第12話

「閣下、上質な奴隷が入りましてですね、ええ。ぜひ見に来てくれませんかね、ええ」

「興味ない」


 僕はごまをするように話してくる名前も知らない小太りの男に軽く返すとそのまま歩いていく。興味ないと言ったのにしつこく男は僕の後をついてくる。鬱陶しい。


 この建物の赤の絨毯と黒の壁と床は、青の絨毯と白の壁と床だった実家とは正反対。もう何年もここにいるが慣れないものだ。


「そう言わずに。金になりそうな代物を持ってる奴もいるんですよ、ええ」

「金? 遂に良い家の者までも攫ったのか」


 僕はうっかりして男に反応してしまう。しめたと思わんばかりに気味の悪い笑みを浮かべた男は、僕の前に立って腕を勢いよく大きく広げる。


「いえ! そのようなことはしませんよ、ええ。ただの汚い少女なんですが、その手に綺麗な白い宝石が埋め込まれた指輪がついた首飾りを持ってまして、ええ」


 僕はその情報を聞いて目を大きく開いてしまう。男はまだ続けて話していたが、耳鳴りしているように反響して何も聞こえない。

 その物と同じ物を、僕は持っている。それが奴隷の少女が持っている? そんなことは絶対にありえない。なぜなら、それは僕が子どもの頃、特注で世界に六つだけと作った物。金輪際これを作ることを禁止した。

 僕は心臓を射抜かれたように痛んだ。それは、誰の物だ。どこで、いつ。ぐるぐると様々な考えが巡って俺は落ち着くように壁に手を置いて深呼吸を繰り返す。


「その少女に会わせろ。聞きたいことがある」


 どの意味で汲み取ったか知らないが、男は僕のその言葉に歯を見せて笑うと上機嫌に収容所に案内した。


 埃っぽくて、生臭くて、陰湿なあの場所が嫌いだ。僕は極力そこへ行きたくない。奴隷制度から目を背けたいわけじゃない。むしろそれを壊すためにここに来ることを選んだ。


 奴隷として連れてこられるのは大抵、隣国ルキウスから。それが過去、アルキューテがルキウスに出した条件である、月に一度は奴隷を輸入すること、だ。

 僕が今いるアルキューテ王国とルキウス王国は何百年も前から対立が続いている。そもそもアルキューテ王国はルキウス王国に反発した者が建国したもの。


 ルキウスの首都のすぐ隣にあるスラム街はルキウスのたった一つの大きな欠点とも言うべきだろう。スラム街はどの国でもある。スラムがあることが最大の問題なわけではない。

 ルキウスにはが多い。私が言えたことではないが、いわゆるスパイと言われる者が多いのだ。アルキューテ側が賄賂を渡しており、金に目が眩んだ平民がアルキューテに味方する。

 ルキウス王国は世界で一位を争うほど広大な領土を持っている。それに対してアルキューテ王国は豆粒のような小ささだ。その割には人口が多く、金もあり余っているのでルキウスが平民一人一人に対して与えるものよりも良い条件を提供できている。

 ウェノプス山脈に近しい場所に住む平民ほどアルキューテに寝返ってることが多い。表向きは敬意を表してるかもしれないが。

 貴族はというと皆血縁者だったりと忠誠心が強いので貴族がアルキューテに味方することはない。地主や何かの長をしている貴族ほどの力はない平民がよく狙われる。皆阿呆だ。


 僕はそれに気づいたから、と言っても今更言い訳にしか聞こえないだろう。やっていることは何らその貴族と変わらない。


 そんなことを考えているといつの間にか禍々しさを纏う収容所に着いていた。

 アルキューテは人口が多いとは言ったが、栄えているわけではない。皆が、過酷な重労働を強いられて、上にいる少数の人間だけが甘い蜜を吸う。そんな国だ。だから街は閑散としていて首都なのかどうかも疑うほど。


 男は収容所の重い鉄の扉を従者に開けさせ、新しく入ってきた奴隷を入れる部屋の前に立った。


「何ぐずぐずしてる! 閣下がお待ちだ!」


 男はその短く丸太のような足で従者である若い男を蹴る。僕はその様子をただ見下ろしていた。

 この男だって、所詮僕の脛を齧る落ちこぼれの貴族に過ぎないのに。だがこの収容所がこの男の所有物だから縁を切るわけにはいかない。面倒だ。


 青年はぼろぼろの白い服とは言えないようなものを着たまだ十にも満たないような少女を連れてきた。茶髪の少し長い髪の隙間から虫が見える。長く風呂に入っていないところを見るにスラムから連れてきた人間だろう。こんなのが、あれを持っていたと。

 このくらい幼いと、僕のことは知らないか。


「二人で話をしたい。部屋を一つ貸せ」

「ふ、二人で!? ああ、いやもちろんですとも、ええ」


 男は慌てながら僕の前を小走りに進んでいく。一歩一歩踏み出す度にギシギシと床が音を立てる。従者が少女を歩かせて、僕たちは最上階にある客間に案内させた。


 僕と少女が向かい合わせに机を挟んで座ると男と従者は部屋から出ていく。少女は俯いたままで全くこちらを見ない。

 僕はスラムに足を踏み入れたことが二度ある。一度目は興味。二度目は仕事。十年ほど空きがあったが景色は何も変わっていなかった。

 働く子ども。飛び交う暴言暴力。継ぎ接ぎの家。整備されていない土の道。生臭い汚れた空気。

 王族もこの現状を全く見ていないというわけではない。むしろ今王の座にいる者はスラム撤廃に一番力を入れている人間だろう。だが、スラム街はなくならない。なくなっても、数年後にまたぽつぽつと現れ始める。

 逃げてきた人間の行く末は、社会不適合者のレッテルを貼られた者が集まるゴミ捨て場。言い方は悪いかもしれないが、そうだろう。そういう場所は、逃げる人間には必要。だからなくならないのだ。

 それに、ルキウスのスラムがなくなると困る国がある。ここ、アルキューテだ。アルキューテに仕入れるための奴隷がなくならないよう手を回すためにアルキューテはルキウスの平民に賄賂を渡す。村で産まれた子を攫ってスラムに捨てる、なんてのは日常茶飯事となっている。最悪だな。

 考えただけでも憎たらしいな。生きるのが嫌だというくらい痛い思いをして死んでいけば良いのに。


 僕はそんなことを思いながらそんなスラム出身の少女を見つめる。


「少女、そのネックレスはどこで?」


 少女はびくりと肩を揺らして僕を見つめた。汚れた髪から覗く瞳はまだ輝きを失っていない。綺麗な目だ。


「おちてた」

「どこに?」

「やま」

「どこの山だ」

「ここのもんのすぐちかく」


 僕はそのおぼつかない少女の言葉を聞いてある考えに至ってしまう。いや、まだ考えだ。確定したわけじゃない。


「そのネックレスを貸してくれないか」


 少女は途端に頭を抱えるように下に向かせてネックレスを守るような体勢になる。嫌なのだろうか。それはなぜ。お前はそのネックレスと一日も共にしていないだろう。高価な物だから価値を感じているのだろうか。

 それはお前の物ではない。僕の大切な、何よりも大事な。


「確認したいだけだから」


 僕は少女に手を差し伸べる。少女は頑なに動かない。僕もこれ以上少女に何もしない。恐怖で動かすのは、嫌いだ。

 長い時間が過ぎ、日が傾く。少女は震えながら体を元に戻していく。そして、恐る恐る少女は私の手にネックレスを置いた。

 僕は少し驚いてしまった。少女のためなら三日だって待つ気だった。だが、たった数時間で考えが変わるとは。これならいけるかもしれない。


「ありがとう」


 少女は僕の言葉に安心したのか少し表情を緩めた。

 僕はすぐにそのネックレスについている指輪を確かめる。もし、業者が約束を破って生産していてもさすがにこの部分は同じように作っていないと思った。

 指輪には六人それぞれの名前が彫られている。そして、この指輪に刻まれていたのはセレーアという文字。

 指輪が震え出す。いや、指輪を持つ僕の手が震えていたのだ。セレーアの指輪がなぜウェノプスにある。ルキウスは、皆は何をやっているんだ。


「少女、これを僕にくれないか」


 少女は僕の言葉を聞いて勢いよく立ち上がる。必死に訴えるように僕の目を見ている。その目には怒りが孕んでいるようで。


「だめ! これはわたしがみつけた。だからわたしの。かえして」

「これは、僕の妹の物だ。与えることはできない」

「かえして!」


 少女は叫ぶように言う。

 スラムには拾ったときからその物はその人の物、という暗黙のルールがあるらしい。それが体に染みついているのだろう。


「名が刻まれているのだ。セレーアと」


 僕がその名を口にすると少女は体を一度大きく揺らす。


「セレーア……? それってセレーアさまのこと?」

「セレーアを知っているのか」

「うん。セレーアさまはすき。わたしにもおべんきょうをおしえてくれるの」

「は? 勉強?」


 話を聞くに街で週に一度騎士団の宿舎で開かれる平民対象の簡易学校に数年前からスラム出身の子どもも参加できるようになったという。セレーアはどうやら学園を主席で卒業できるほどの頭脳を持っていることからそこの非常勤の先生を勤めているらしい。


「これは、セレーアさまのなの?」

「あ、ああ。セレーアのだ」

「じゃあそれはいらない。かえしてあげて」


 少女はにこりと微笑む。僕はその顔を見て驚いてしまった。希望も何もないような廃れた場所。そこに産まれ育った子でも、こんな顔をできるのか。

 もしかしたら、先程少女がすぐにこれを渡してくれたのはセレーアが心を込めて頑張った賜物だろう。少し、誇らしい。


「そういえばセレーアさまってかっかのいもうとなの?」

「え、ああ、うーん……」


 僕は言葉を濁して苦笑いをする。ここで妹だと断言したら、後々厄介な気がした。


「ちがうの? セレーアさまよくいってた。ずっとかえってないおにいちゃんがいるって。さみしそうだった」

「……セレーアが」


 僕はまたズキりと心臓が痛む。僕が十八のときにここに来てしまったから、セレーアはもう二十になってる頃だろうか。

 そこで僕は目が覚めたようにあることを思い出した。遠く離れることを選んだ家族のことに思いを馳せている場合ではない。ウェノプスにセレーアのネックレスがあるといことは少なからずセレーアの身に何かあったということだ。


「奴隷の中にセレーアは?」

「ううん。いない」

「ではなぜ……」


 僕はここで何も情報もない中考えるのは無駄だと考えた。少女もこのネックレスを持っているだけで今のセレーアの状況を知っているわけではない。


 少女と共に部屋を出ると扉の目の前に待機していた男が上機嫌にまた話をし始める。従者の男に少女を元いた場所に帰すよう指示し、僕はある場所に向かうために収容所を出る。向かう先は城の庭園にある馬小屋。庭園といっても家畜しかおらず、花は一輪だって咲いていない。


「か、閣下! 一体どこへ?」

「ウェノプスへ。確かめたいことがある。して、本日奴隷担当は何人いた?」

「え、えっと、把握している数ですと十人です、ええ」


 十人。その言葉を聞いて僕は男を睨んだ。男は視線をあちこちに泳がせる。

 いつもは多くても五人。十人が奴隷狩りに出かけたことなど、今まで聞いたこともない。何をしようとしたのか。


「いや、最近のやつらはどうも物分りが悪くて。人手が必要なんですよ、ええ」

「……そうか」


 僕はそれだけを言って、後ろで何か叫んでいる男を無視して乗った馬を走らせる。

 奴隷の中にはセレーアがいなかった。けれどウェノプスでこのネックレスがあった。法律で姫は基本城から出してはならないと制定されているから、何かがあったのは事実だろう。ウェノプスに行けば何か掴めるかもしれない。少女からもどこら辺に落ちていたか大雑把であるものの情報はもらっている。

 それに、あそこにはよくない噂がある。大昔にルキウスが封じた竜人族が、地底に。

 伝説化している話ではあるのだが、竜人が存在したことも事実。今生きているとは思えないが、子孫を残している可能性もないとは言えない。


 ウェノプスに繋がる門の前にいるみすぼらしい格好の門番に話をして門を開けてもらう。門番でさえ、ルキウスから来た奴隷の一人だ。


 山を登りきって、下がり始めた所に落ちていたと言っていた。アルキューテに来る直前に一体何が起きたのだろう。

 僕は馬を歩かせて周辺を見て回る。その付近で馬が暴れた形跡を発見した。奴隷を運ぶときは大きな檻のついた馬車で運ぶ。奴隷に大きな傷がなかったということはこれはそのときのものではない。だとしたら、これはセレーアが関係している可能性があった。


「……お前、まさか」


 下を見て考えながら歩いているとすぐ近くから、どこかで聞いたような、知っている人と似た声が聞こえた。

 僕は勢いよく頭を上げる。


 そこには、茶色の馬に乗って少し豪華な騎士服を身にまとった片割れの顔があった。

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