第10話
とある春の日。国にとって大事な日に主役の姫が突然姿を消したとして城に冷たい空気が流れていた。
俺は目を閉じて執務室に向かう。その苛立ちをどうにか収めようとしたが、あまりにもイラついてそれは難しそうだった。
あのとき、強引にもセレーアを城に帰らせていれば良かっただろうか。一緒にいたらそもそも外に出るようなことも。
そんな今更どうしようもない後悔が荒波のように押し寄せて、俺は舌打ちした。イラついてるのは自分自身に。自分のこの性格を睨むように、前を見据えた。
執務室にはもう既に兄さんたちがいた。ノア兄さんは相変わらずいないが。テオもいない。知らせがまだ行っていないのだろうか。実習先が辺境にある公爵家だったから連絡をする従者がまだそこまで着けていないのかもしれない。
「何かセレーアから聞いた者は?」
父さんの言葉に誰も何も言わない。もし、俺の考えが当たっているとしたらセレーアは誰にも言わずに城を出たのだろう。まだこんなちんちくりんのときに、こっそり街に出るのが夢なの、とか頭のおかしなことをほざいていたのを覚えている。
街に出るならメイドの一人くらい連れて行けっての。
あいつは自分がどんな地位にいるのかまるで分かっちゃいない。平民出身のじゃじゃ馬かとたまに思う。平民の方がまだお淑やかだったりする。
「……一人で、街に出たんだと思う」
その言葉に皆の視線が俺に集まる。確信はないけど、何か手がかりになればそれで良い。
「ジゼルという平民が知り合いだったはずだ。そいつの店に行ってくる」
俺は誰からの答えを聞かずに踵を返して執務室を出た。
部屋に戻って騎士団で役職に就いている者だけに与えられる白のマントを羽織る。腰に携えるサーベルの位置を正して俺は城を出た。
誰か一緒に行かないかと声をかけなかったのは、それほどまでに焦っていたからなのかもしれない。
誰だか知らないに構ってる暇なんてない。こっちは、一つ下の暴れ馬のせいで忙しいのだから。
俺はジゼルの花屋に入った。彼女は俺の姿を見て目を丸くさせる。どうやらまだ今の騒動を耳にしていないらしい。言うべきか、どうするか。
知り合いが、ましてや王族である人間が突如姿を消したと知ったらショックを受けるではないだろうか。
ただてさえこの国は隣の国と敵対している。そいつらがいつ王族を連行していくか分からない。それに、姫にはある悲劇の話が伝わっている。あいつも知らないわけではないだろうに。
それに、何が事実なのかもまだ分かっていない状況で変に伝えるのも可哀想な気がする。
「今日、ここにセレーアは来たか?」
「え、ええ。来ましたわ。お誕生日でしたので花束を渡しましたよ。セレーア様に何か?」
「いや、まだ帰ってないだけだ。どっちに行ったか分かるか」
「分かりませんが、ここを出て左の方がだんだんと賑わったのでそちらに行ったのかと思われます」
またあいつは、平民と分け隔てなく関わりやがって。
俺は頭をかきながらため息を零す。そんな俺にジゼルは必死にセレーアを庇うように話すが俺は聞き流していた。
確かにその行為は平民に親近感を湧かせ、王家の支持率の高さにも繋がるだろう。だが、従者の一人も連れてない状況だ。変なやつが不意に近づいて刃物で体を刺すことなんてこともある。スパイが紛れ込んで誘拐するかもしれない。スラムから逃れてきたやつが襲うかもしれない。
平民と関わるのも大事だが、節度を守ることも大事だ。自分の大切な体を守るために。何のために、あの法律があると思っているんだ。
そう思って、ため息を吐く。俺は随分と心配性になってしまったようだ。自分で自分に呆れてしまう。
情報提供してくれたジゼルに礼を言い、俺は店を出て左に向かった。
あいつは一体どこに行ったんだ。この先スラムに一番近くなる場所になるのは、馬鹿でも知ってることだろう。
俺は汗を一筋頬を伝わせながらごちゃごちゃとした街を歩いていく。
「ったく、どこ行きやがった」
俺は窮屈な黒の革手袋を取って前髪をかきあげる。少し伸びてきた前髪が暑くて鬱陶しい。
俺の前に聳え立つのはスラムとの境となる高く厚い壁。その場では特に荒らされた形跡などもない。門番からも街にスラムの人間が侵入したとの情報もない。
辺りを見回すようにしながら俺は来た道を引き返す。路地裏なども確認しながら。
スラムから逃げてきたのだろうか。痩せ細った人間が少ないもののいたので、俺はそいつらのいる場所を覚えておくことにした。
この件が落ち着いたら騎士団の方で話をして何か手を打たなければならないだろう。
スラムにいるのは良くないことだ。犯罪が何度も起こる無法地帯。だからといって逃げてきたやつらを見て見ぬふりすることはできない。街には街のルールがある。そこで食に困って罪を犯されたら困る。まずは街にいるスラム出身の人間の対処。スラムの取り締まりの強化。それを巡回騎士に伝えなければならない。
俺はこの国の第四王子として、騎馬隊副隊長としてこの国の平和を保たねばならない。
そんなとき、俺は右のとある路地裏が色鮮やかなのを見つける。近づいてみて、俺は目を見開いた。心臓が変に脈打つ。ぐらりと視界が揺らいで、その場に何とか踏み留まる。
そこに落ちてたのはパンが入っていたかと思われるバスケットと手紙、変な雑貨や本だったり色々。
その中でも俺が目を離せなかったのは大きな花束。たくさんのジャスミンの花に色とりどりの花が彩っている。それは、ジゼルがセレーアにあげたという花束の特徴と一致していた。
「くそ……!」
俺はその場に膝をついて殴るようにその地面に拳を叩きつける。一発で俺の指から赤い血が流れる。
心のどこかでは信じていた。セレーアは本当に道草を食ってるだけであって、どこかでばったり会って俺の名を呼んでくれると。そして生意気なことを言って俺をイラつかせて。
だが、ここにある物が何よりの証拠になるだろう。誰よりも優しいセレーアが民や友からもらった贈り物をこんな所に置いていくわけがない。要らないと思ったとしてもこんな目につく場所には絶対置かない。
よって、セレーアは誰かに無理やり連れていかれた可能性が高まった。
俺は街にある騎士団の宿舎のある駐屯地に向かった。城と同じように白で統一された屋敷のような建物。そこに国家資格の持つ騎士は原則住むようになっている。護衛騎士、やむを得ない事情がある者以外は大抵ここに住んでいる。駐屯地には訓練場もあるため、かなり広い土地を所有している。
宿舎に入り、騎馬隊の騎士が普段過ごすエリアに向かった。それぞれの部隊ごとに住まう場所も異なっている。偶然騎馬隊エリアの広間にいた数人の騎士に指示を出し、今宿舎にいる手の空いた騎馬隊隊員を集めてもらう。
集まったのは二百人弱。本来なら五百人ほどいるのだが、別の仕事をしていたり休養をとっていたりするので仕方ない。この人数集まっただけでも十分だ。
「今からお前たちは急遽任務に取り掛かってもらう。姫が何者かに攫われた。手分けをして国を探して回れ。有力な情報も入手次第、連絡鳩で連絡をするように。第二は北、第三は南、第四は西、第五は俺と共にウェノプスに来い。良いな」
「御意」
数人の騎士から息を呑んだのが聞こえたが構わない。ウェノプスということは、何人かは察しただろう。この件に隣国が関わっている可能性があるということに。
ウェノプスとは隣国アルキューテとの間にある険しい山々が連なる山脈のこと。環境も何もかもが人間が行くような場所ではない所。
今全速力で向かえばウェノプスに行く途中のやつらに遭遇できるかもしれないし、足跡を見つけられるかもしれない。
俺はそれに賭けてみることにした。
現在、隊長が港町に訪れた他国の外交官の警備を担当しているので俺が隊長の役目を果たさねばならない。
成人したばかりの人間が隊長なんて。と馬鹿なことを思うやつはきっといないだろう。この騎士団は完全な実力社会。いつ誰にこの座から引きずり落とされるか分からない。
俺は隊員が準備をしている間に馬に乗って城に戻る。一人の老いた執事にこれから俺がしようとしていることと俺が見たことを伝えるようにお願いする。ルール通り、直筆のメッセージも渡して俺はすぐに城を出た。
この王族のルールに連絡鳩で大事なことを報告しないこと、といぅのがある。伝言鳩だと些か信憑性に欠けてしまうため、必ず王族が認めた者は王族から簡易的な証明書をもらった上で伝言を担当するというルールがあるのだ。
先程情報を渡した執事は昔から代々仕える家の者で、本人も長くここで働いているので信頼に値している。
騎馬隊はそれぞれ捜索を開始する。少しの痕跡が大きな証拠になるかもしれない。皆が血眼になってその痕跡を探す。たった一人の姫を見つけるために。
俺は遠く離れたウェノプスを目指して馬を走らせた。ここからアルキューテ領土まで丸四日ほどかかる。それまでには必ずこちらに返してもらう。
アルキューテには何があっても連れていかせない。俺が絶対に許さない。
セレーアをあの悲劇の姫などと同じようにさせるものか。俺は手綱を引きながら昔読んだおとぎ話を思い出した。
悲劇の姫とは史実をおとぎ話のように書き換えて子どもたちに読まれている物語だ。
物語中ではお姫様と呼ばれている、本名をモアという王女が主人公の悲しいお話。
彼女は愛する婚約者との結婚前日にアルキューテの者に連れ去られてしまう。アルキューテは人質の解放条件として絶対に果たせない内容を提示した。
ルキウスの領土三分の一を明け渡すこと。奴隷として五百人を輸入すること。モアをアルキューテの王の側妃とすること。
これら三つの条件に軽々しくルキウス側は首を縦に振るわけにも行かず。結局モアは牢の中で自ら命を絶つことを試みた。魂だけでも国に帰れるよう望んで。しかし牢にあるものだけでは死には至らずに、モアは酷く残酷に処刑された。その遺体がルキウスに戻ることがないよう、骨が一切消えるように処置したんだとか。
もちろんおとぎ話ではこんな残酷に書かれていないが、実際の話はこうだ。こんなことが一度だけでなく過去に何度も起きているため、アルキューテとは溝が深まるばかり。
俺は別に過去の人間のことなんかどうでも良い。ただ、その人間と同じ道をセレーアが辿るのが許せないだけだ。俺のせいで戦争が始まったって仕方ない。俺がその戦争を止めてやる。セレーアの居場所は、アルキューテではない。
俺の胸の位置にあるシルバーリングがとん、と俺の胸に当たった。
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