第11話

 私は体を片腕に掴まれながら上下する感覚を覚えて目を覚ます。体勢、どうなってんだ。視界は真っ暗だ。獣臭からして、恐らくだが馬に乗りながら移動しているようだった。それもかなり速いスピードで。

 私は、人を助けようとしたら襲われて意識を失って。まさか、誘拐されたんじゃ。


 私が顔を上げようとすると、体に回されていた腕が一瞬離れた後、頭を上から押さえつけられる。あまりにも強い力だったので思わず唇を強く噛んで切れてしまった。口の中に血の味が広がる。


「随分と遅いお目覚めだな、お姫様」


 煽るような中年男性の声が聞こえて私は察する。彼らは、アルキューテ王国の人間だと。


「離、して」


 私は必死に頭を掴むその手をどかそうとしてもぴくりとも動かない。楽しそうな笑い声が聞こえて焦りが募る。

 このまま連れていかれてしまうんだろうか。その先に待っているのは何だろうか。想像したくない。

 幸せな日々が続くと思った矢先に、なんてついてないんだろう。私の目には涙が浮かんだ。


 聞こえてくる馬の足音はさほど多くない。多分いても四人くらい。私は一つの賭けに出ることにした。


「うわぁ……! な、なんだ、落ち着けっ」


 私は芋虫のように精一杯、体をくねくねと動かす。その場で動ける範囲内でとにかく暴れる。そのせいで体の色々のところが痛むが構わない。死ななきゃ良い。

 頭を押さえつけられては上手いようには動かなかったが、私があまりにも暴れるから男性は驚いたのか一瞬その手の力は弱められた。私はそのとき、頭を引いて髪を掴まれないように片手で髪を束ねる。そしてそのまま仰け反りになって私は見事に落馬した。


 どんな体勢だったのかはいまいち分からないが、頭を押さえつけられてたということは正しい乗り方で乗せられていなかったっていうのはわかる。

 全く。せめて誘拐するなら王族に、人に対する礼儀の一つくらい守りなさいよね。

 なんてそんな呑気なことを考えてる暇もなく、私は落馬して転んだ勢いで走り出した。ヒールのあるサンダルが邪魔で走りながら脱ぐ。だが、そう器用でもないのでまた転んでしまう。土が体だけでなく顔にも口にも入ってきて気持ち悪い。

 せめて後ろから聞こえる馬の足に追いつかれないように必死にその場をぐるぐると回る。あまり足が早くないから一直線に逃げたって見つかる。時には左、時には右に曲がり、時には比較的低い崖を下りてみたり。私が今できる最善を尽くそうと何とか考えてみた。体は泥だらけ傷だらけ。こんなに頑張ってるのに、やっぱりどこかで見つかってしまう。

 馬って鼻も良かったのかしら。

 私は今持っている最大速度で駆けていく。目を閉じて腕を勢いよく振って。血だらけになった足の痛みなんて今は感じないのだから。


「え」


 そのとき、私の足から地を踏みしめる感覚が消えた。足の下にあるのは、暗闇。地割れにしては割れ目が大きく巨大なその地面の裂け目に、私は急降下していく。


 ああ、死ぬんだ。

 私はどんどん遠ざかっていく光の方に手を伸ばす。最期に浮かんだのは友達とお父様とお母様と母上と、兄弟たち。走馬灯にしては登場人物が多いなと思いながら無情に落ちていく体を抱きしめた。


 ◇◆◇◆◇◆


 突然空気が変わったから、何かと思った。時々地上の割れ目から小石だったり木の枝だったりが落ちてくることがある。たまに大きな岩が落ちてくるのだが、それが家に当たったり我に当たったりしても迷惑なので、そういう場合には俺が魔法で岩置き場に移動させる。そろそろ溜まりに溜まった岩もどうにかするべきだろうな。我も、もう簡単な魔法を使うのでさえ苦しいのだから。

 だが、何だか今回の空気の変わりようはおかしかった。岩にしては長いような軽いような。

 不穏に思いながらも、落ちてくるそれが地下の物を傷つけてしまわぬように落ち続けるそれの重力を操る。ゆっくりとそれは降下して、我の目の前を落ちてくる。


 人だ。物ではなかった。


 我はその場であたふたしてしまったが、我の胸辺りまで落ちてきて、魔法で寝床まで運ばせる。なぜ我がこんなことをせねばならんのか。


 落ちてきたのは女のようだった。白く金色混じりの長い髪は土がついて汚らしい。細く白い手は胸の辺りで組まれており、食べているのか心配になる細さだ。肌は、白くもちっとして……。

 そこまで言うと我が変態のようになるから何も考えず、とりあえず我がいつも寝ている寝床に寝かせた。ふかふかとは言えないが、岩で寝かせるよりは良いだろう。


 上で何があったのだろうか。どこもかしこも土だらけだし、あちこちから血がたらたらと流れている。

 逃げてきた? だとしたら何から?

 来ている服を見るに平民ではないと思う。どこかの貴族、と考えるのが妥当だろうか。

 我はその女をまじまじと観察するように見ていた。厄介なことに巻き込まれる前に、早くどこかに行ってくれないだろうか。


 我がそう思い始めてからもう長い時間が経つ。人間の作り出した日にちというのはころころと数え方とかが変わるので、何日経ったのかは分からない。そもそも太陽もはっきりと見えないような深い地の底。

 その期間で女が目を覚ますことはなかった。死んだかと何回か思ったが時々寝息を立てるので、我はその度にため息を吐いていた。死んでいたらとっとと埋葬でもしてやって一人の時間が戻ると思ったのだが、そうはいかないらしい。

 寝ていて話せないからこの女がどこから来たのか、なぜここに来たのか問い詰めることができない。我の寝床も奪われてるから我が岩の上で寝るという信じられないことが起きている。

 女が起きたら、早急に出ていってもらおう。


 そもそもおかしい話だ。ここは王国と王国の境となる山々が連なる場所。仲が悪い国との衝突が起きぬよう、確かそれぞれの国の山の麓に門を作ったはずなのだが。

 ここは山登りするための山じゃない。戦争を避けるための山だ。

 人間の身勝手さには反吐が出る。戦争など、無意味なことに力を注ぐ馬鹿は人間くらいだ。


 我は暇潰しにその辺にある紫水晶を少量削ると手のひらに乗せて、近くの岩の上に座る。それに息を吹きかけると渦を巻いて空へと舞っていく。我の人差し指の動きと空中に浮かぶ紫水晶の塊は連動していた。

 紫結晶がたちまち雪結晶の形にできあがり、ふっと降下してくる。それを手のひらで受け止めて透き通るような雪結晶を観察するように見る。雪結晶を見るのは好きだ。

 と、そのとき。雪結晶越しに何かと目が合って我は思わずその雪結晶を手放した。下の岩場に宝石が勢いよく落ちて高い音を鳴らす。


「……起きたか」


 我はつい驚いたせいで上ずった声を出してしまう。この女に驚いたわけじゃない。ただ、俺が雪結晶を見て遊んでいたのがどうにも恥ずかしかった……だけなのだ。


「ここは、どこ? あなたは誰?」

「記憶はどこまである」


 我はあからさまに不安そうに怯える女の問いには答えなかった。余計な話はしたくない。簡潔に聞きたいことだけ聞き出して早く帰ってもらわねば。


「せめてあなたが何者か聞くまで、言わないわ」


 幼子のように寝ていた女だが、このときは凛々しさ、強い意志を感じさせた。なぜそこまで俺のことを聞きたがる。まさか、あのときの王族と同じではないのではなかろうか。我はそう思って身構える。

 あのときと同じ目に遭ってたまるか。


「理由は。我が貴様に素性を教えて何になる」

「私の知ってる情報を渡すに相応しい人間がどうか判断するためよ。敵に易々と情報をくれてやるつもりはないもの」


 我は冷めた目で、突き放すように言ったつもりだった。大抵の女は、女でなくとも人間は怖がり萎縮して諦める。だがこの女は違った。その強い瞳を逸らさず我の奥まで見据えるように見てくる。

 只者ではない。そう我の中の何かが訴えていた。


「我は中立の立場。どちらの王国の味方にもつかないと決めている者。これでどうだ?」


 女は黙った。考えているのだろうか。はっきりとしない情報を本当か嘘か見極めているのかもしれない。

 我は嘘をついていない。実際中立の立場を昔に誓ってから守り続けている。戦争となったとき、手を貸してはならない。そうルールがあるのだ。

 彼女が本当に貴族だった場合、今目の前にいる我が敵か味方かが大事な判断材料になると思った。


「中立の立場になると、こんな日の当たらない所に住むの?」


 我は言葉を失って視線を逸らした。我が、我らがここに住まなくてはいけなくなったのは理由がある。それを思い出させられて非常に気分が悪い。


「お前がどこの国の人間か教えろ」


 それによって我は態度を変えるかもしれないからな。

 圧を含んだ瞳で女を見る。女は迷っているように見えたが、我から目を離すことはない。強い目をしている。……こんな人間は、初めてだ。


「ルキウス王国の人間よ」

「ではお前はなぜこの山に来た」

「山……。やっぱり、ここはウェノプス山脈だったのね」


 ぼそりと呟いた女の言葉を我は聞き逃さない。

 やっぱり、ということは意図せずここに来ていたということか?


「我の問いに答えぬか」

「うるさいわね。私、連れ去られてたのよ。多分、敵国の兵士かしら。さほど身分は高くないと思うわ。知性が感じられなかったから」


 呆けてしまう考えだったが、女はどこまでも冷静だ。こちらが震えてしまいそうなほど冷たい瞳。どこか見覚えがあるな。

 それに、なんだろうか。この女の奥に眠っている何かが俺を不快にさせる。初対面のはずなのにこんなに不愉快になるのはなぜだろう。別にこの女の何かが障るわけでもないのに。

 まさか、いやそんなわけないな。なぜならは、この世界の人間ではないから。ルキウスで産まれたこの女が、そんなわけない。


「そういえば私が眠って何日になる? お兄様たちが心配しているかもしれないわ。まずウェノプス山脈まで来るのに馬の全速力でも丸四日はかかるのに……」


 お兄様と言うことはやはり貴族であったか。今の時代ではこんなにぼけっとした貴族がいるのか。せいぜい男爵家くらいだろう。これがいわゆる平和ボケか。鼻で笑ってしまいそうだ。

 馬で丸四日、というと国の西の方だろうか。随分と端の方からやってきたものだ。


「何日かは分からぬ。まあ、俺から見ても長い時間寝ていたな。ぐっすりと。警戒心というものはないのか」

「うぐ……。死んだと思っていたから、つい」

「ついとはなんだ。もしここが敵国だったなら。本当に殺されていたかもしれぬぞ」

「ご、ごもっともです」


 女は妙に腰を低くして萎縮する。

 落ち着かないな。貴族らしい冷たさ、カリスマ性が見られたかと思えば、お花畑頭が顔を出してくる。


「貴様は、一体何者なのだ」

「何者って、人間です。それに貴様なんかじゃありません。セレーアです。セレーア・ルキウスです」

「ルキウス?」


 ルキウス、ルキウス。この言葉が俺の頭の中で木霊する。ルキウスという姓を名乗れるのはこの世でたった一家だけ。ルキウス王国を治める王家の血筋のものだ。

 まさか、男爵などと言わず王族と言うとは。俺は少し開いた口が閉じなかった。こんな王族がいるのか。時代の移ろいは、なんというか怖いものだ。


「……姫というと基本的に城から出れないものではないのではなかったのか。まさか俺のいない間に法を変えたか」


 俺はその考えに至るとだんだんとイラつきを覚えて睨むように目の前の女、セレーアを見る。セレーアは首を横に振り、俺の考えを否定する。


「違うんです。私が、勝手に一人で抜け出してしまっただけで」

「はあ?」


 俺は呆れたように言う。俺が、どんな思いでこの法を作ったと思っているのだ。とんでもない馬鹿だ。過去、この王族からあの野蛮な王族に何人の姫が連れ去られては酷い目に遭い、国のいくつかを犠牲としているのか。ちゃんと叩き込んでいるのだうか。これだから人間は。


「夢だったんです。お忍びで街に遊びに行くの。でも、案の定だめでした」

「当たり前だろう。何のための法だ。我が王族を守るためにせっかく作ってやったのに。破りやがって」

「我が……作った?」


 セレーアの復唱を聞いてやっと自分のしでかしたことに気づく。うっかり口を滑らせていたようで我は口を押さえた。今更そんなことしても遅いのだが、このお花畑を前にするとどうやら自分もお花畑化してしまうようだ。とてつもなく迷惑だ。

 だが実際、我がルキウス王国の憲法制定で関わったのはこれくらいだ。制定当時、我らの存在があまり良く思われていなかったから我が作ったというのは誰にも言うなという約束だった。それを守ってくれているのだから喜ぶべきところなのだが、我も知らずのうちに歳を重ねていたようだ。


 ルキウスは純血の王国。アルキューテはそんなルキウスに反抗した大勢の平民が追いやられた場所である、山を越えた先に広がる何もない土地でできた国だ。確か、記憶が正しければその中でも一番強かった屈強な男が王になったはずだ。大した教育も受けていない、ルキウスの恨みだけで集まったぐらぐらの国。

 それにまた反発したアルキューテはルキウスを襲う。だが、兵の数の差や武器の強さなどに差がありすぎて勝つことはない。それからアルキューテは真っ当な手を使わなくなった。貴族や姫を攫ったり、畑を荒らしたり。地味だが条件などを上手く使い、ルキウスに痛手を徐々に与えていく。


「……昔の話だ。気にするな。忘れろ」

「忘れろと言われたら忘れられないのが人間です。偉い方なんですか?」

「偉い、か。昔は偉かったかもしれないな。愚かな人間のせいでこんな地の底に追いやられたが」

「ここにあなた一人なんですか?」

「大昔にはたくさんいたな。人間に殺されて、今は我一人だ」


 そう言うとセレーアはバツが悪そうに俯いた。別に、貴様が悪いわけでも直接的に関わっているわけでもからそんな顔せずとも良いのに、なぜそのような顔をするのか。貴様には関係のない話だろう。

 殺したと言っても手を下したのはアルキューテの人間。ルキウスは、我を逃がすためにこの地底に逃げることを提案した。まあ、逃がすくらいなら殺して欲しかったが。我はそのときに屈辱を味わった。


「すみません、変なこと聞いてしまいました」

「いや別に良い。もう、何百年も昔のことだ」

「な、何百年!?」


 しんみりとしていたセレーアは急にでかい声を出す。我は驚いて目を丸くさせてしまった。心臓に悪いな。


「て、てっきりクロウド兄様と、同い年かと……」

「人間と一緒にするな」

「ご、ごめんなさい。あと、さっきから人間人間と言いますが、違うんですか? 人間にしか見えませんけど」

「言わぬ」


 我は首を右に向けると立ち上がって落ちた結晶を拾う。

 こんなお遊びで作った結晶。俺がもう二度と見ることができない物。粉々にして、後でそこら辺に捨てておこう。


「それ、どうするんですか」

「捨てる」

「捨てちゃうんですか! もったいない、とても綺麗なのに」


 憂いを帯びた瞳を揺らしながらセレーアは紫の結晶を見る。確かに綺麗だが、こんな物いつでも作れるし、偽りのものだ。本物の結晶の方が綺麗だろう。貴様は地上にいて、いつでも。


 そう思ったとき、我は重要なことを忘れていたことに気づく。ここは太陽の光も入らぬような地底。我でさえ地上に出ることを諦めるような場所。

 セレーアを、どうやって地上に帰せば良いのか。


「どうかしました?」

「いや、貴様をどうやって帰すか考えていた」


 我が言うとセレーアもそのことを忘れていたのか、目を大きく開いて口元を手で隠す。

 我はともかくお前は元々地上にいただろう。なぜ帰ることを忘れているのだ。


「面倒だな。もういっそのこと、落ちてくるときに死んでくれた方がマシだった」

「そ、そんなこと言わないでください。何か方法はないんですか? 時間がかかっても、私に働かせても構いませんから! 何でもします」


 我は眉を上げた。

 ほう、何でもやると言うか。王族であるというのに自己犠牲の癖があるようだ。今まで甘ったれた世界にいたお姫様がどこまで働いてくれるのか、見物みものなことだ。


「ルキウスの姫。我に屈辱を与えた王族の末裔よ。これからは我の手となり足となって、早くここを出ていってもらおうか」

「が、頑張るわ」


 挑発するように我はセレーアの顔元に近づい笑う。セレーアは汗を一筋流しながらも頷いた。


 久しぶりに口角を上げたからか頬が少し痛かった。

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