第42話 暴力的な刺激
「で、選ばれたのがこの店……と」
3人並んで座っただけで満席になるほど小さな屋台、赤い暖簾にはカタカナで「ラーメン」の文字、店主のおやじは頭に白いタオルを巻いて、黙々と湯切りをしている。
ここがファンタジー世界であると一瞬忘れてしまうほどの異常なクオリティ――もといファンタジー世界にそぐわない圧倒的異物感。
しかし、ある種の懐かしさを感じてしまうほどの狂気の産物に、俺は半笑いを浮かべながら固まっていた。
「お待ち」
ごとり、という重厚な音。
店主へのお礼もそこそこに、目の前で湯気を上げるどんぶりに目を奪われた。
漂ってくる濃厚な豚骨の匂いと、淡い照明に照らされキラキラと輝く背油たっぷりの水面、添えられた青ネギと紅ショウガ、そして黒いきくらげのコントラストが映える。
「ごくり……」
もはや無意識のうちに喉が鳴る。
中世風のレンガ道も、ふと見上げれば目に入る大教会のステンドグラスも、俺たちのこの出で立ちも、そんなファンタジー感の全てを上から力づくで叩き潰す――暴力的な刺激の権化がすぐ目の前に存在していた。
「……もしかして、こういうお店はお嫌いでしたか? レイさん」
なかなか箸をつけない俺を見て、シアが不安げに問いかけてくる。
「いや、まさか……むしろ感動しすぎて迂闊に手が出せないっていうか……」
「それはよかったです。せっかくのラーメンが冷めてしまいますので、お先にどうぞ」
「そ、そうか……悪いな。じゃあ、いただきます」
レンゲを手に取り、スープをひと掬い。
逸る鼓動と呼吸を落ち着けて、二つ息を吹きかけてから魅惑の白いスープを啜った。
「う゛っ!?」
「れ、レイ……?」
なぜか鼻をつまんでいるコヨリが、スープ啜って再び固まった俺を心配そうに見つめていた。
しかし、そんなことはどうでもいい。
飲み込んだ端から全身に染み渡っていく豚骨特有の香りと塩味……今は体中の細胞という細胞が活性化していくこの感覚に浸っていたい。
「お待ち」
次にコヨリの前にどんぶりが置かれる。
しかし、当のコヨリは相変わらず鼻をつまんでいて、さらに目の前のどんぶりから上る湯気を浴びて顔をしかめた。
「えっと……これって……」
箸を取ったはいいものの、なかなか手がつけられずに困惑しているコヨリ。
俺とどんぶりを交互に見ては、助けを求めるように脇腹を指で突いてきた。
「なんだよ、初めて食べますみたいな反応して」
「みたい、じゃなくて初めて食べるのよ……」
「……マジ?」
そんな人間が現代社会に存在するのか……?
いや、ここ現代社会じゃないけど。
「そもそも、こんなに臭いがキツイのって……私が獣人だからじゃないわよね?」
「あー……確かにこの匂いが苦手って人は現実にもいるかも」
「そ、その……大丈夫なの?」
店主の前で「本当に美味しいの?」と聞かない辺り、なんとなく育ちの良さを感じる。
思えば、ノーラの店で食事をした時の所作もそうだった。
あれ……もしかしてコヨリって、いいところのお嬢様だったりする……?
「お待ち」
続けてシアの前にどんぶりが置かれる。
「……いただきます」
両手を合わせたシアが俺と同じくレンゲにスープをひと掬い。
そのままスープを啜ると、表情は変わらないながらもその顔は明らかに輝いて見えた。
それから箸を使って麺をレンゲの上に乗せ、そのままスープと一緒に食していく。
「まあ、あの食べ方なら服に汁が飛ばないから安心だな。多分アルケーならラーメンの汁が飛んだシミとかも現実と同じように再現するだろうから、ああやって食べるのがいいかも」
ラーメンの汁が飛んだシミとかも現実と同じように再現する――自分で言っていて本当に意味が分からないが、事実なのだから仕方ない。
さて、せっかくのラーメンが冷めちまう。
コヨリには悪いが、俺もさっさと食事に戻るとしよう。
「……」
隣でラーメンを啜りだした俺を見て、ようやくレンゲに麺を乗せたコヨリ。
再びその匂いに顔をしかめつつも、意を決したように一口でいった。
「……っ」
瞬間、ぴんと上を向く耳と尻尾、驚きに見開かれる青い目、上気する頬。
初めてラーメンを食べた感想は……聞くまでもない。
この反応ならもう心配はいらないな。
それから俺たち3人は、夢中になって目の前の豚骨ラーメンを堪能するのだった。
◆ ◆ ◆
「毎度」
払った金額は一人辺り880G。
ここまで現実に即した価格設定になっていることに店主の
何があのおやじをここまで駆り立てているのかは分からないが、絶対にまた来よう。
もし店の存続に関わる何かが起きれば、ギルド【ルピナス】がバックにつき総出でなんとかすると誓った。
コヨリもシアも異論ないだろう。
示し合わせたわけでもなく息を吐き、「ごちそうさまでした」と口を揃えて席を立つ。
「――お客さん」
そして、ふと店主に呼び止められて全員が顔を上げる。
「もしこの辺で活動する気なら、聖女には気をつけな」
聖女――という言葉に、急速にファンタジー世界に引き戻される。
もう少しこの現実感に浸っていたかった、というのは贅沢だったろうか。
「この俺のように、目を持っていかれたくなければな」
その双眸で俺を見据えて、店主はそんなことを口にしたのだった。
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