勇者、魔王を倒す
12
「いやぁっ」
悲鳴と共に床に放り出される王。黒レンガに模様が刻み込まれた床に頭を打ち付け、涙目で起き上がった王の額をつぅと血が伝う。
あ、と目いっぱいに涙を溜めて呼吸が浅くなり、王は震えだす。
「お、お兄ちゃんっ!?」
玉座を倒しそうな勢いで魔王は立ち上がると床で縮こまる王に駆け寄った。
「どうしたの、だ、誰にやられたの?」
肌色こそひどく悪いものの華奢な手で背中をぽんぽんとさする。おろおろしている魔王の声に、王ははっと息を飲んで顔を上げた。
「……あ、え」
魔王の顔をまじまじと見つめ、震える手でそっと細い腕を掴む。服装や頭に生える角こそ禍々しいが、一見ただの人間の少女だった。
瞬時、見開かれた王の両目から涙があふれだす。
「よ、かったぁっ」
体を起こして抱き着いてきた王に魔王は思わず後ろにバランスを崩しかけ、うわっと声を漏らす。
「い、いるっ、ちゃんといた」
「い、いるよ? ずっとここにいたけど」
首をかしげて怪訝そうな表情を浮かべる魔王。口を閉じ、優しい手つきでまだ震えている王の背中をさらさらと撫でる。泣かないでよ、と言われて王は音をたてて鼻をすすり目元を毛の生えたローブでこすった。魔王は少し苦笑した。
「けど急に来るからびっくりしたよ、水王が来ないって言ってたし。どうし……」
あ、と呟いて魔王は顔をあげた。
そこにはニヤニヤと笑みを隠そうとする魔物とドラゴンの姿が。
「魔王様、まだ普通に話せたのですね」
泥のような色だった魔王の顔が一気に耳まで赤くなる。
「い、いやっその、心の準備とかが……っ」
ぱっと王から離れて玉座に戻ると魔王は肘掛に腕を置き、こほん、と咳を一つつく。
「よくぞ参った、勇者よ。ここまで来れたことを褒めてやろう……」
邪悪な笑みを浮かべて王を玉座から見下ろす魔王。一瞬えっと声を漏らしかけ、しかし王は立ち上がると、ひのきの棒を魔王に向けて突き出した。
「わしは一国の王じゃ、ここに参るつもりなど正直無かったぞ!」
「えっ」
「王様ここまで来て素直かよ」
ブレねぇな、とひのきの棒。対峙する二人を魔物は呆れ顔で見ている。
「めんどくさい兄妹ですね」
「ええ、私もそう思いますわ」
おや、と魔物だけでなく一同の視線がそっちを向いた。
そこには国宝の壺があった。
えっ、と声が重なる。
「はじめまして、ひのきの棒さん、風王さん……と、ドラゴンさんも。わたくし、そこの二人の母です」
王と魔王の表情がその一言で固まった。
「こちらこそお世話になっております。壺なのですか?」
魔物、風王の発言にふふふと笑う母。
「実はこの子達の行く末があまりにも心配で……それでお城の壺に憑いてたのだけど、正直死ぬかと思ったわ」
「えっ、ええ、ちょっと待って。え?」
身を乗り出すように魔王が片手でタンマのポーズ。王も顔をそむけて視線が彷徨っている。じわじわと赤くなる二人に、部屋中の温度が上がる。
「それにしても二人とも成長しないわね。もういい歳でしょう?」
まったく、といわんばかりにため息をつく。
「ちゃっちゃと終わらせちゃいなさい。私は黙って見てますから」
優しくも、しっかりとした言葉に、王と魔王の息が詰まる。
暗い霧のしっぽがかすめ、張り詰めるような魔力に満たされた部屋。静かな中で、先に顔を上げたのは魔王だった。
「私は人類を滅ぼしたい」
魔王の言葉に王がはっと顔をあげる。
真剣なまなざしで、けれど少し眉をさげて語った魔王に、王は戸惑いを隠せないながらも、思い出すように言葉を返す。
「どうして?……何で、そこまでして滅ぼすことに固着しているの?」
「よくわからない」
え、と王が見た魔王は僅かに口角をあげていた。
「あの時、急に殺意が湧いた。魔王になったからだと思う、けど間違ってるとは思わないし良くないことだとも思わない」
緩くその薄灰色の瞳を細めて、魔王は微笑む。
「もし人類を守りたいのなら、私を殺すしかないよ」
出かけた声をこらえて、でも、と王は返す。
「話せば……ちょっとくらい、気が変わるかもしれない」
「どうしてお兄ちゃんはそこまでして人類を守りたいの?」
魔王の問いに王は少しだけ張り詰めていた表情から力が抜ける。
「一国の王として、民を守りたいと思うのは」
「その民は王を見捨てたのに?」
見開かれた目が、ゆらりと揺れる。
「私ならお兄ちゃんだけは絶対に守るのに」
「痛いのも苦しいのも、もう嫌でしょ?」
はく、と息を吸って、震えだした足が一歩あとずさる。
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