第2話

 執務室は普段仕事漬けのお父様が入り浸っている部屋だ。ダークブラウン色の木製の家具で揃えられた統一感のある部屋はどこか穏やかな気持ちにさせてくれる。

 たくさんの書類が置かれた長机とふかふかの椅子の背後には窓がある。両側の壁には隙間なく本棚が並び、もう空きがないほどに本が敷き詰められている。真ん中には赤い絨毯の上に低くて小さな丸机とそれを囲むようにして二つ、革の黒のソファがある。

 絵に描いたような書斎とも言えるような場所にいるのは普段王だけで、たまに側近の人や貴族のお偉い人たちが来るくらい。

 今日はお披露目会とパーティーの打ち合わせを妃も交えてすると昨夜、偶然にも話を聞くことができたのだ。


 執務室の茶色の扉をノックすると、中から優しい母の声が聞こえた。私は背伸びをしてドアノブを下げて扉を押し込むようにして開ける。

 ソファに深く腰かけているのは実母である正妃レジェッタ。キラキラと輝くブロンド色の長い髪を緩やかにお団子に結いている。白のネグリジェ姿で起きたばかりのようだ。

 その座る姿は一輪の美しく力強い花のようで、思わず見惚れちゃう。とっても綺麗な人。

 女性の方でも比較的背の高い人で、可愛いと言うより綺麗という言葉が似合う人だ。長い足を組んで頬杖をつく大きな態度が目立つが、それもかえって様になるのだ。


 一方で長机の方の椅子に座るのはこの国の王、ウィレウス。寝間着姿のお母様とは異なって、豪華な装飾のされた黒のジャケットに身を包んだその姿は威厳を放っている。

 カーマインの鮮やかな赤色の髪が風を通し、さらりと流れていく。今日は髪をワックスで固めており、いつもよりもさらさら具合は控えめだ。いつもはほとんど手を加えないヘアスタイルだが、式典もあってさすがに準備はしていたみたい。


 美男美女が朝日に照らされている姿はぜひとも画家の方に描き残してもらって永久保存して欲しい。私が大金を支払ってでも部屋に飾りたい。

 そのとき、自分たちがお兄様と同じような考えに至ってるのを気づかされて抗えない血の濃さに身震いをまた一つした。


「可愛いプリンセスが早速お披露目に来てくれたみたいだ。おはよう、昨日はよく眠れた?」


 お母様はその白く細い手で手招きをする。私は遠慮なく母の元に駆け込んで隣に座ると、軽々と持ち上げられてその膝の上に乗っけられた。母の温もりと鼻をくすぐる花のような甘い香りが心地良い。


「おはようございます、お母様。昨日は皆が私をたくさんお祝いしてくれる夢を見たんです」


 私はお母様が言葉を発するのを遮るように夢の話をしていく。だんだん突拍子もない話になっていくが、お母様は時々相槌を打っては笑って聞いてくれる。


「きっと、夢で見た日よりも今日は素敵になるよ。なんてたって、お前はこの国でたった一人のお姫様で、皆に愛されるべき愛らしい娘なのだから」


 お母様は優しく私の髪型が崩れてしまわないように頭を撫でる。その手つきが少しくすぐったくてつい笑ってしまった。


「セレーア、今日は良き日だ。雲ひとつない青空、きっと神もお前の産まれたこの日を祝福しているのだろう。この一年で一番幸せな日になるよう、尽力させてもらおう」


 お母様の座っているソファの後ろに立ったお父様は私の姿を優しく見下ろしながら微笑んだ。

 シュティル兄様に似て人に興味がなさそうな、冷たさのある顔なのだが、そんな顔からは想像できないほど人情に溢れた温かな人。父親としても満点な人。私はそんなお父様が大好きだ。


 私たちはしばらく穏やかで優しい時間を過ごし、お父様と共に執務室でお母様の準備を待つことにした。

 お父様は今日も仕事に追われている。様々な申告への対応、国内の情勢の確認など。ほぼ雑用のような仕事だが、国にとっては最重要である物事をテキパキと終わらせていく。最近はシュティル兄様も手伝うようになったと聞いたが、一人でも全く問題ないんじゃないかと思うくらいには速く、あっという間に書類が片づいていく。

 私はしばらくらその様子から目を離せなかった。あまりの視線に気づいたのか、お父様が視線だけを私の方に寄越す。


「レジェッタはもう少し時間がかかるだろう。クロウドたちの所へ行っておいで」

「お兄様たちにはもう会いましたわ。あれ以上一緒にいると色々危うい気がして、逃げてきました」


 私が素直に言うとお父様は口を大きく開けて豪快に笑う。真剣に話しているのに、笑うなんて失礼なことだ。


「それならメイドと一緒に散歩でもしてくるか?」


 私はそのお父様の提案に力強く頷く。お父様がメイドというときは決まってとあるメイドの指名をする。

 そのメイドこそ、私の幼い頃からずっと側で支えてくれる若いメイドのティナだ。茶髪ボブで感情の読み取れない淡々とした顔。こんな顔、と言っては失礼かもしれないが、感情の薄い顔でよく親父ギャグを連発する人なので私は好きだ。


「では、ティナのところまで一緒に行こう」


 お父様はそう言うと私の小さな右手を握って執務室を出る。お父様が言うに、ティナは東庭園で仕事をしているようなのでそこへ行くことにした。

 お父様の大きくて固くて、それでいて温かいこの手が私は大好き。

 メイドの元まで自ら王と王女が出向くなんて。と普通なら思うだろうが、この国ではよくあることだ。こう、民との距離が近いというか。だからこそ王に対して興味を持つ人も多く、この平和な国が成り立っているのかもしれない。


 ティナは広い東庭園で何かをメモしながら歩いていた。ティナは庭園の管理長補佐も兼ねている。恐らく西庭園を管理長が見ているので、東庭園を任せられたのだろうと推測する。ティナは仕事がよくできる優良物件だ。


「ティナ!」


 私は左手を高くあげて大きく手を振る。声に気づいたのかティナは振り返って長いロングワンピースを掴んで行儀良くお辞儀をする。黒のワンピースの上には白いエプロンをつけ、茶色のレースアップブーツを履くこの衣装がこの王族に仕えているメイドの服。

 可愛らしい服装だが、ティナが着ると可愛さではなくかっこよさを引き立たせている。その太ももには拳銃でも仕込まれているのを、安易に想像できるのは秘密。


「ティナ、仕事中申し訳ない。お前が良ければセレーアと一緒にいてくれないか」

「構いません。セレーア様がよろしければ」


 ティナは頭を上げて淡々と言う。目をそっと伏せて、長いまつ毛がそこに影を落とす。モデルさんみたいでついうっとりとしてしまう。

 この国の人は顔が良くて困っちゃうわ。


「では、俺はこれで。時間になったらティナと共に戻ってこい」


 お父様はそう言うと踵を返して城の中に戻っていった。その後ろ姿は綺麗で、本当に自分はあの人の血が通っているのか不思議になる。


 記憶が戻っていなければ、私もあんな感じに堂々とした人間になっていたのだろうか。なよなよした性格をした日本人であった記憶が強すぎるせいで私に王族は務まらなさそうだと思い、少し不安になる。

 そんな私の気持ちなんてお見通しかのようにティナはしゃがんで私と目線を合わした。ぴっしりと見つめるその瞳には期待や信頼を感じさせる。


「セレーア様は素晴らしい方ですよ。幼いのにしっかりしておられる。自信を持ってください」


 ティナの温かい言葉に私は微笑む。少しの言葉なのに背中を優しく押されたようで、全くティナには敵わない。ティナは私のメイドであって、年の離れたお姉ちゃんのような存在であって、誰よりも信用できる親友のような存在でもある大事な人だ。


 私は庭園を歩き回るティナの隣を歩いていく。


 庭園はこの城を取り囲むようにしてある。広いため、東西を門で分けられている。

 東西の違いは特にないのだが、強いて言うなら東は散歩向きで西はお茶会向きだ。迷路のようにはなっているのだが、色とりどりの季節の花を眺めながら歩いていく、暇を潰すには最適の場所が東庭園。一方で年中同じような花が咲くものの、白を基調としたガゼボと呼ばれる広い休憩場所があり、王族主催のお茶会はよくそこで開かれるのが西庭園。

 私はどちらかと言うと東庭園の方が好き。来る度に景色を変える方が見ていてワクワクするし、私を褒めてくれる庭師に高頻度で遭遇できるからだ。


「ティナ、今何をしているの?」

「私が丹念込めて育てた花たちが無事かチェックしているんですよ」


 ティナはあまり多くを語らない。きっと、それは私に余計な心配をさせないようにする計らいなのだろう。幼い姫に王族であるということは常に命を狙われるということなのだと知られないために。

 そんな優しさが心をじわりと温かくさせていく。


 私はティナに気づかれないように小さく笑うと、赤レンガの道を軽い足取りで進んだ。

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