10
ざざーん、と波打つ音にカモメの声が重なる。
「おや、待ち合わせかい?」
麦わら帽子をかぶった中年の男に声を掛けられ、女騎士は柵に寄りかかっていた体をなおす。潮風が停留している船の帆をなびかせた。
「いえ、仕事です。まぁある意味人を待っているんですが」
「大変だね、風邪引かないようになぁ」
「ありがとうございます。これでも丈夫なんですよ」
男は街のほうへ歩いて行く。夕焼け空を見上げて女騎士はうーんと唸る。
「迷ったら動くなって聞いたけど、流石に一日は……やばいよねぇ」
クビかなぁ、とため息をつく。
「ちょっと心配だし、探しに行くか」
歩き出した女騎士の頭上を影が通り過ぎた。見上げてみれば城の方へと、ドラゴンが大きな羽を広げて飛んでいる。
女騎士は瞬きし、もう一度見上げればもうドラゴンの姿はない。
「……は、はい?」
女騎士は駆け出した。
うとうとと壁に寄りかかる妹を見つつ、兄は部屋の中を見回す。
「どうした?」
椅子に座っていた団長が兄に目をやる。
「今、何時なんだろうって……思いまして」
「そうか、ここには窓が無いからな」
懐中時計を確認しようと団長は視線を落としてそれを開く。が、突如激しく咳き込みだした妹に顔をあげる。妹はうずくまり、苦しそうに片手は服を、反対の手は鉄格子を握りしめて震えている。
「なっ……い、今医者を連れてく」
鉄片を散らして鉄格子が割れた。
「え」
容易く折られる鉄格子。破片が飛んで兄の膝に当たった。茫然としいた兄は、妹に手を伸ばす。
「坊主離れろ!」
団長の腹部を妹の腕が貫いた。血が飛び散って引き抜いた返り血が鉄格子を越えて兄の顔にかかる。腹を抑え、膝から崩れる団長の頭を妹は鉄格子で殴る。
倒れた団長は吐血して、動かなくなった。
「あ」
片腕を赤く染め、血を浴びた妹が振り向くよりも先に轟音と塵煙が部屋を包んだ。
崩れたレンガが床に散乱し、鉄格子に当たって鈍い音を立てる。壁にあいた穴の向こうにはドラゴン、その隣に魔物がひとり、夕焼け空を背に浮いていた。
「お迎えにあがりました。魔王様」
魔物は床に降り立ち、血濡れた妹の手を取る。引かれるがままにドラゴンへと近寄ると、ドラゴンは喉を鳴らして魔物に鼻を擦りつける。
「これは私のペットのドラゴンです。仲良くしてあげてください」
妹がその手を乗せると、気持ちよさそうにドラゴンは目を細める。
「わぁ、かわいい」
「でしょう。ではそろそろ参りましょう、この子の背中に」
うん、と妹はドラゴンの背中にまたがる。咄嗟に兄は立ち上がり、瓦礫や血だまりを踏んで妹に駆け寄り手を伸ばす。
「待って、連れてかないでっ!」
「では、またいつか」
「行かないでっ」
瓦礫を蹴って橙色と紺色の混ざる空へドラゴンは羽ばたいた。あ、と兄は伸ばしたままの手を降ろし、血だまりに膝を落とす。バタバタと階段から兵士が駆け下りてくる。
「だ……っ団長!」
兵士の筆頭、あの青年が団長を抱え上げて首に手を当てる。ほどなくしてその手から力が抜け、蒼くなった顔をあげる。
「……お前がやったのか」
低く地を這うような青年の声に兄の肩が跳ねた。
「あ、あ」
「こいつを縛り上げろ」
引き付けのような息をして、見開かれた目は充血している。こぼれた涙が頬を伝って血の垂れる口元に染みた。かすれてほとんど聞き取れない声で呟く。
「わ、わから……な」
青年は横の兵士に目をやる。
「回復魔法」
兵士が唱えれば傷は全て元に戻った。声にならない息が兄の喉を通る。縛られた手足を僅かに震わせて、次の瞬間悲鳴が上がる。
既に血だらけだった手から新たに血が流れ、言葉にならない声だけが呼吸のついでに口から漏れる。俯いて膝に向けられた目の焦点が、合わない。
ふっ、と兄は顔を上げた。
「あれ」
言葉をこぼした兄の様子に、青年はその顔を見た。
「何で……い、たい」
「記憶が飛んだか」
唯一動かせる頭を左右に回して兄は辺りを見回す。
「あの、僕の妹、は……え、あ……魔物が」
兄の表情が固まる。
「……これ、なんかヤバいんじゃ」
叫び声が部屋に響く。泣き喚き、開いた瞳孔が左右に揺れて縛り付けたロープの下から血がこぼれる。まるで赤子の様に叫ぶ声のどのひとつも言葉になっていない。
ロープの編み込まれた紐がひとつ千切れる。
咄嗟に青年は手を突き出した。
「睡眠魔法っ」
声が途切れ、兄の頭がかくんとうなだれる。
やがて穏やかな寝息を立て始めたのを聞いて、青年はその手を下ろした。
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