君と過ごす、夏色の風景:お題『夏祭り』

 夕方前。普段ならば長居する客が多いはずの時間帯なのに、店内は従来よりも閑散としている。

 本来のシフトより一時間以上早く出勤した友人は、いつも以上に淡々とした様子で機械のような手際で注文と会計を済ませていく。だから、こちらもそれに負けじと、効率よくオーダーをこなしていった。

 テイクアウトが多く、また、客の中には浴衣姿もちらほらと見受けられる。みんな隣駅の夏祭りに行くのだろうかと思うと、妙にソワソワした気持ちになる。

 電車の発車時刻に合わせて客の波が途絶えた。

 一息つけるタイミングは、退勤するのに絶好のタイミングでもある。

「お疲れさま! また明日な!」

「ああ、お疲れさま。また明日」

 更衣室に駆け込んで最速記録で着替えて飛び出す。

 あの短い夜の日、友人からの頼みに交換条件を持ち出してよかったと心の底から思った。まさか約束より三十分以上も早く来てくれるとは予想外だったが、きっと友人なりの気遣いと感謝の形なのだろう。本当に、持つべきものは友である。

 早く、早くと急いた気持ちが溢れ出て自然と駆け足になっていた。昨晩は眠れなくなるほどに楽しみだったのだから仕方ないだろう。今日は、念願叶って恋人同士になれた人生初の彼女と、生まれて初めての夏祭りデートだった。


 彼女との待ち合わせ場所は隣駅の駅前広場の端だ。

 わかりやすい改札前ではなくその場所にしたのは、大きな木が植えてあるので木の葉が日陰を作ってくれるからだ。仕事の都合上で待たせるかもしれない可能性を考えて、少しでも長居しやすい場所を選んだ。

 予定より少し早く到着できたことに安堵したのも束の間、そこにはすでに先客がいて。

「……あ、れ?」

「あ! 早かったですね」

 目が合った彼女は嬉しそうに笑う。

 しかし、普段と違う装いの彼女に惚けてしまい、気の利いたことを言うどころか上手く笑い返すこともできなかった。

 彼女は、深い紺色の生地に白い曲線と赤い金魚が映える浴衣を着ている。金魚の尻尾のように結んだ帯は生成り色で、落ち着いた上品なコーディネートだ。一纏めにしたミルクティーベージュカラーの髪は、誕生日にプレゼントした花飾りの揺れる簪で留めていた。

 不意打ちなんて卑怯だと言いたくなるくらい浴衣姿の彼女はとても綺麗だった。仕事終わりだという言い訳があったとしても、自身は情けないくらい普段通りの格好だというのに。

「…………」

「折角なので、浴衣を着てみたんです」

「っああ、すっごく似合ってます、めちゃくちゃいいです」

 彼女に催促されて答えるだなんてカッコ悪い自覚はあったが、それでも、何も言わないよりはマシだろうと思うことにした。こういうのも初めてだから、上手く彼女を褒められたのかわからない。けれど、よかった、と呟く彼女の表情がどこか照れているように思えたから間違ってはいないのだろう。もう、これだけで心が満たされる気がした。

「ええと、それじゃあ、行きますか」

「ええ。お祭り、楽しみだったんです」

「オレも楽しみでした」

 慣れていないだろう下駄を履く彼女を気遣って少し歩くペースを遅くしようと思ったら、意外にも彼女のほうが普段通りの速度で歩いていて。慌ててその隣に並んだ。和装に慣れているのか、靴擦れを気にしていないのか。まだまだ彼女の知らない部分は多い。

 もっと仲良くなる一環として、できれば、この夏祭りデート中に敬語を外せたらいいなと目論んでいる。知り合った時からずっと敬語で話していたので、どうしてもタメ口で話すと妙な違和感を覚えてしまう。とはいえ、それはお互い様らしいので、できれば、くらいの目標だ。

「あ、そう言えば。暑中見舞い、ありがとうございました。お返事はあんな感じで大丈夫でしたか?」

「全然問題なかったです。むしろ、勝手に送りつけたのに、わざわざ返事くれてありがとうございます。嬉しかったです」

「ふふ、よかった。年賀状と同じような葉書のやり取りを、夏にもするだなんて新鮮でした。来年は早めに送りますね」

 なんて話をしている間に駅前商店街に到着した。

 想像以上に人が多いものの、屋台で買い物する以外で立ち止まっている人は少なく、人混みは滞ることなく流れている。だからなのか、それほど混雑しているとは思えなかった。

 顔を見合わせて、はぐれないようにお互いの距離を詰める。手を繋ぐのが最善なのはわかっていても、それを言い出せるほどの度胸も、だからと言ってさりげなく手を繋げるほどの器用さもない。……まあ、手汗でベタベタしてる、なんて彼女に不快に思われたらどうしようと悩まなくて済むんだとプラスに考えておこう。

 人の流れにのって少しゆったりとしたペースで歩き、ひとつひとつ屋台を見て回る。

 ずらりと並ぶ屋台は圧巻の一言で、夏祭りに来たんだと実感させられる。焼きそば、チョコバナナ、焼き鳥、わたあめ、リンゴ飴。オーソドックスかつ祭りの主力商品を売る屋台が並んでいた。

「あ、リンゴ飴を買ってもいいですか?」

「もちろんです」

 リンゴ飴の屋台で立ち止まって、買い物をする彼女を眺める。

 浴衣に合わせて買ったのだろう籠バックから、普段使っているのと違う小花柄のがま口財布が出てきたのを見て、大事なことを思い出した。

「あ、お金……!」

「え?」

「それくらいオレが払いますよ」

「そんな、別に大丈夫ですよ。これくらい自分で買えますから」

 やんわりと断られた。

 いいところを見せられなくて悔しい半分、少々金欠気味だったので有り難い半分。

 そんなことを考えていたら、リンゴ飴を受け取った彼女の手の、その指先だけ不自然に日に焼けているのに気付いた。

「あれ、指先だけ焼けたんですか?」

「そうなんですよ。実はこの間久し振りにポタ、……サイクリングしたんです。それで、うっかり手だけ日焼け対策するのを忘れて、ここだけ変に焼けちゃったんです」

「へえ。何か意外でした。自転車に乗るんですね」

「大学生の頃から始めた趣味なんです。通学用に買ったクロスバイクなのでそこまで本格的じゃないんですけど、走ってると気分転換にもなるし楽しいんですよ」

「そうなんですね。……オレ、自転車持ってないんだけど、迷惑じゃなければ今度一緒にやってみたいなあ、なんて――」

「もちろんです! いつも一人なので、一緒に走れるなんて楽しみです」

 食い気味に頷いた彼女は嬉しそうに目を輝かせている。

 それから、祭りの屋台を見て回りながら彼女は、住んでいるアパートの周辺や近場のサイクリングコースを走った時のことを話してくれた。以前も感じたことだが、自分の好きなことや夢中なことを話している彼女はキラキラと前を向いていて、その笑顔がとても似合う。

 そんな彼女を好きになったんだと、改めて思った。

「――だから、きっと……、……あれ?」

 熱弁していた彼女は、ふと、通りの外れを見て首を傾げた。

「どうしたんですか?」

 彼女の視線を追いかけてそちらを見れば、一人の女性が困惑した様子で周囲を見回している。片手にスマホを持っている様子から連れとはぐれたのだと思われた。

「同僚です。こんなところでどうしたんだろう。……声を掛けてきてもいいですか?」

「もちろんです」

 彼女の問いに迷わず頷いた。




   ・


 覚えている限り、彼と話をしたのはこの間の同窓会が初めてだった。

 友人行きつけの居酒屋での二次会で悪酔いした友人たちに巻き込まれないために、目の前に座っていた彼に話しかけたのである。だから、何を考えているのかわからない彼から後日『今月末の夏祭りに一緒に行きたいです』と連絡をもらった時は、ドッキリか人違いだと思ったほどに理由がまったくわからなかった。

 少女漫画か恋愛小説でしか見たことないような展開に混乱しつつ数回のやり取りののちに誘ってきた理由が、いつも一緒にいる友人たちが行けなくなったから一緒に行く相手を探しているからだと理解して了承した。決め手となったのは、友人たちはみんな相手がいたり予定があったりで自身もまた夏祭りに一緒に行く相手がいなかったことと、家でのんびりするよりはいいかと思ったことだ。本人には言えないけれど。

 服装は、さんざん迷ったけれど無難にリネン生地のセットアップにした。丈が少し長めのスカートとバックウエストのベルトが、それとなく浴衣っぽいシルエットになるからだ。小物で籠バックとローヒールのサンダルを合わせれば、より夏祭りらしい装いになる。知人から、浴衣を着ればいいのに、と言われたがさすがにデートじゃないんだから遠慮した。……と、言うのにだ。

 待ち合わせ場所にやって来た彼はあろうことか浴衣を着ていた。

「夏祭りには浴衣だろう?」

 そう言った彼の言い分は、友人とはラフな格好で行くが女性と出掛けるのにラフな格好は失礼になると思った、だそう。そう言われては、確かにと頷くしかなかった。

「えっと……、浴衣じゃなくてごめん」

「何で謝るんだ? その格好でも問題ないだろう。俺はいいと思う」

 そんなことを真顔でさらりと言うのだから、本当に何を考えているのかわからない。けれど、例え真顔だったとしても、褒められたら嬉しいのに変わりない。いろいろ考えてお洒落してきてよかったと思った。

 合流した後は、人の流れにのって祭りの屋台を見て回っていた。

 高校時代の学友と回る夏祭りはとても不思議な感覚で。途切れがちな会話はいつもこちらから始まって、相変わらずワンパターンの相槌を返してくれるだけ。けれど、彼の人柄なのか、つまらないとか気まずいとかそういうわけでもなかった。

 そうやってのんびりと回っている最中、数ある屋台の中にフランクフルト屋を見つけた。珍しい、けれどこんなところでフランクフルトが食べられるなんて。

 嬉しさに思わず足を止めた瞬間、後ろを歩いていた人たちに背中を押された。

「あっ」

 気付いて振り返った時には遅かった。

 後ろにいたのは団体だったらしく、大量の人たちの壁で彼を見失ってしまった。周囲を見回しても、彼以外にも浴衣姿の男性がちらほらといるせいか探し出せそうにない。慌ててスマホを取り出すものの、この人の多さから電波の入りが悪かった。

 どうしようと考えながら人混みを避けて通りの外れに出る。こういう時にむやみやたらに探し回るのは得策ではないことは友人のおかげで知っていたので、彼とはぐれた場所の近くで待っているのが最善だろう。

 彼ははぐれたことに気付いているのか、探してくれているのだろうか。そう考えていた時だ。

 誰かに肩を叩かれて、名前を呼ばれた。

「……!」

 そこにいたのは職場の同僚だった。

 目が合った同僚は心配そうな表情をしている。はぐれてしまった心細さが見透かされたような気恥ずかしさがあったものの、知り合いに会えた安堵で肩の力が抜けた気がした。

「こんにちは。こんなところで会えるなんてビックリだね」

「私もビックリだよ」

 浴衣姿で気合ばっちりな彼女の隣には私服姿の男性がいる。彼女は今日、初めての彼氏と夏祭りデートだと聞いていた。きっと、この人が彼氏なのだろう。

「こんなところでどうしたの? お友だちさんと一緒じゃ……?」

「ちょっと、はぐれちゃって。電波が悪くて連絡もとれそうになくて、どうしようかなって思ってて」

「……ああ。はぐれた時ってその場で待っていた方がいいって言いますからね」

「そうなんですよね。でも、相手もそう考えてどこかで待ってそうな気がして……」

 何しろ彼は、一緒に行く相手がいないからって理由で一緒に飲みに行ったことのある学友を誘うほどで、夏祭りだからって理由で浴衣を着てくるような人だ。何を考えているのかわからない人だけれど、その思考が案外素直というか単純なことはわかり始めていた。

「じゃあ、どうするの?」

「……もう少しだけここで待ってみて、来ないようならこっちから探してみようかなって、思ってる」

 同僚とその彼氏は顔を見合わせた。

「お友だちさんと会えるまで一緒にいようか?」

「でも。せっかくのデート中なのに申し訳ないよ」

「ううん、気にしないで。一人で大丈夫かなって、私が心配なんだから。いいですよね?」

「もちろん。オレも気になっちゃって祭りを楽しめないと思うんで」

「そういうことなら、ありがとう、二人とも」




 失敗した、と気付いた時には遅かった。

 人の流れに押されてはぐれた場所から少し離れてしまったが、何とか抜け出して、屋台と屋台の間で立ち止まった。行き交う人を眺めていても探し人は見つかりそうにない。はぐれたと気付いた時にすぐにスマホで連絡を取ろうとしたが、この人の多さに電波が悪いようで、そもそもメッセージが送信できない。

「どうしたらいいんだ……?」

 彼女が足を止めたことに気付いた時に自分も立ち止まっていれば、離れそうだと思った時に咄嗟に腕を掴んでいれば、こんなことにならなかっただろう。後ろから来た人たちに体を押されてはぐれるなんてよくある話だし、何より過去にも数回、小学生の頃に友人たちと同じような目に遭っている。あの時は友人の一人が大声で自分を探してくれたからすぐに再会できたが、大人になった今、同じ手法はとれないだろう。

 最後にちらりと見たのは、こちらを振り返った彼女のどこか不安そうな顔だった。

 誘った者の義務として、いや、一人の人間としてそんな相手を放っておくわけにはいかないだろう。そんな自身の気持ちはわかっていても、はぐれた相手と再会できる術はわからない。探した方がいいのだろうか、しかし、はぐれた時はその場で動かない方が見つかりやすいと言う。

 二人して探し回っては本末転倒なのはわかっているが、ただ待っているだけなのはどうも気持ちが落ち着かない。

 どうしたものかと腕を組んだ瞬間だった。

「あれ? こんなところで何してるの?」

 声を掛けられて振り返ると、幼馴染みであり友人の一人がそこにいた。

「ああ、お前こそ何してるんだ?」

「僕はそこの自販機に飲み物を買いに来たんだよ」

 友人が指差した先には、値段は安いがラインナップは渋い、で有名な自動販売機がある。商店街で店を出す人向けだと聞いたことがあったが、なるほどと理解できた。友人の手には二人分のお茶がある。自分の分と、父親の分だろう。

「それより、そっちこそ何してるの? 今日は好きな人を誘ったんじゃなかったの?」

「ああ、誘った。二人で来ていて、これからお前の屋台に行くつもりだった」

「え、じゃあ何で一人なの? 相手は?」

「はぐれた」

「連絡したの?」

「いや。電波が悪くてメッセージが送れない」

「えええ、何してるの、早く探してあげなよ!!」

 普段は大人しい友人が、大声を上げて肩を揺さぶってきた。

 前後に揺られながらも理解できずに首を傾げる。

「だが、はぐれた時は動かない方がいいと言うだろう?」

「それは、相手が探し回る人の場合! 今は、君が探す番だよ!」

「だが……いいのか?」

「いいも何も、きっと心細い思いしてるよ! 早く探してあげなよ!」

 友人の言葉に、最後に見た彼女の表情を思い出した。

「探してくる!」

 人混みの中へ、来た道を戻るように飛び出す。

 振り返った彼女と目が合わなかったのは、すでにこちらを見失っていたからだろう。話した回数は多くないが、ふわふわした雰囲気の彼女が案外しっかりした人なのは知っているつもりだ。不安そうだった顔が脳裏をよぎる。

 きっと彼女は、はぐれた場所の近くで待っているはずだ。

 並ぶ屋台をひとつひとつ確認しながら記憶を遡る。

 あの時彼女はわたあめの話をしていた。だから、それを聞きながら、後でわたあめを買おう、と考えていたことを思い出す。彼女は胃に溜まる食べ物には興味がないようで、じゃがバターも焼きそばもベビーカステラも見向きもしなかった。けれど、焼き鳥やから揚げは見ていたから、きっと友人の屋台は気に入ってくれる、と思っていた記憶が蘇った。

「フランクフルトか……!」

 あの辺りには、毎年奥さんのためにフランクフルトを出す気前のいいおじさんの屋台がある。おそらく、彼女が足を止めるとしたらあの店だろう。

 大急ぎで向かった先。

 予想は大当たりで、フランクフルトの屋台の側、大通りから細道に入れる外れに彼女はいた。……しかし。

 そこには彼女以外に見知らぬ男性がいて、何やら話している。

 誰だろう、と思った時には体が動いていた。

「俺の連れに何か用ですか」

 間に割り込んで眼前の男性を睨む。

 背に庇った彼女が自身の名前を呼ぶ声には、隠し切れない安堵が伝わる。こんなことなら、友人に背中を押されるよりも先に探していればよかったと後悔した。

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 目を丸くした男性は、ややあって、嬉しそうに笑った。

「ほら。オレの言った通り、探してくれてじゃないですか!」

 その言葉に、今度はこちらが目を丸くする番だった。


 しばらくして、男性の連れだという浴衣姿の女性が合流した。

 話を聞くとその女性が彼女の職場の同僚で、はぐれて一人ぼっちだった彼女を心配して側にいてくれたらしい。ちょうど彼女を見つけた時に同僚の女性がいなかったのは、食べ終わったゴミを捨てに行っていたからだった。

「もうはぐれないように気を付けてね」

「うん。本当にありがとう」

 ちなみに。あの時この男性は、探しに行こうと考え始めた彼女にもう少し待ってみてはどうかと説得していたのだと教えてくれた。はぐれた時は動かないで待つのがセオリーなのははぐれた時に冷静になれる側に向けた言葉で、どうすればいいかわからない側は必死になって探すものだから、と言っていた言葉には妙な説得力があって納得せざるを得なかった。

「迷惑をかけてすみませんでした」

「気にしないでください。無事に再会できてよかったです」

 朗らかに笑った男性は、彼女の同僚の女性と連れ添って立ち去って行った。

 楽しげに話す二人が人混みに紛れて見えなってから、改めて彼女に向き直る。

「すまない。俺がしっかりしてなかったばっかりに」

「こっちこそ、ごめんね。余所見しちゃったから」

「いや、はぐれるかもしれないことをもう少し考慮するべきだった」

 後悔は後を絶たないが、無事に再会できたことを喜ぶべきだろう。いつまでもこの空気を引き摺っていては、彼女も、そして自分自身も楽しめない。

 あの時見た不安そうな顔が脳裏をよぎる。

「今度ははぐれないようにする。だから、まだ一緒に祭りを回ってもいいか?」

「もちろんだよ。まだ何も買っていないんだもん」

 彼女は笑顔で応えてくれた。

 見知った場所だとしても、普段と違って人が多ければ勝手が違ってくる。ただはぐれただけでも、そこから何が起こるかわからないのは当然のことだろう。本来ならば手を繋ぐのが一番いいのかもしれないが、まだ、自分たちはそれができる関係ではない。繋ぎたい気持ちはあるが、それを彼女に押し付けるのはまた違う。

 見知らぬ男と話している彼女を見て、心がざわざわした。その感情の理由を、その名前を知っているからこそ、この関係は丁寧に育てていきたいと思った。

「連れて行きたい屋台があるんだ。ここから近い場所にある」

「うん、じゃあまずはそこに行こっか」

 先程よりも彼女の側を歩く。

 はぐれないためだと、自分自身に言い訳をして。




   ・


 今年の夏祭りは特別だった。

 自分が父親の手伝いで屋台をやっていることもそうだけれど、それ以上に、幼馴染み兼友人が二人とも女子を夏祭りに誘ったことが大きい。片方は完全に恋愛感情を持って、もう片方は深い友愛を持って。二人とも成長したなあ、と妙に感慨深く思ってしまうのは幼馴染みだからだろう。

「あ、会えたんだね」

「ああ。さっきはありがとう。助かった」

 自販機の近くで会った時は一人だった友人は、今ではちゃんと連れと一緒にいる。

 夏を先取って花火をやったあの日、最後に線香花火で勝負をしながら、好きな人ができたとカミングアウトされた時はビックリした。けれど後日、その心から溢れんばかりになみなみと溜まった気持ちを聞いて、実ってほしいと心の底から思った。

 だから、こうして二人並んで立っている姿が嬉しく思えた。

「毎年ご家族が屋台やってる、って聞いたことあったけれどこの屋台だったんだね」

「うん。お父さんのこだわりが詰まってるんだ」

「せっかくなら一人一本食べたいなぁ」

「……二人は仲が良いんだな」

「うん。同じ選択授業を受けてたからね」

「同じグループで、毎回お菓子を作ってたんだよね」

 高校生の時、選択授業で家庭科を選んでいた。

 三年間クラスは違ったけれど同じグループになって、こっちの勝手な我儘を聞いてくれて毎回お菓子作りをさせてくれた。彼女の友人もお菓子が好きだからと快く頷いてくれたのだ。彼女は人の心を汲み取れる優しい人だから、何を考えているのかわかりにくい友人にお似合いだと思える。

「そうだったのか。……じゃあ、二本くれ」

 納得したように頷いた友人はそれから脈絡もなく二本分の料金を出してきた。

 丁度の料金を受け取って、二人分を焼き始める。

 目の前で、奢る、払う、と不毛な問答をしている二人の会話を聞きながら、塩胡椒をさらさらとかけた。粉砂糖を振るうのとはまた違う感覚だけれど、こういうのも嫌いじゃない。

「お待たせ。食べる時は汁で服を汚さないように気を付けてね」

「ありがとう」

「ああ、わかってる。じゃあ、またな」

 それぞれ受け取った二人は手を振って離れていく。

 見送るその背中からは、どこで食べようか話しているんだろうなと想像できた。




   ・


 目が覚めた時、スマホが着信音を鳴らしていた。

 寝ぼけながら電話に出て、今どこ、と焦った君の声を聞いたら眠気が一気に吹き飛んだ。

「ごめん、今すぐ行く!」

 その言葉にすべてを理解したのだろう。わかった、待ってる、とそれだけ告げられて電話が切れた。

 時計を見て事の重大さを思い知らされて、パニックで頭が真っ白になった。言葉にならない声で絶叫しながら慌てて身支度をする。

 すでに、待ち合わせ時間は一時間も過ぎていた。


「本っっっ当にごめん!」

 両手を合わせ、深々と頭を下げる。

「寝坊でよかった。何かあったのかと心配してた」

「うっ、本当にごめん……」

「大丈夫。わたしは気にしてないから」

 その言葉に嘘がないのは空気感で伝わってくるからこそ、その優しさが地味に痛い。まさか昼過ぎまで寝てるだなんて思いもしなかった。こんなことなら念のために目覚ましをかけておけばよかったと、過ぎたことを後悔してしまう。

「それに、待ってる間に次の脚本を手直ししてたの。すごく良い作品になった」

「あ、それってもしかして……!」

「うん、そう。この間出したお題の、みんなから貰った答えを基に書いたやつ。もう少しで完成するから楽しみにしてて」

 誇らしげに君は言った。

 大学生の時のサークルから始まって今でも続く演劇活動は、思いの外、失せない大事なことになっているようだ。趣味ってどんなものですか、と言われた遠い昔のことを思い出すと何だかとても嬉しくなる。

「とにかく、寝坊して遅れてごめん。埋め合わせじゃないけど、その分今日は楽しませるよ」

「わかった。期待してる」

「よし、行こう!」

 二人並んで、夏祭り会場へ向かう。

 地元の駅前商店街は人で溢れている。それほど大きくはないけれど、かといって狭いわけでもない商店街の通りには、両脇に屋台がずらりと並んでいる。食べ物屋が多いのは商店街ならではなのかもしれない。

 屋台を見て回る人の流れにのってのんびり歩きながら目当ての屋台を探す。

「わたし、こういう夏祭りって来るの初めてなんだけど、特設ステージとかがあるんでしょ?」

「盆踊りする場所はあるけど、特設ステージ? はないかなぁ」

「えっ。じゃあ、お祭りの最後の花火は?」

「それもないよ」

「そうなんだ。映画や本ではよくあるから、そういうものだと思ってた」

 口調こそは変わらないけれど、少ししょんぼりしているのがわかる。

 映画や本とは縁遠いから、君が想像していたものがどんなものかはわからないけれど、きっと、ただ屋台で買い食いするだけでなく何か特別なイベントがあると期待していたのだろう。

「じゃあ、帰りにどっかで花火買って、やろうよ!」

「え、いいの?」

「もちろん! ……あ、でも。この辺花火していい場所がないから、家の前になっちゃうけど」

「いいよ。わたしが住んでるマンションの前はそういうの禁止だし」

「二人でやってもいいけど、折角ならみんなも誘おうよ! ……まあ、来てくれるかわかんないけど」

 特に、夏祭りの日にも平然と仕事の予定を入れた友人は絶対に断る気がする。が、友人の幼馴染みにも声をかけておけば、何だかんだ結局来てくれるはずだから問題はないだろう。

 友人兼幼馴染みの二人に電話をしようとして、ふと思い留まる。父親を手伝って屋台をやってる方はもちろん、好きな人を誘ったとかいう方にも、邪魔をしてしまうことになるだろう。電話したらすぐに伝言メモだけ入れられればいいのに、と思いながらメッセージを送る。すぐに既読にならないから気付いていないらしい。そっちの方が気が楽でいい。どうしても来てほしいわけでないのだから。

「あ、フライドポテト売ってる!」

「本当だ」

「ちょっと買ってくる。もうお腹ペコペコでさ」

「わたしも買う」

 人の流れから抜けて、隣の焼きそば屋に比べて客入りの悪いフライドポテト屋に向かう。来年もこの屋台がありますようにと心の隅で小さく願いながら、二人お揃いでフライドポテトを買った。


「あ、あった!」

 商店街を半分過ぎた辺りで、一番行きたかった屋台とようやく出会えた。

 友人兼幼馴染みの一人が父親とやってる屋台。

「あ、二人とも!」

 友人はちょうど注文が入った分の串焼きステーキを焼き終わったところだったようだ。友人が差し出した串焼きステーキ、同年代くらいの知らない女性が袋詰めしてお客さんに渡している。

 友人の父親のこだわりが詰まった串焼きステーキは、毎年、夏祭りに欠かせない必須料理だ。

「オレは二本で、えっと」

「わたしは一本ください」

「わかった。合計三本だね。今焼くからちょっと待ってて」

 友人は手際よく三本のステーキに色の違う塩をニ種類と、胡椒をかけると、それを鉄板の上に並べる。

「思ってたより来るのが遅かったね」

「いやぁ、寝坊しちゃってさ」

「えええ、寝坊したの? ……もう、二人とも何してるんだか」

「え、あいつも寝坊したの?」

「寝坊じゃなくて、はぐれたんだって」

 じんわりと片面が焼けたところでステーキをひっくり返して、赤ワインを豪快にぶっかける。じゅうと大きな音を立ててワインは一気に蒸発した。

 昔、友人の父親にどうしてワインをかけるのか聞いたことがあった。何でも、少し厚めのステーキの中までしっかり焼くために蒸し焼きっぽくする必要があるのと、ワインの香り付けをするため、そして何よりワインが蒸発する音で客寄せをするためらしい。

「そう言えば、親父さんは?」

「今、ご飯休憩ついでに知り合いの屋台に挨拶回りしてるよ」

「ふーん、そっか」

 相槌を打ちながら三本分の料金を女性に渡す。

 この女性が店の手伝いをしているのはそれが理由なのだろうか。

 ありがとうございます、とハキハキした声で言った女性は声を聞いてもやっぱり知らない人で。気になるけれど、何て聞けばこの人に失礼にならないのかわからないので、結局何も聞けずじまいである。

 幼馴染みなこともあって高校生までは互いの交友関係をそれなりに知っていた。だからこの女性はおそらく、その先、友人が通った専門学校か、今働いている所で知り合ったのだと思われる。……まあ、無理に今聞かなくても、今度遊ぶ時にでも聞けばいいだけの話だけれど。

「はい、お待たせ」

「ありがとう」

「じゃあ、また後でな!」

 串焼きステーキを受け取って、次のお客さんが後ろで順番待ちをしていたから、長居せず早々に立ち去る。

 祭りの前日までは上手くできるか不安だと言っていたけれど、十分、友人の父親と同じくらい上手にできていると素人目から見て思う。

 大人になったんだなオレたち、と妙に感慨深くなった。




 夏祭り会場の商店街を、反対側まで抜けた時にはすでに日は落ち始めていた。

 フライドポテト、串焼きステーキ、チョコバナナ。焼きそばにフランクフルト、じゃがバター。思ったよりもたくさん買い食いをした。

 夏祭り会場に入った当初は買い食いだけで楽しめるのか謎だったし、そんなに食べられるのか不安もあった。けれど、いざやってみたら案外楽しいしペロリと食べきってしまった。

 今は、先程買ったイチゴ味のかき氷を、君はから揚げの詰まった紙コップとたこ焼きをそれぞれ持って会場の外にいる。道中でも人の少ない場所で立ち止まって食べていたけれど、この辺にはベンチもあるからもう少しゆっくり食事ができるだろう。

 ちょうど空いたベンチに二人並んで座る。

 黄昏に染まる夏祭り会場は、まだまだ熱気で溢れている。飾り付けの提灯に明かりが点き始めたので、もしかしたらこれからが本番なのかもしれない。駅の方から流れてくる人の量もだいぶ増えてきている。

「妹さんも来てるの?」

「ううん、あいつは今日、犬友とバーベキュー」

 今朝早く愛犬を車に乗せて出掛けたんだって、と君は続けた。

 プール付きの広いドッグランがある場所で、近くにバーベキューできる場所もあるのだと説明してもらった。その話を聞く限りだとメインはドッグランだろう。君の妹のことだから、あの水鉄砲も持っていったのかもしれない。あの日、水鉄砲の撃ち合いで見事兄をびしょ濡れにして劇的大勝利を収めた後、残った水を地面や宙に発射して犬と遊んでいた姿を思い出す。

 今度会う機会があったら今日のことを聞いてみよう。

「早く食べなよ。かき氷、溶けちゃうよ」

 その言葉で我に返る。

 ハッと視線を落とすと、夏の熱気でかき氷はだいぶ溶けていた。ストローで残っている氷を突けばザクザクと崩れる山は少しずつ小さくなっていく。これだけ溶けていれば、たくさん食べても頭が痛くなることはないだろう。ジュースグラスに残った氷を食べた時のような、清涼感はないかもしれないけれど。

 窺うように隣を見れば、いつの間にかに唐揚げもたこ焼きもなくなっていた。

「あ、そうだ。ラムネ瓶売ってたけど、飲む?」

「今日はやめとく。わたし、いつも上手に開けられないから、零しちゃいそう」

「わかる! オレも開けるの苦手なんだよなー。毎回しゅわしゅわって中身が溢れてきて、慌てて飲むんだけど、いっつも手がベタベタになっちゃってさ」

「あと、飲む時にビー玉が邪魔で上手く飲めない」

「すっごいわかる」

 そして、それこそがラムネ瓶の醍醐味なのもわかっている。

 だからスーパーや飲食店で見かけた時はついつい買ってしまうのだけど、今回ばかりは少し遠慮したい。ここにはテーブルがないのでより難易度が高いし、何より、すぐに手や瓶が拭ける環境ではない。そういうのがリカバリーできる環境でこそラムネ瓶は輝くと思う。

「じゃあ、この後どうしよっか? 花火をするにはまだ明るいし、もう一周回る?」

 君の質問にすぐには答えず思案する。

 こんなことなら、待ち合わせ時間はもう少し遅くてもよかったかもしれない。

 結局会場内で出会えなかった友人たちのことを話す君の言葉を聞きながら、そんなことを考える。こんな時貴女だったらどうするんだろう、とこの場にはいない友人のことを想像する。確か、明るく人懐っこい彼女は今日、幼馴染みと一緒に少しだけ祭りに顔を出すと言っていた。

「……どこかのお店で時間潰す?」

「そうだね。そうしよっか!」

 立ち上がって、ごみを捨てに行く君に続いて立ち上がる。

 かき氷がまだ少し残っていたので残りを全部かき込んでしまおうと、ゴミ箱の近くで立ち止まった時だ。

「あっ」

 ゴミを捨てに来た人とぶつかった。

 その拍子に、かき込もうと持ち上げていたかき氷の器が手から滑り落ちる。

「あ、すんません」

 反射的に謝罪の言葉を口にしたその人は、友人たちと話すのに夢中なようでこちらに見向きもしない。その後姿に怒りは沸かなかったが、もう少し周りを見てほしいとは思う。

 だって、かき氷が地面にひっくり返ってしまった。

 ついでに言えば、Tシャツの裾にイチゴシロップの混ざった水が零れてしまった。

「大丈夫?!」

「大丈夫」

「じゃ、ないよな! ちょっと待って、確かこっちのポケットに……、あった」

 慌てた声の君が、ポケットから引っ張り出したハンカチタオルでシャツの裾を叩き拭いてくれる。ある程度の水分なら拭き取れたようで、ハンカチはすぐに薄イチゴ色で汚れてしまった。

「別に大丈夫だよ。ハンカチが汚れちゃう。それより、地面を何とかしないと」

「……わかった。じゃあこれ」

 汚れたシャツの裾ごとハンカチタオルを渡される。

 自分でやれ、と言うことなのだろうか。言いたかったのはそういうことじゃないのだけれど。

 しかし、こっちが何か言うよりも先に君は一目散にどこかへ走り出した。

 その背中を目で追えば、君はすぐ近くの自動販売機で一番安い水のペットボトルを買って、すぐに帰ってきた。

「ちょっと退いてて」

 言われるまま一、二歩下がる。

 君はペットボトルのキャップを開けると、かき氷の落ちた場所に買ったばかりの水をぶち撒いた。ポタポタと滴り落ちる水すらも振るい出して、ペットボトルの水は一滴残らず地面に撒かれた。それを近くのゴミ箱に捨てながら君は、しぶとく残っていた氷をスニーカーの底で地面の脇に寄せる。

「……ごめん」

「オレは気にしてないよ。オレも昔はよくやってたし。それより服、大丈夫?」

「大丈夫。これくらいなら洗えば落ちるから」

「よかった。でも、白いシャツだから少し目立っちゃうね」

 せっかくの夏祭りだから、お気に入りのクラゲTシャツを着てきた。

 白地に青白いクラゲが淡く描かれている。柄Tシャツなのにそれほど主張しないデザインなのがお洒落でとても気に入っていた。零したのが柄のない部分だったのは不幸中の幸いだろう。クラゲの触手の少し下の方にイチゴのかき氷を零してしまったから、まるで、クラゲが血を滴らせたみたいなデザインになってしまった。

「……いったん、家に帰って着替えてくる」

「わかった、一緒に行くよ。確か、駅の反対側だったよね?」

「うん、そう」

 頷いて、歩き出そうとしたら腕を掴まれた。

「待って待って。少し遠回りしよう」

「何で? 駅前を通った方が近いのに」

「何でってえっと……、ほら、駅前には人が多いじゃん。迂回した方が早く着くよ」

「確かに」

 納得して、駅前に背を向けた。

 夏祭りの賑わいを背に歩き出せば、当たり前のように君は隣を歩いてくれる。

 渡されたハンカチを握りしめる。これは丁寧に洗って返さなければ。

「ありがとう」

「どういたしまして!」

 そう言った君の笑顔は、あの日と同じでとても眩しかった。




   ・


「えー、そんなことがあったんだ」

「はい。それで着替えてからここに来ました」

「ここなら二人がいると思ったんだ!」

「まあ、一人はあっちで働いているけれどね」

 すっかり日が暮れて、もうすぐ夕食時になろうかという時間帯。

 数えるほども客がいない閑散とした店内には、きっと、自分たちの声がよく通っているのだろう。その証拠に、カウンターの向こうにいる幼馴染みが一瞬だけ白い目を向けてきた。

 年に一度の、隣町で開催される夏祭り。

 この祭りには昼頃に行って、昼食も兼ねて少しだけ回ってお腹を満たす。その後、幼馴染みが夕方から出勤している間、幼馴染みが勤める珈琲店で持て余したヒマを潰す。群青色の空に映える入道雲を見ながら二人でたこ焼きや串焼きステーキを食べるのも夏祭りらしくて楽しいから好きだけれど、こうして、普段は見られない姿を眺めているのも悪くはないのだ。それに、普段は絶対にそういうことをしない幼馴染みがこの日はケーキセットを奢ってくれる、しかもドリンクはLサイズで。

 だから、毎年、夏祭りの日はこうやって過ごしていた。

 けれど。今年はそんな話をした友人たちもこの店に来た。

 二人が来店したのは太陽がほとんど沈み、窓から見える空が昼と夜が混ざったような深い藍色のグラデーションに染まり始めた頃だろうか。客足が途切れた穏やかな空気の中で襲ってくる睡魔に負けそうになっていた時に、二人の姿を見てすっかり目が覚めた。だから、声音と態度こそは素知らぬふりで接客していた幼馴染みが、持ち帰りですね、と少し強めに告げた言葉に、店内で食べます、と友人があっけらかんと答えた時にその表情が引きつっていたのは見逃さなかった。

「そう言えば、この間の旅行の写真、まだ送っていなかったよね」

「あ、そうだった! すっかり忘れてた!」

「あいつのスマホもあるから、ほしいのがあったら送るよ」

「じゃあ、あの恐竜の骨格標本! あと、海で撮ってた写真と、ホテルの写真も!」

「うん、わかった。ちょっと待っていてね」

 データファイルの中から、この間の旅行の日付名のフォルダを開ける。

 博物館、海、ホテル。頼まれた写真を一枚ずつ送信していく。幼馴染みは大量に撮った写真を厳選するためにフォルダ分けはするくせに、時々関係のない写真まで入れてしまうのだから詰めが甘い。新幹線の切符の写真は旅行の思い出の写真ではないだろうに。

「あ。そのひまわりの写真、綺麗ですね」

 向かいから一緒にスマホを見ていた友人が言った。

 この写真は、幼馴染みが納得いくまで何度も何度も撮り直してようやく撮れた一枚だ。だから、撮った本人ではないけれど、褒められたことは嬉しかった。本人は決して言わないだろうから、代わりにありがとうと感謝を伝える。

「私、この写真、パソコンのデスクトップ画面にしているんだ」

「そうなんですね。わたしもこの写真もらってもいいですか?」

「もちろん!」

 笑顔で頷いて、ひまわり畑の写真を友人に送る。

 それから他愛のない話で盛り上がっていたら誰かが近付いてくる気配があった。

 顔を上げると同時に目が合ったのは、食べ終わったケーキの皿を回収しに来た幼馴染みだった。カフェオレの入ったグラスを退かせばお盆ごと空の皿が下げられた。

「よくもまあずっと喋ってられるな」

「お疲れさま」

「ああ、お疲れ。……あと三十分くらいで上がれる」

「早いね」

「店長が、今日はもう暇そうだから帰っていいって」

 そんな幼馴染みの言葉に誰よりも喜んだのは友人だった。

 声を弾ませる友人の声量は、自分たち以外誰もいない店内中に響くほど大きい。

「よかったじゃん! 仕事終わったら二人で夏祭り行くの?」

「もう行った」

「じゃあ、夏祭り行った後でオレん家来てよ! 花火やるから」

「行かない」

「そうだ、おじいちゃんがまたご近所さんからすいか貰ったんだ。食べる?」

「いや、だから――」

「わたしたちはもう夏祭りに行ったので、この後花火を買いに行く予定なんです。だから、夏祭りはお二人で楽しんできてください」

「だから話を聞け」

 幼馴染みは心底呆れた声で言い放つも、しかし、ちょうど来店客の姿が見えたからそれ以上言及しなかった。友人たちが口を揃えて言うことが、二人で夏祭りに行ってきて、だなんて何だかおかしくて少しだけくすぐったかった。

 幼馴染みは最後に深くため息を吐いて、さっさとテーブルから離れる。

 それを見届けてから友人が笑顔でこちらを向く。

「夏祭りに行った後でいいから、オレん家来てよ。花火やろうよ!」

「いいね、楽しそう。絶対行くよ、二人で」

 そう笑顔で答えた。

 仕事上がりの幼馴染みには悪いけれど、断る理由がなかったのだ。それに、呆れた顔をした幼馴染みはきっと何だかんだ言いながらも一緒に来てくれると信じているからこそ、迷わず頷けた。

 それから三十分後。

 幼馴染みの姿がカウンターからバックヤードに消えたのを確認してからお店を出る。もうすっかり顔馴染みになった店長から、毎年ありがとう、楽しんできてね、と言われた。幼馴染みが予定よりもうんと早く上がれたのは、もしかしなくても店長からの気遣いだろう。

 店の前で待っていると、しばらくもしないうちに幼馴染みが来た。

「あいつら、もう帰ったのか」

「うん。花火を買うからって先に帰ったよ」

「…………」

 黙り込んだ幼馴染みは何かを察したらしい。

 余計なことを言うと墓穴を掘りそうだったので、何も言わず黙っておく。

 ややあって、幼馴染みは小さくため息を吐いた。

「とりあえず飯食いに行くか」

「うん、行こう。お腹空いていたんだ」

 目的地は昼間も行った夏祭り会場だ。


 夜の夏祭り会場は、昼間よりもさらに熱気が増している。

 抜けるような青空の代わりに敷かれた、吸い込まれそうな夜空の下。屋台の電気と提灯の灯りで照らされた夜の夏祭りはまるでキラキラと輝いているようでとても眩しい。何から買おうか、の声に視線を返してくれる幼馴染みはどこか眩しそうなものを見る目でこちらを見てきたので、きっと同じようなことを考えているのだろう。

 目に見えて増えた浴衣姿のカップルだけでなく、仕事終わりの社会人や部活終わりの学生たちなどもちらほらと見受けられる。昼間は予定が合って来れなかった人たちが訪れるからだろうか、人の多さに比例して賑わいも増しているように思えた。

 和装にも洋装にも合うサンダル風の下駄がカラコロと音を鳴らしている。

「暑いね」

 そう呟いて、お気に入りのひまわり柄の団扇で扇ぐ。

 自分を仰ぐついでに隣を歩く幼馴染みにも時折風を送れば、心底怠そうな声で、悪いな、と返ってくる。これだけの人の多さに参っているのもあるだろうが、それ以上に暑いのがつらいのだろう。何か飲み物を買うかと問えば、いらないと答えがきた。

 毎年、同じ物を同じ店から買っている。

 料理によっては他の屋台でも売っているのだけれど、他の屋台で買おうとは思えなかった。味比べをしてその店に決めた物もあれば、何となく店主と顔見知りになったからという物もある。一年に一度だとしても、毎年そこで買うことが密かな楽しみになっていたりするのだ。

 人の流れにのって、いつもの屋台を探している時だった。

 ポケットの中のスマホが着信を告げた。

 取り出して確認してみたら、震えているのは預かったままの幼馴染みのスマホで。それを差し出せば、幼馴染みは怪訝な顔をしたまま電話に出る。

「もしもし?」

「おーもしもし? 元気そうだな!」

「ああ、先輩。お久しぶりです」

 幼馴染みは立ち止まるつもりがないようで、人の流れの中を歩きながら器用に電話をしている。だからその代わりに、幼馴染みが誰かとぶつからないようその腕を引きながら通りの脇に避ける。当人は気にしなくても見過ごせる問題ではない。一瞬、幼馴染みはこちらにしかめた視線を向けたが、素直に従ってくれた。

 賑やかな祭りの喧騒に掻き消えて会話の内容は聞こえないが、社交愛想のあった返答は次第に空返事になって、そしてついに呆れが混じったものに変わる。幼馴染みの先輩はサプライズ好きなので、おそらくまた何か突拍子もないことを言われているのだろう。

「は? いや急に何言ってんだ? だから人の話を――、……切られた」

 静かになったスマホを睨んだ幼馴染みは、ややあって、舌打ちとともにスマホをポケットにしまった。どんな内容だったのか視線で尋ねれば、それに気付いた幼馴染みがため息混じりに答えてくれる。

「先輩とその恋人から、一緒にキャンプに行こうって誘われた」

「キャンプ!」

「星が綺麗に見える場所で一緒に星景写真を撮りましょう、だと」

「いいね! 楽しみ!」

「……何で行くこと前提で話が進んでるんだよ」

 幼馴染みの呆れた声は聞こえないふりをした。

 その話題が出た時に即答で断らなかったことや電話を折り返さないことを考えれば、幼馴染みも存外乗り気なことがわかる。急な話で困惑しているだけだろうから、ちゃんとした日時で予定を組む頃には楽しみに思っているだろう。

「キャンプに行く時には天の川見えるかな?」

「まだ言ってんのか」

「約束したからね、一緒に見に行こうって」

「……もしかしたら見えるだろうけど、それはまた別の機会だな」

 その返答に思わず顔が緩む。

 星が好きな幼馴染みと過ごす時間がいつだって特別だった。そんな君の何気ない一言が平穏な毎日を、この人生をキラキラと素敵なものにしてくれる。どこまでも行けると、何だってできると、そんな気持ちが溢れてくるのだ。

 きっと、君も同じことを感じてくれているといいな、と思う。

 そんな願いを胸に、満面の笑顔で答えた。




 喧騒が遠くに聞こえる中、カランコロンと幼馴染みが履く下駄の音が響いている。

 ふと見上げた空は、夏祭りの照明と熱気で明るくて、星は見えそうにない。

 串焼きステーキと焼きとうもろこしに、唐揚げ。そして二人分のチョコバナナ。祭りの戦利品二人で両手に持って歩く帰り道は、いつもと違う特別感がある。一年に一度だけのこの時間が悪くないと思えるから、毎年わざわざこの暑さの中、あの熱気と人混みの中に出掛けるのだろう。

「これから、どうしようか?」

「……好きにすればいいだろ」

 幼馴染みが言わんとしていることは理解できる。何より、その足が向かう先はすでに自宅とは反対の方角であることから察しない方が難しいほどだ。

 勝手に取り付けられた今日の予定はあとひとつ残っている。

 ひとつであればいいのだが、そればかりは今考えても仕方ないことだろう。

 まだまだ、この時間は終わらないらしい。

 町内掲示板の前を通り過ぎる直前で、何となく、それに目を向ける。緑地のボードには他の知らせに混じって一際目立つように、今日の夏祭りの貼紙がある。

「久しぶりだよね、花火やるの。何年振りだろう。楽しみだね!」

「そうだな」

 きっと、来年からはこれが当たり前になるのだろう。

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君と過ごす夏色の風景 吹雪舞桜 @yukiuta_32

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