第62話 魔女①

 ――悪意。

 それが直感での印象だ。

 現実とは異なるファンタジー世界で、世界観が違えば倫理観も違うと分かっているが、人が人に対して行うにはあまりに悪意が込められすぎている。


「……ごめんなさい。やっぱり話すべきじゃなかったわね、こんなこと」


 黙りこくる俺たちを見かねてニーナが言う。

 こういう時こそ所詮ゲームだと割り切ればいいんだろうが、そんなに器用に切り替えられるものでもない。

 胸の奥に黒く濁った何かが溜まり、その重さで気分が沈んでいく。


「あれ、だったら……」


 そんな時、シアがぽつりと呟く。


「シア?」

「おかしくないですか? 誰かを呪うほど酷い目に遭ったのは当時の聖女なんですよね? そのはずが、なぜ聖女の血筋が呪われているんでしょう」

「あ……」


 確かにそうだ。

 もし当時の聖女が何らかの理由でハメられたとして、その犯人が分かっているのなら自分の血筋ではなくそちらを呪うはずだ。


「いや、違う……もし自分をハメた犯人が身内だったとしたら……」


 仮定を口にすると隣にいたコヨリが頷く。


「考えられるのは跡目争い、権力闘争、遺産相続周り……その辺かしら」

「跡目争い……ね」

「見当違いでしたか?」

「いいえ。そこに気づけるなんて……あなたたち、若いのに賢いわ」


 コヨリの質問に感心したように言ったニーナ。


「あなたたちの想像通りよ。当時の聖女には妹がいて、全ての発端は彼女」

「妹……でも聖女になれるのは……」

「もちろん姉だけ。まあそれ以前に、賢くて、器量がよくて、誰にでも分け隔てなく接して……そんな聖女として完璧な人だったから、誰もその慣習に文句は無かったと思うわ――ただ一人を除いて、ね」


 それが妹、というわけか。

 あえて口にせずとも伝わったのだろう、ニーナは答え合わせをするように一度だけ頷いて、事の続きを語り始めた。


「聖女になれない妹は隣国の貴族に嫁ぐことになっていたんだけど、それがある日突然ご破算になったの」

「政略結婚、ってやつですか?」

「そうね。そして、恐らく聖女の妹にとって唯一の役目でもあった。ただ、それすらも台無しにされてしまった……図らずも姉の手によってね」


 神妙な面持ちで視線を逸らしたコヨリに代わり、今度は俺が口を開く。


「あー……その隣国の貴族とやらが惚れたのは、妹じゃなくて姉の方だったってわけか」

「妹から奪うつもりなんて無かったんでしょうけど、誰からも好かれるような人だったから……きっとそのせいね」


 立場も規模も比べるまでもないほどかけ離れているが、親の関心を独占され妹に嫉妬心を抱いていたから気持ちはよく分かる。

 恐らくは幼少期から姉と比べられて育ったはずだ。

 聖女になれて全てを持っている姉と、聖女にはなれず何も持っていない自分――そのたった一つの拠り所でもあったはずの結婚まで奪われてしまった。

 俺にはゲームという逃げ場があったが、もしそれすらも奪われたとしたらどうしていただろうか。

 ……溜め込んでいた不満が大爆発を起こして、それこそ何だってしたと思う。

 多感な時期の心を蝕む嫉妬というのは、それほど根が深い。


「それから妹は姉を糾弾した。聖女の身でありながら、こいつは浅ましくも他人の婚約者を誘惑する不浄の存在だ、これは主への冒涜だ……ってね」

「……まあ、そうだろうな」

「何かの間違いだと訴える人もいたけど、意外なことに、肝心の聖女は妹の言い分を受け入れたのよ」

「……っ」


 ああ、またこの感覚だ。

 酷く惨めで、やり場のない憤りに打ちのめされる。

 ゲームでの出来事だと思おうと努めても、状況がよく似ていてまるで自分のことのように考えてしまう。

 ぎり、と鳴った奥歯の音が嫌に大きく頭に響いた。


「そして、男と見れば誘惑せずにはいられないなら、そんな目は必要ないと両目を潰され、これまで偽の聖女として振る舞い大勢の信徒を裏切ったと街を追われた」


 当時の聖女はきっと、妹が自分に向けている感情の正体に気づいていた。

 そして同時に、そんな妹にしてやれることが何もないことにも気づいていた。

 そう、妹を想っているからこそ、そんな悪意でも受け入れるしかないんだ。


「レイ」


 名前を呼ばれ我に返る。

 こちらを見てはいないが、すぐ隣にコヨリがいる。

 触れ合った肩と手の甲から熱が伝わってきて、無意識に全身に込めていた力がすっと抜けていく。


「落ち着いた?」

「……ああ、悪い。ありがとな」


 はあ、と息を吐いて気分を入れ替える。

 感情移入もここまでいくと毒だ。

 分かってはいるが、飲み込まれないように気をつけないとな。


「……それで、なんでそこから公開処刑になんてなったんだ? 両目を潰して森に放り出した時点で死刑も同然だろ」

「それが……生きていたそうなの。半年経ってもなお、あの森で」

「半年……!?」


 偶然水や食料を見つけて……なんてことがあったとしても、もってせいぜい一月ほどだろう。

 しかもそれはモンスターに襲われないことが前提だ。

 どのみち、どちらも盲目の人間には不可能と言っていい。


「姉に代わり聖女となった妹が言うには、あの森で<<レムナントウルフ>>の群れを連れていて、居合わせたシスターを襲った。教会に復讐を企てる魔女となっていた……と」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る