第9話

 私は起き上がっていつものように身支度を終えてその扉を開ける。ぽわぽわとした頭で部屋の外に出る。そこについ二年前まで毎日いた弟の姿はいない。

 高等部一年生であるテオは護衛騎士の資格取得のため今は実習のため城に帰ってきていないのだ。


 護衛騎士になるためには実際に護衛騎士として働く人の元で見習い護衛騎士として一緒に対象を護衛する実習期間がある。それが終わったら一人前の護衛騎士として認められるのだ。

 実習という経験を積んだら筆記試験と実技試験に合格しなければならない。実習期間は三年に及び、学園に通っている生徒の場合は高等部一年生のときに実習をし、最後の高等部四年生で試験を受けて晴れて卒業と同時に護衛騎士として職を手に入れる。筆記試験と実技試験が一番の難関と言われるように毎年ほんのひと握りしか合格できないので、卒業してもしばらく無職の時間が流れたりもする。


 まあ、テオのことだ。私はさほど心配していない。なぜなら初等部から様々な現役騎士に目をつけられている優秀な生徒なのだから。胸を張ってどんな人でも護衛しておいでと言える。


 でも、三年もテオに会えないのはさすがにしんどい。そろそろ限界なのだが。まだあと二年も残っているとか信じられない。信じたくない。早く私の元に可愛い弟を返してください、お願いします神様。


 私はそんなことを思いながらネグリジェ姿で城の外に出てふらふらと東庭園を歩いていく。甘い香りが身を包んで私は気分が良くなる。近くのベンチに腰かけて目の前に咲く花を見る。春に咲く花はどこか温かさを感じさせる可愛らしい花が多い。その花が風に揺られているのを見ていたら、突然眠気が襲ってきてしまった。


「……おい、どこでどんな格好して寝てんだよ」


 怒るような声が聞こえて私は目を開けた。私を見下ろすようにして冷めた目で見ていたのはギルべート兄様。睨むように見ているが、多分また探しに来てくれたんだろう。いつまでも優しい人だ。

 でもこんなんだからモテないんだけどね。顔良いし本当は優しいのに、もったいない。

 長かった髪は騎士コースに入学するときにばっさりと切りしばらく短髪で過ごしていたのだが、卒業した今は少し長くなってきていた。訓練のときに長いと鬱陶しいらしい。

 元々運動神経も良く筋肉質だった体もがっしりとしてきて、その上腕二頭筋の素晴らしさといったら!

 我が兄ながら世界最高峰だと思っているわ。


「家の庭なんだから良いでしょ」

「生意気な女は好かれねぇよ」

「お兄様に乙女のことを教えられても説得力なんてないわ」


 ギルベート兄様は怒ってしまったのか舌打ちしてどこかへ歩いてしまった。

 私はその後ろ姿に向かって声をかける。


「ありがとう、お兄様」


 ギルベート兄様は私の言葉をどう受けとったのか分からないが右手だけひらっと上にあげて行ってしまった。


 私は、あの日ノア兄様が突然姿を消してから元気がなくなってしまった。お兄様の中でも癒しな存在。私たち兄弟のことを誰よりも分かっていて、何かあったときはそばにいてくれて。最近は軽さが増した気がしてたけど、それでも優しくて頼れる大好きなお兄様。

 私たちに何も言わずいなくなってしまったことが気が気でないのだ。自分の意思で出ていったのならまだしも、連れ去られていたらどうしよう。それに、姿を消してもう二年になる。心配で仕方ない。


 とっくに成人したクロウド兄様は国の予算などを扱う王立銀行で仕事をしているし、シュティル兄様は次期国王として国王補佐という立場で仕事している。ギルベート兄様も騎馬隊副隊長という肩書きを手に入れ、騎士団に入り浸っている。ノア兄様は行方不明、テオは護衛騎士の実習。

 城にいるのは職に就いていない私だけ。お父様やお母様たちもいるけれど、それぞれ公務がある。

 こんな大きな城に私一人ぼっちでベンチに横になった。春はまだ少し肌寒くてネグリジェ一つじゃ震えてしまった。

 なんだか、ニートになった気分。周りに忙しく働いている人がいると自分が惨めに思えてきた。


 私はそっと門の先に目をやって立ち上がる。


「……少しくらい、良いわよね」


 部屋に戻った私はまず腰まで伸びるふわふわとした髪を櫛でとかす。長袖の白シャツの上に青のジャンパースカートを履く。つばが広く、青のリボンが巻かれた麦わら帽子を被る。白のサンダル履いて準備は終わり。


 私はメイドたちに気づかれないように城を出ることに成功した。何か盗みでも働いた気分になる。

 城は高台の上にあるのでレンガでできた坂道をずっと下っていけば街に出れる。緑に溢れながらも活気に満ちた国最大の都市だ。

 毎日開かれる大市場は今日も賑わっていた。食品から日用品、雑貨までも売られる百貨店みたいな所。

 私が行くのは市場の先の小さな花屋だ。


「ごめんください」


 私が扉を開けながら言う。扉につけられた小さな鈴の音が店内に響く。甘い匂いと自然の香りが体を包み込んで深呼吸をする。


「いらっしゃーい、ってセレーア様! お久しぶりですわ」


 エプロン姿の茶髪の女性は笑顔でお辞儀をする。私も軽く会釈して女性に駆け寄る。彼女の名はジゼルだ。

 私のことを久しぶりと言うのには理由がある。昔、ティナと一緒に苗や種を買いによくここに来ていたこともあってこの花屋の娘であるジゼルとは顔見知りだったのだ。お父様もティナと一緒なら外に出ても良いと許してくれて、ジゼルに会える日は滅多にない外出の日でもあった。

 彼女は実家の花屋を継ぎ、今は旦那さんと一緒に働いているのだそう。お子さんもいて、生後五ヶ月の可愛い男の子がいる。

 ジゼルは私と同じ二十歳。大変かな、と最初は心配していたがすっかり母の顔になって幸せそうにしているから私も安心した。本人が幸せで生きていられてるならそれに越したことはない。


「おや、セレーア様。いらっしゃいませ」


 店の奥から人当たりの良さそうな好青年がやって来る。この人がジゼルの旦那さんのヒューイさん。笑顔が素敵な夫婦で私は二人を見ているだけで幸せだ。

 ああ、それじゃだめだ。これで満足していたら私は第一王女という最高級の身分と絶世の美貌を持ちながら独身という最悪なレッテルが貼られてしまう。


「それにしてもセレーア様、私からの贈り物が待てなくて自分から来ちゃうなんて。相変わらずの欲張りさんですね」


 私はそうくすくすと笑うジゼルを見て首を傾げる。そんな私を見てジゼルも笑うのをやめて目をぱちくりとさせる。


「贈り物……?」

「え、自分の誕生日プレゼントをもらいに来たんじゃなかったんですか?」


 誕生日、プレゼント。誕生日、誕生日……。


「今日! 私の誕生日だ!」

「まさか、今まで気づいてなかったんですか?」

「……えへへ」


 私に呆れてしまったのか、ジゼルは首を横に振ると私に花束を渡した。ジャスミンの花でいっぱいで他にも色とりどりの花がある。その色にはどこか見覚えがある。


「これ……」

「そう。僭越だけれども、セレーア様のお兄様方の髪色に一番近い花を選んで入れてみたの。あんなに仲が良い兄弟を私は知らないわ」


 ジゼルは花のように笑う。私は改めてその花束に視線を落とした。そして、自分の胸元で輝くネックレスについた指輪が視界に入る。

 兄弟でお揃いのこの指輪のネックレス。誰か、まだつけてくれてくれている人はいるのだろうか。

 私はじん、と目頭が熱くなって目をこする。


「ありがとう。大事に飾るわ」


 私はそう言って花束を抱えて店を出ようとする。


「忙しいだろうからいつでもっていうのは難しいかもしれないけど、どんな日だってここに来てちょうだいね」


 ジゼルがそう言うと隣のヒューイさんも頷いてくれる。私は胸がいっぱいになって頷いた。大きく手を振ってこじんまりとした可愛らしい花屋とはお別れをした。


 花束を持っているとほど良く香る匂いが落ち着かせて心をほぐしていく。街がいつもより騒がしいなと思ったのは私の誕生日だったからかと恥ずかしながらも気づく。

 そのとき。


「セレーア様!」


 子どもたちが大声で呼ぶ声がして私は振り返る。すると、数人の子どもが私の足元に飛びついてきた。


「な……! あんたたち、王女様になんてこと!」


 その後から母親と思われる女性が走ってやってきた。私はそんな彼女を手で止めて微笑んだ。


「構いませんわ。君たち、何かあったの?」


 私は子どもたちと目線を合わせるために屈む。お兄様たちが、よく私にしてくれていたように。

 子どもは目をキラキラと輝かせて笑っている。この無邪気な笑顔は何よりも宝で、素敵だ。可愛いなぁ。


「あのね、えっとね」

「お、お誕生日おめでとう!」


 一人の子が言うと立て続けにお祝いの言葉をくれる。私は突然のサプライズに瞬きを繰り返してしまう。私からの反応がない子どもたちは不安そうに私を見ている。


「う、嬉しいわ! とっても、とっても嬉しい。今日は一番幸せな日になりそうよ」


 私は子どもたちの頭を一斉にわちゃわちゃと撫でる。皆満足したのか、さっきよりもとびきりの笑顔で手を振って帰っていく。女性も何度も私に頭を下げて、走っていってしまった子どもを追いかけにまた走っていく。

 お母さんって大変ね……。

 私のその様子を見ていたのか他にもたくさんの人が直接お祝いの言葉をかけてくれて、いつの間にか私の手には花束の他にもプレゼントを持っていた。私の店の商品もぜひ、と持ってきてくれた。嬉しいけど、前も見えないほどにもらってしまったから歩きづらい。ティナだけでも一緒に行こうと誘えば良かったと今更ながら後悔。


 誕生日となると、お披露目式がある。早く戻らないとティナに叱られそうで私は早歩きで城に戻っていく。気づいたら街の端っこまで来てしまっていて、戻るには小走りでもしないと早く戻れなさそうなのだ。


 そんなとき、私はとある路地裏でぐったりと座り込んでる少年、と思われる人を見つけた。

 この街の向こう側にはいわゆるスラム街と呼ばれる街が広がっている。でもスラム街と都市の境は門や壁があるし、見張りによって監視されているので流れ込んでる可能性は低い。だが、もしかしたら逃げて来ているのかもしれない。

 私はその子に近づいてぼそっと声をかけてみるが反応はない。大きな声で呼びかけても変わらない。


「おかしいな、息はしているはずなんだけど」


 私はもらった物を地面に置いて、さっきもらったパンの詰め合わせの入ったバスケットを探す。


「あ、あったあった。一人では食べきれないと思ってたからちょうど──」


 そこで私の記憶は途切れた。記憶が途切れる前、誰かに首を掴まれたような気がしたが、それが何なのか考える前に私は意識を手放した。

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