第16話

 私が目を覚ましたのは何やら騒がしくなったから。


「やっと起きたか。そろそろ手が痺れた」


 イヴァンさんがそう言うと私をちょっと雑に下ろしてそのまま歩き出す。もしかして、ずっと歩き続けてくれていたのだろうか。私は上を見上げて光が見えるのを目を開かせて驚いてしまった。私が眠る前は光なんて見えなかったのに。もう三分の二は上がってきてるだろう。申し訳なさが込み上げてくる。


「その、ごめんなさい」

「なぜ謝る。我が許可したことだ」

「そうですけど、こんな長く眠ってしまうなんて思わなくて」

「普段から寝ていないのだろう。休息は必要だ」

「でもイヴァンさんは」

「我は必要ない」


 また突き放されて私はもう何も言わずに後を追いかける。イヴァンさんだって同じ人なのに、休まないとそれこそ倒れてしまう。イヴァンさんが倒れたら、私が何とかしなくちゃ。

 イヴァンさんの言葉通り最後の休憩スポットで残りの魚を食べて少しストレッチをしたりと体を休める。さっきたっぷり寝たからもう眠くはない。


「騒がしいのが分かるか」

「……はい」

「恐らくもう戦争は始まっている。このウェノプスで争っているのだろうな。うるさい」

「そんな、なら早く行かなくちゃ」

「急いても戦の真ん中に出てその身に危険が及ぶ」

「でも、早く出てお兄様たちを止めたいの」


 イヴァンさんは顎に手を置いて考えるように俯く。

 確かに頭上では地響きのような音が何度が聞こえる。それが上で馬や人が走っている音だと言った。皆は無事だろうか。


「裂け目の一番端から出る。そこに兵がいても困るから少しの間姿を消す。その間にウェノプスを出るぞ」


 私はその提案に頷いた。端と言うと階段を少し伸ばす必要があるのだという。手で動かすように押したり引いたりしている。階段の全貌が見えているのかな。

 しばらくして階段ができあがると私たちはまた歩き出した。

 瞬間移動の魔法もあるのだというが、急に低い所から高い所へ飛ばすと人体に影響があるらしい。だけど、休憩スポットに着いて私が眠っている間にちょこっとずつイヴァンさんは瞬間移動を使って何も影響がない範囲で移動していたらしい。全然気づかなかった。また、ここから城に行くのも馬で四日もかかるほど離れた場所なので飛ばすのはリスクがあるのだという。高低差があったり離れていると危ないのか。

 そのとき、目の前のイヴァンさんが急によろけた。私は駆け寄って支えようとしたが制されてしまう。


「必要ない」

「やっぱ休んだ方が良いですよ。ここでも良いから少し休んで──」

「我らに休息など要らぬ。魔力が枯渇してきただけだ」


 イヴァンさんはそう言って滲み出た汗を拭うとそのまま歩き出してしまう。必要ないと本人が言う以上、しつこく言ってもまた怒らせてしまうだけだ。私にできることは体調をちゃんと見ることと、あとは。


「イヴァンさん、私にあるその、聖力というものは使えませんか」

「要らぬと言っている」


 イヴァンさんは振り返らずにそう言う。声には怒りと、荒い息が含まれる。イヴァンさんが隠せないほどに今危ない状況なんだ。

 私は考えを巡らせた。確か、私が転生者だと気づいたのは体に触れたからだった。ということは、私の体に触れたら魔力が回復するのではないのだろうか。

 私は前をズカズカと歩いているイヴァンさんの右手を両手で包む。私の体には何の変化もない。本当に効果があるのかは分からない。私に手を握られたイヴァンさんはそこで立ち止まった。体が一度大きく上下する。深呼吸しているのだろうか。

 私がその様子をまじまじと見ているとイヴァンさんが勢いよく振り返った。私は驚いて後ろに後退りしたがその腰に腕が回されて私はその場に踏み留まった。


「要らぬと言っただろう」


 少し強い言葉で私に迫る。イヴァンさんの苦しげな顔は綺麗になくなっている。魔力が回復したのなら良かった。


「大丈夫ですよ。だって、私には何も起きないんですから」

「阿呆。聖力を渡すということはつまり自分の力を失うこと。貴様が死んだように眠ったのも我に十分な量の聖力を渡した代償だ」

「そ、そうだったんですか」


 それは知らなかったと私は苦笑いを零す。

 もしかして、要らないと言い続けたのは私の体調を思ってのことだろうか。でも、だからといって自分を犠牲にしないで欲しい。多くは要らないのなら少しだけでも良いから。


「……礼は言おう。感謝する」


 私は顔を上げて目の前にいるイヴァンさんを見る。顔を逸らして怒られた後の子どもみたいな顔をして言うイヴァンさんの耳はほんのりと赤い。

 亡くなった仲間の魔法石を食べながら生きてても礼は要らない、みたいなことを言っていたのにこれくらいでお礼を言ってくれるなんて。私は少しくすぐったい気がして笑ってしまった。


「笑うな」

「ごめんなさい。こちらこそです、イヴァンさん。私が眠っていたときもお世話になりました。ありがとうございます」

「馬鹿そうに笑うな。王族だろう」

「畏まるのはお兄様の仕事です。私は癒し担当ですから」

「阿呆が」


 イヴァンさんはそう言って私から体を離して前を歩く。私はイヴァンさんの変化を少し嬉しく思っていた。前は冷たく阿呆だと言っていたのに今は少し笑い混じりに言っていた。いや、阿呆と言われるのは嫌だけど、笑ったところを初めて見た気がして私はしばらくイヴァンさんの後ろ姿を見つめてしまっていた。そして慌ててその遠ざかる背を追いかける。


 それからしばらくすると地響きのような音だけでなく声や剣のぶつかり合う音が聞こえてくるようになる。本当に、戦争が起きているんだ。

 前世でも実際に戦争に巻き込まれたことはなかったから、夢のような話で、でも聞こえてける音が夢ではないのだと言っている。怖くて怖くて堪らない。でも、わけも分からずに巻き込まれた民の方が怖い思いをしているだろう。強く心を持っていなきゃいけない。


「もうすぐ地上に出る。出ればウェノプスの頂上だ。中間部まで移動するから、そこからは姿を消して走るぞ」

「はい」


 緊張感が漂い始めて私は息を呑む。

 階段を上って土を踏んだ瞬間、イヴァンさんは私を抱えた。風が強く吹いて耳の近くで高い音が鳴る。

 目を開けた瞬間、イヴァンさんが私の肩を軽く叩く。姿を消した合図だ。戦いの声もすぐそばで感じられて私は必死に前を向いて走った。今私ができるのは一秒でも早く帰って戦争を止めることだ。


 私が他のものに気を取られてしまわないように走っていたからか、戦から逃げてきたアルキューテの兵に気づかず。私の体に兵が当たって兵はその場で転ける。


「んぁ? なんだ?」


 泥だらけの兵は頭をかきながら辺りを見回す。私は振り返って兵の姿を見たが、彼に私の姿が見えていなくて良かったと安心してそのままイヴァンさんの背中を追いかけようとした。


「……あ、ルキウスの王女!」


 突然背後から先程の兵と同じ声が聞こえる。私は思わずその足を止めてしまった。目の前のイヴァンさんも立ち止まる。

 ルキウスの王女は私しかいない。どうして、あの人はそう呼ぶのだろう。そう考えを巡らせていると突然目の前にいたイヴァンさんが私の体を倒した。


「何をしている!」


 突然頭上で叫ばれたかと思うと、私の真横で何かが落ちた音がする。イヴァンさんが覆い被さるようにいて、何が起きたか分からない。だが、今まで叫ぶようにして大声を出していた兵の声は聞こえない。


「どうしてか、分からなくて」


 心做しか震える私の声。すぐ目の前のイヴァンさんの顔は顰められている。そのとき、すぐ隣にあるイヴァンさんの右腕に血が流れているのが見えた。


「返り血だ。気にするな。それより早く行くぞ。この魔法は、正体がバレると解ける仕組みのようだ。まだ、完全に魔力が戻ってないのか」


 イヴァンさんはそう呟きながら立ち上がる。

 ということは、私はもう姿が色々な人に見えるということだろうか。まずいのでは。

 私も立ち上がって走り出そうとする。そのとき、右に見えた光景に私は口を手で押えながら腰を抜かしてしまった。

 振り返ったときに見えた兵の首と体が離れて赤い血をその地面を濡らす。イヴァンさんが返り血だと言っていたのはこのことなのだろうか。まさか、イヴァンさんが。


 そのとき。背後からたくさんの数の足音が聞こえる。この兵の声を聞いてやってきたのだろうか。ルキウスの王女と言ったから敵が殺しに来たのかもしれない。味方が助けに来てくれたのかもしれない。どちらなのか、足音だけじゃ判断できない。でも私は立ち上がることができず、その場から離れることができない。このままじゃ、殺されてしまう。


「たすけ、て」


 締めつけられた喉から精一杯の声を出す。地下にいたとき、あんなに強気なことを言っていたのに。なんて無力なんだろう。人の死を目の当たりにしただけで、こんなんになって。私のせいで、この戦争が始まってこの人が死ぬことになったのに。私は。


 すぐ後ろで足音が聞こえる。聞こえる言葉から恐らく味方ではない。イヴァンさんの背中ももう見えない。せっかく助けてくれたのに。


 私の目から涙がぽつぽつと流れ出して視界が涙で溢れる。そのとき、とてつもない威力の風が瞬間的に吹く。後ろにいた兵の叫び声は風の音にかき消された。


「配慮が足りなかったな、すまない」


 私の目の前にイヴァンさんが足を広げながらしゃがみ込む。その顔は相変わらず仏頂面だが、その声でちゃんと心配してくれているのが伝わった。


「立てるか」

「立て、もう少ししたら立てるようになりますから、もう少し……」


 私がそう言いながら地面を掴むようにして立ち上がろうとしていると、イヴァンさんが私の腕を掴んで無理やり立たせる。そしてそのまま、またあの感覚に包まれて私はウェノプスの麓に移動していた。

 そして次はイヴァンさんが崩れるようにして膝をつく。兵を殺したときも魔法を使って、地上に出てから魔法を使いっぱなしだ。イヴァンさんも危ないのかもしれない。

 私たちが訪れたのはルキウスの端にあるケルリス公爵領。テオが実習している先でもある。


「イヴァンさん、魔力を──」

「頭を下げろ!」


 私の言葉に被せて、肩で息をしているイヴァンさんは叫ぶ。何も分からないまま言われた通りに頭を下げると目の前のウェノプスとの間にあるレンガの壁に斧が突き刺さった。

 イヴァンさんは膝まづいた状態で私を背に庇うように前に出るとそのまま腕を前にかざし、どこからか男の断末魔のような叫び声が聞こえた。


「ルキウスにも、アルキューテの人が……」


 私はイヴァンさんの手を握る。だが、イヴァンさんは力を失っていくようにその場に手をつく。力が足りないのかな。汗を垂らして荒い息をするイヴァンさんが心配になる。

 そんな中でも男の叫び声を聞いて私たちの方に近づく足音が聞こえてくる。これじゃあさっきと一緒だ。

 私はイヴァンさんを支えながら歩く。イヴァンさんは私には重くて、速く歩くことなんてできない。目の前にある小さな家の裏にでも隠れようと頑張って歩いた。イヴァンさんも私に支えられながら自分で歩いてくれるので、ゆっくりだが精一杯の速さで歩いた。

 なんとか兵が駆けつける前に家の裏に隠れることができて私たちがバレることはなかった。だが、なぜだか家を包囲されることになったので私たちは誰もいない家の中に身を潜めることにした。埃っぽいことから、ここにはもう長らく人が住んでいないのだろう。


「包囲されたか。回避できるほど魔力がない……」


 イヴァンさんは嘆くように言う。私には無理をするなとか言うくせに自分は無理をする。私が悪いのだから、なんだか申し訳ないけどもう少し自分の身を大事にして欲しい。

 しばらく家の中で考えていたが一人が扉を激しくノックしてイヴァンさんは歯ぎしりするようにぐっと顔に力を込める。


「ルキウスの姫、貴様に頼みがある」

「私にできることであれば、何でもします」

「……契約を結んで欲しい」

「契約?」

「ああ。本来は聖女と結ぶものだが、貴様とでも問題はないだろう。聖力を所持する人間の聖力を独占する契約だ。貴様は我以外の者にその聖力を渡すことができなくなる」

「構いません。あなたは命の恩人でもあるのですから、やります。その契約はどうすれば良いのですか?」


 私がそう尋ねると今までポンポンと弾んでいた会話が途切れる。イヴァンさんは視線をずらす。その耳は赤く染まる。何か恥ずかしいことをしなくてはいけないのだろうか。


「嫌であれば後に記憶を消すから、安心しろ」


 イヴァンさんはそう言って少し頭を下げて、少し前に出ればお互いの顔が触れる距離になる。

 こ、この流れって、まさか。まさかね、イヴァンさんがそんなことするわけないわ。ましてや私なんかと。


 そんなことを考えて激しく脈打つ鼓動を押さえようと深呼吸をしようと息を吸い込むとその整った顔がさらに近づいて、唇に柔らかいものが触れる。


「んんっ!?」


 私は口を塞がれながら情けない声を出してしまう。だがイヴァンさんはそんなこと気にせず、目を閉じたまま唇を離さない。

 だんだんと息が苦しくなって頭に酸素が行かず、ふらふらとしてきた。イヴァンさんの美しい筋肉がある左腕が私の腰に回されて私はなんとか倒れずにそのまま立ち続ける。が、苦しい。

 それに突然のことすぎて理解が追いついていない。契約の結び方って、キスすることなの? 本当にこれしかないの?


 しばらくしてゆっくりと唇が離れて私はようやく息ができるようになる。走った後のように荒い息を繰り返して落ち着かせようとするが。全然落ち着かない。何しろ前世含め初キスなのだ。誰も笑わないでちょうだいね。初キスなの。お母さんとかはノーカンね。こう、男性とのキスは前世合わせて四十年の中で一度もないのよ。悲しすぎる。

 イヴァンさんは右手で唇を拭うとそのままその右手を握りしめた。それと同時に外で張り裂けるような雷の音が響いた。

 地面、裂けたんじゃない? 大丈夫かしら。


 ノックする音も聞こえなくなって私とイヴァンさんは顔を見合わせる。そしてゆっくりとドアを開けた。目の前にいた数名の兵は気を失っている。地面が黒く湯気が出ていることから、もう命を失っているかもしれない。私は目を逸らしてしまいそうだったがちゃんと彼らを見つめてその場にしゃがみ込んで手を合わせた。

 この世界でどうするのかは分からないが、前世では葬式とかでこう手を合わせていたのを思い出す。神ではなく仏であったが、何もしないよりかはマシだと思って。


「おい、もしまだ生きていたらどうする」


 イヴァンさんは私の背後でそう声をかける。確かにまだ息があって私を殺そうとその槍を手にしたら私は殺されるだろう。けれど、彼らの体とこの状況を見るに生きているなんて多分、ありえない話だ。

 私はせめて彼らの魂が国に帰れることを願って立ち上がった。


 目的地はとりあえず公爵家だ。このまま無鉄砲に城まで歩いていったとして、今みたいなことが起こるのは可能性として考えられる。公爵家の人に協力を求めて鳩にでも伝言を頼むべきだろう。それに、そこにテオがいれば話は早い。

 その話をイヴァンさんにも話すと合理的だと賛同してもらえた。

 目と鼻の先にある豪華な白いお屋敷まで瞬間移動して門の前に立つ。

 公爵家にも何人か避難しているのだろうか。少しガヤガヤと騒がしい。

 門番のいない門を開けて大きな扉をノックする。だが返事はない。


「忙しいのかな」

「公爵家のセキュリティがこんな緩くて大丈夫なのか?」


 確かにそう言われてみればそうだ。中に人がいそうなのにこれでは簡単に攻められてしまう。何が起きているのだろう。

 そう悩んでいると背後から鎧を着た人の足音がいくつか聞こえてきた。


「……姉様?」


 聞き慣れた声より少し低くなった声で私はその声が誰のものかすぐに分かった。


「テオ!」


 私は勢いよく振り返った。そこには鎧を着た騎士十数名とそれを率いるように前に立つ青年、テオがそこに立っていた。

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