世で最も残酷な処刑で殺すのも良い。アルキューテを滅ぼしたって良い。姉様を攫うなんて、万死に値するのだから。だが、今の私は王族であるというより公爵家で実習させてもらってる見習い騎士という身。自由に行動するどころか仕えている公爵令嬢であるマリア・ケルリスを守ることを最優先にしなくてはならなかったため姉様を助けるなんてことはできなかった。

 正直マリア・ケルリスのことなんてどうでも良い。そこら辺で死のうが私には関係ない。姉様さえ幸せに生きてくれたら望むものはない。

 だが、ここで実習を終わらせ担当騎士から合格印をもらわねば正式に護衛騎士になることはできない。姉様の元で生きることが叶わなくなる。それは嫌だった。だから私は嫌な仕事も完璧にこなした。

 マリア・ケルリスに正式に自分の護衛騎士にならないかと持ちかけられたが断った。どんなに良い条件を出したとしても無駄だ。私はたとえ無賃金でも姉様の元にいたいのだ。わがままで贅沢好きで自己中心的なお嬢様の元で働く気なんてさらさらない。


 私は胸で泣きながら子どものように泣き疲れて眠ってしまった姉様を横抱きにしてそのベッドに寝かせる。涙を拭い、口から垂れる血を拭く。血が出るまで噛んだのだろうか。そこまで追い詰めたのは、私だ。姉様の体に傷をつけてしまって私は悔いた。なぜ、あそこで姉様を苦しませるような言葉を口にしてしまったのだろうか。やっと、何年かぶりに会えたのに。嫌われてしまったらどうしよう。こんな男になってしまったのかと幻滅されたら。


 私は膝まづいて姉様の細く白い手を両手で包む。ほんのりと温かい。ちゃんと食べているのだろうか。細すぎやしないだろうか。何かあったとき、身を守れないのではないのかと心配になる。

 姉様の顔は相変わらず綺麗だ。子どもの頃と比べて全体的に大人びていて、優しい印象のある美しい顔になっていた。ここまて言うと私がまるで変態のように聞こえるかもしれないが断じてそれはない。姉様のことがただ好きなだけだ。純粋な気持ち。

 こんな美人では変な人に言い寄られていないかと不安になったとき、私はあることを思い出した。

 部屋に入ろうとノックしようとしたとき、部屋から二人の声が聞こえて失礼ながらその会話を聞いてしまったのだ。

 姉様と一緒にいた背が高くて髪の長い美しい男。二人はどんな関係なのだろうかと思っていたときに聞こえたのはキスという言葉。姉様の初めてを奪った男。それだけで憎たらしくて仕方ない。あいつがドアを出たときに仕留めようかと思ったがぐっと堪えた。


 私は油断していた。法律で姫が城、ましてや街の外から出ることは基本的に禁止されている。その時期になったら婚約などの話が出ると思うがすぐには決まらないはずだ。私の実習期間が終わるまで、待ってくれたら、私は姉様に護衛騎士にしてもらえるよう願い入れ、自分の抱える秘密を全て明かす。それを受け入れてくれたらこの気持ちを伝える気だった。

 姉様にしてみればいい迷惑かもしれない。あまりにも大きな情報に姉様は混乱するかもしれない。姉様を困らせてしまうかもしれない。でも、姉様だからこそ期待してしまう。姉様なら受け入れてくれると、期待してしまうのだ。


 私は柔らかい姉様の唇に触れる。この唇に、あの男の唇が触れたかと思うと背中に冷たい汗が流れる。私だって今この唇に自分の唇を重ねることだってできる。寝ているからきっとバレない。それでもしないことを選んだのは、こんな考えをするくらい自分はイカれてしまっているのに、姉様に変なことで嫌われたくなかったから。私はまだこの意気地なしは治っていなかったようだ。まだ、鍛えなくてはいけないみたい。


「姉様、私の愛しい姉様。あなたは私の、王族の秘密を知ってまだ私の名を呼んでくれますか」


 私は自虐的に笑うとそのするすると通り抜けてしまう髪を撫でてその手の甲にキスを落とした。生涯、忠誠を違うのはセレーア・ルキウスのみなのだと自分の心臓に言い聞かせて部屋から立ち去った。そろそろ鳩が到着する頃だ。

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