11

 あっ、と声を上げて女騎士が立ち上がった。

「だ、大丈夫ですかっ!?」

 ベッドに横たわった兄はゆっくりと瞬きをして、目の前の女騎士を捉える。目をこすり、反対の手で体を起こしたところで兄は目を見開いて女騎士を見た。

「いっ妹が魔物に……魔物にさらわれてっ」

「あ、えっ……あの子が」

 どうしよう、と涙ぐんで繰り返す兄と茫然とする女騎士。その様子を陰で見ていた青年は、え、と呟いた。

「……魔物?」






「その後、兵が魔王城に向かったが帰ってくる者はいなかった」

「あれから三十年、今ではほとんどの者が妹君の存在を知らないだろう」

「陛下はそれ以来些細な怪我でもパニックを起こすようになった」

 目尻にしわの入った総務の目が、うずくまっている王を捉える。マジかぁ、とひのきの棒が言ったその声は険しさを含んでいた。

 冷たい風が草原を吹き抜ける。


「あれ、何で総務はそれ」

「その時の誘拐犯が私だ」

「へっ!?」

 すっとんきょうな声をあげる。振り向き、泣いている王を見た総務はそのしわの刻まれた顔を微かに歪める。その視線はすぐにそらされた。

 王は草の上にへたり込んで、ぽろぽろと涙を流している。




「……王様」

 ひのきの棒の声に、ひっ、と声を漏らして王は肩を跳ねさせた。周囲を怯えるようにきょろきょろと見回す薄灰色の目は虚ろで暗い。

「ごめん。俺、いろんな勇者を見てきたけど、こういう時どうすればいいかはわかんないんだ」

「だ、誰っ、どこにいるの」

「草の上だよ、そこの……おっさんの近くにひのきの棒があるだろ?」

「お……おっさ、ん?」

 草の上を見渡す王。総務の足元にひのきの棒を見つけ、小さな手をギリギリまで伸ばしてそっと拾う。

「妹が魔王とか、王様の事情とか……でも俺の最初の仕事は魔王城に連れてくことだから」

 体を縮こまらせて、王は嗚咽を漏らしながら、ぎゅっとひのきの棒を掴む手に力を入れる。プルプルと震える手の中でひのきの棒が微かに光った。


「強硬手段に出る」

「え」

 ひのきの棒は空に舞い上がった。そして飛んでいく。


「へ、陛下ぁ!?」

 王の悲鳴は暗雲立ち込める魔王城方面へと消えた。

 草原で総務は手を上げかけたまま立ち尽くしている。








「お、おい人間が来たぞ」

「隠れろっ」

 慌てて茂みに隠れるゴブリンふたり、その前を二人の男女が通り過ぎる。

「てか、魔王とかマジ迷信でしかない」

「ホント未だに信じてるとかヤバいよな、うちの爺ちゃん!」

 大声で笑いながら進む二人に、木にとまっていた鳥が飛び立つ。

「ちな、どんなこと言ってんの?」

「なんかさぁ、選ばれた魔王が魔物に魔力? あげて超強くしてるとか?」

「何それ、魔王マジサプリメントじゃん!」

 二人のやり取りに、ゴブリンのひとりが立ち上がりかけたのをもうひとりが引っ張り戻す。がさっ、と大きな音を立てて揺れた茂みに男女は構える。

「ビビったぁ……て、うっわ!」

 女が男の方を見て声をあげる。

「マジひのきの棒!? だっさ、萎えるわぁ」

「ちっ、ちげぇし! こ、これはその、拾ったつーか」

 咄嗟に男は構えていたひのきの棒を投げ捨てた。こん、と立った小さな音は二人の大声にかき消される。

「ちょっと無理だわ、別れよ」

「は、はぁ!? お、おい待てよっ!」

 すたすた引き返す女のあとを男が早足に追いかける。

 二人のせわしない足音が小さくなっていく。


「あーあ、こりゃ今回の勇者来るまで時間かかりそ、う……」

 静かになった森の中、ひのきの棒の声が響く。

「……なんか今、やばいことが勇者に起きてる気が……」



「あの時、こういうことだったんだなぁ」

 俺の勘も捨てたもんじゃないな、とひのきの棒は超高速で飛びながら呟いた。

「今飛んでったそこの奴、今だけ食器のレンタル料がタダだよっ!」

 詐欺かよ、と客一同無言のツッコミが重なる。苦笑するウェイトレス。


 この平和がずっと続けばいいのに……

 そこへ現る勇者、魔王を一刀両断! 


 次回、

 『私、正社員になる』


 バイトだったのかよ、と客一同が思う。

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