第4話

 少し時は流れて。私は七歳となっていた。

 あの日産まれた弟も無事に成長して四歳になっている。

 子どもの成長の早いこと。この前まで母上のお乳を飲んでいたかと思ったらもう自分で歩くようになっている。言葉もとっくに話せるし、素直に感心してしまった。

 子どもってすごいんだな。


 私は本を読もうと思って王立書庫にやって来ていた。書庫は執務室と同じように木目調の家具が並ぶ。

 図書館のようなもので、この国の本は全てここに揃えられている。許可があれば誰でも入ることができるのだが、基本的には入ることは許されていない。王族の特権だ。

 私は学園に行けないので家庭教師が来て授業をしてもらっている。さっきまでずっと授業をしていたので、その息抜きに興味のあることについて知ろうと思った。

 この国の歴史といい、何もかもがロマンに溢れていて私は勉強が好きになった。元は勉強嫌いで受験勉強もなくなくやっていたのがまるで別人みたい。

 数学とか理科とか。前世で学んだようなことの基礎部分は大体同じで苦労せずに済んだ。私が一番苦労したのは文字。アラビア語のようで英語のようで。何が書いてあるのか最初は読めなかったが、毎日の努力はやっぱり裏切らないでいてくれる。

 仕組みは英語と一緒。フランス語とかを学んでると思えば、まあ理解できないこともなかった。

 七歳にもなれば難しい本だって頑張れば読めるようになった。まだ古語とか他国の言語は読めないけど、いつか読めるようになったら良いな。


 書庫のどこか埃っぽいとこが逆に好きだったりする。部屋が埃っぽいのは嫌だけど、書庫ならなぜか許せてしまう。

 窓から溢れる太陽の光が行く道を照らして、幻想的で。私は浮き立つ足で立ち並ぶ本棚の間を歩いていく。


 私が探しているのは家庭教師のレオン先生が教えてくれたとある歴史書。子どもでも理解しやすいようにおとぎ話チックに物語が進められていて、重要なことも覚えやすくなっているらしい。レオン先生も子どもの頃読んで助かっていたのだという。

 そんな話を聞いてしまったら読みたくて仕方なくなる。どこにあるのか、まずは歴史書が並ぶ奥の本棚に向かっていた。


「えっと……。ああ、あった! でも一番上にあるわ。ハシゴはどこにあったかしら」


 子ども向けの本なのに一番上にあるのが謎すぎる。

 私は場所を覚えてどこかに置いてあるはずのハシゴを探しに行く。こんなに広いのにハシゴは二つくらいしかないので不便だ。


「ぴぎゃっ!」


 本棚のどこかにあるハシゴを探すのに夢中で前を全然見ておらず、前にいた柔らかい何かにぶつかってしまった。


「おっと、何か探してた?」


 聞き覚えのある声が聞こえて私は上を見上げる。そこには最近学園に入り浸って会えてなかったクロウド兄様がいた。私はそのまま抱きつくように兄様の大きな体にしがみつく。

 お兄様は少し困ったように笑うと、しゃがんで私の頬を両手で包んでぐりぐりとやる。ちょっと痛い。


「はは、もちもち」


 クロウド兄様は私と五歳離れているので現在十二歳。初等部の二年生だ。今は三学期なのでもうすぐ三年生と進級する。

 成績は常にトップ。運動はあまりできないけど、欠点があることが逆に安心するくらいには優秀な人だ。


 お兄様は私の頬を包んでいた手を放すとそのままお腹の方に手を回して軽々と持ち上げた。


「何をお探しですか? プリンセス」


 私を見上げるその眼鏡の奥にある綺麗な目が私を優しく見つめて、兄なのに思わず惚れてしまいそうだ。

 十二歳でこの色気。恐ろしい男になっちゃって、変な人に騙されないか私は心配よ。


「ハシゴを探してました」

「ハシゴ? 取れない本があったのかな。僕を本棚まで案内して。僕が君のハシゴになってあげる」

「お、お兄様がハシゴなんて……! 自分で取れますわ」


 そう抗議したが、お兄様は「あはは」と笑うだけで私を下ろしてくれない。この状況だと自分でハシゴを取りに行くこともできないし、諦めてお目当ての歴史書がある本棚まで案内した。

 私の思い描く十二歳の身長よりも大きなお兄様は少し背伸びするだけで一番上に置かれた本を取ることができる。かっこいい。


「歴史入門書か、僕も読んだな。懐かしい。これだけで良かった?」

「はい。ありがとうございます」


 私がお礼を言うとお兄様は微笑んで頷いた。書庫の真ん中には少し大きめの机がある場所まで私を運んで机に本を置く。

 私が椅子に座って本を開くとお兄様は顎に手を置いたままどこかへ行ってしまった。しばらくすると三冊の分厚い本を持ってお兄様は戻ってきた。私がまだ読めない古語で書かれた本だ。


 私は紙をめくる音だけが耳を掠めながら読んでいく。面白おかしく歴史について書かれている上に時々絵もあるので漫画を読んでいる気分になる。こうやって難しいことを覚えられるのは楽だし好きだ。

 私は本を持って読んでいる。下に置かないのは、本から覗くように難しい本を読むお兄様にバレないように見るため。まだ幼さは残るが凛々しい顔つきになってきて、その鋭い目はお父様とそっくりだ。

 顔だけでない。少し骨ばってきた細めの指。伸びた背。日に日に子どもの成長を感じさせられて、中身が成人女性である私は涙が流れそうだ。


「もう、ジロジロと見て。気づかれないと思ってた?」


 そのクロウド兄様の言葉に私は我に返った。つい無意識にじっと見つめてしまっていたことに気づいて私は本で顔を隠す。顔が熱を持っていくのを感じて、堪らなく恥ずかしい。


「み、見てませんわ」


 私がそう言ってもお兄様は笑うだけ。頬を膨らませて目の前の字を追いかけていく。

 黙っているとお兄様は冷たいように見えるが、こう話したりすると意外とよく笑う人で優しくて頼れる人なのだ。学園でどのように過ごしているか分からないが、お兄様の本性を知ったら全人類惚れてしまうんじゃないかって思う。それは困る。私だけのお兄様でいて欲しいけど、それも無理な話よね。はぁ、色男って罪だわ。


 歴史入門書とは言っていたが、古代からの歴史が書かれている大変分厚い本だったので半分読む頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。少し眠たくなってうとうとしてきたので目の前にいるお兄様を見る。さっきまで見ていた本はもう閉じられて違う本を読んでいる。その本が一番下に積まれているので恐らく三冊目なのだろう。それすら終盤まで読んでいて驚いた。

 だが、読んでいる本人はその本を体で覆うようにして眠ってしまっていた。

 ストレートのブルーアッシュの髪が流れていて、私は身を乗り出すようにしてその髪にそっと触れた。柔らかく細い髪がキラキラと輝いていて綺麗だった。眼鏡が本に当たって痛そうだったので、そっと起こさないように外してみる。

 眼鏡を外すとお父様の顔にそっくりだ。幼い頃はシュティル兄様の方がお父様に似ていると思ったが、よく見てみると顔のパーツは一番似ていると思う。

 静かな寝息を立てて寝ている姿は子どもなんだと感じさせて、あんなに大きく見えた存在が嘘のよう。


 初等部の生徒会に二年生ながら所属しているようで、仕事をテキパキと終わらせられることから仕事量が多いから最近睡眠時間をしっかりとれていないとティナから聞いた。

 ティナはどこからその情報を仕入れているのか謎だが、さすがはできる女。情報通だ。


 今だけは、時間も忘れてゆっくりと寝て欲しい。まだ十二歳だ。この世界の平均寿命がいくつか知らないが、まだ時間はたっぷりとある。子どもらしく遊べば良いのに、と思うけどきっとそんな時間があってもお兄様は勉強することを選ぶのだろう。

 穏やかな時間が少しでも長く続けば。

 そんなことを思っていたら私に強烈な眠気が襲ってきて、そのまま机の上に倒れるようにお兄様の髪をそっと掴んだまま眠ってしまった。


 その二人の姿は夕飯を食べに来ないことを心配した四人の兄弟によって発見され、それを聞いた両親がこっそりと見に来た、というのは二人の知らない話。


 ◇◆◇◆◇◆


 最初は妹が産まれたと聞いて、可哀想だなと思った。こんな男だらけの王族に女の子が一人。女の子の相手もしたことがないし、ちょっと苦手だ。だから、産まれても最低限だけ、あまり関わらないようにしようと決めていた。

 僕が王になる可能性は低い。僕は側妃の子だ。正妃の子に継承権が優先されるから、既に正妃の男子が二人いる時点でお察し。そんな考えもあったから女の子で少し安心もしたりした。


 産まれてしばらくして見たその小さな子は可愛らしかった。弟たちが産まれたばかりの頃も見てきた。でも、やっぱり女の子だからか弟たちとは違う。ほわほわとしていてあどけなくて、丸くて白い柔らかな肌は少し触れただけで壊れてしまいそう。その子はセレーアと名づけられた。

 セレーアはみるみると成長した。よく笑う子で勉強熱心で、たくさんの人に愛される子。関わらないようにしようと決めていたのにセレーアを見るとそんな気持ちが馬鹿馬鹿しくなる。

 時々、別人のような顔をするが視線に気づくと子どもらしい無邪気な笑顔を見せてくれる。こんなの、世に出してしまったら取り合いが始まりそうだ。このまま城の中だけで生きていけば良いのにとまで思っている。ずっと、僕が守ってあげるのに。

 まあ、そんなことしてもセレーアのためにはならないから、せめて世に出たときに困らないように支えるのが僕にできることだと思ってる。


 可愛い僕らのたった一人の妹。この国の太陽。

 ずっと幸せでいてくれることが僕の願いだ。


 目の前でまだ半分も読めていない本を開いたまますやすやと寝てしまったまだ幼い妹の将来に胸を躍らせ、その柔らかくてすべすべとした頬を撫でた。

 そんな顔を見ていたら、僕にも睡魔が襲ってきた。

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