第1章 呪われし聖女
第1話 始まる世界
強烈なめまいにも似た感覚。
ぐるぐると回る視界に目を開けていられない。
現実の体を抜け出して、バーチャル空間のもう一つの体へ乗り移るこの瞬間が苦手な人間が大勢いるらしい。
かく言う俺もそんなに得意なわけではないが、実に一年ぶりの感覚だ。
不快感より先に、この世界に帰ってきた高揚感や、ある種の懐かしさを覚えてしまうあたり俺も立派なVRゲーム中毒者なのだろう。
「っ」
数秒めまいに耐えていると、やがて五感が機能し始める。
土や植物の匂い、風が木の葉を揺らす音に小鳥のさえずり。
ひんやりと湿った空気が肌を刺し、ここがベッドの上でないことを伝えてくる。
最後に視覚が戻ってきて、そこで初めて自分の姿と世界の形を認識した。
「すげぇ、ここまで環境感覚の再現にこだわったゲームなのか……! 体を動かすタイムラグも……うん、全く無い。そりゃ世界中で大騒ぎになるわけだ」
近くにある木の幹に触れてみたり、手を握ったり開いたりしてみたり――なんて、感動のあまり当初の目的を忘れてゲームを楽しんでしまっていた。
忘れるな、俺は遊びたいがために自分に課した誓約を破ったんじゃない。
さっさとゲームをクリアして、この世界に閉じ込められた環を解放するためにここに来たんだ。
「とはいえ……だ」
『あなた方の世界と同じく、多くの命が生まれ、そして死んでいく。もう一つの、現実世界です』
ニュースで報道されていた統括AIとやらの言葉を思い出す。
あれだけゲーム世界が現実であることにこだわっていたAIだ。もう一つの現実世界――と自称するからには、キャラクターの死イコール自分の死である可能性がある。
確証があるまで断言はできないが、まさか自分で試してみるわけにもいない。
となれば、俺の根底にある“ゲームだから”という感覚は徐々に上書きしていかなければならないだろう。
ゲームクリアを目的とする以上、そのために俺が死んでしまったら何の意味もない。
「……まあ、それ以前に俺も死にたくねぇからな!」
腰に下げていた直剣を引き抜き、振り向きざまに一太刀。
手に硬い肉を引き裂く生々しい感覚が伝わってくるも、怯むことなく体の可動限界まで力いっぱい振り抜いた。
「……」
ごとり、という鈍い音。そいつが手にしていた木を削りだしただけの武骨なこん棒が地面に落ちる。
そして、頭を跳ね飛ばされた緑色の肌をした小鬼の体は力なく頽れ、ぴくりとも動かなくなった。
<<レベルアップ>>
1→2
状況にそぐわない軽薄な効果音とともに、見慣れたポップアップが視界の端に表示される。
付近に敵性モブがいないことを確認してから直剣を鞘に戻した。
今のはMMORPGで序盤に登場しがちなモブ――ゴブリンだろう。
背後から忍び寄られている気配に気づかなければ、あのこん棒で後頭部を殴打され、体勢を崩した場合最悪そのまま殴られ続けて死亡、という結末もありえたかもしれない。
「ふう」
一息ついて拳を握る。
手は震えていない。我ながら恐ろしい順応性だ。
いや、むしろ恐怖を感じていないことは人として欠陥か。
「欠陥だとしても、環を助けることに繋がるならそれでいい。使えるもんはなんでも使ってかなきゃな」
頭を切り替え、落ちていたこん棒を拾い上げる。
<<こん棒>>
知能の低いゴブリンが使うこん棒。
一本一本がお手製で、その個体が使いやすいよう形も大きさも調整されている。
「攻撃力は……まあ、当たり前だけど今持ってる初期装備の直剣の方が強いか。結局は木でできた鈍器だしな」
要は技術がなくても扱えて、とにかく筋力を上げた脳筋ビルドでも大ダメージを与えられる武器ってことだ。
「
アルケーオンラインはキャラクターごとに伸ばしやすいステータスやスキルが予めランダムに決められていて、必ずしも自分が望むビルドにできない場合があるそうだ。
なんでMMORPGでそんな仕様にしたんだ……とも思うが、今の状況を考えてみれば納得がいく。
現実の人間だって、なりたい自分になるには相応の才能や能力が必要で、それを補うために血の滲むような努力をしても徒労に終わることの方が多い。
誰より野球が好きでもプロ野球選手になれるとは限らないし、モテるし稼げるからという動機で野球をやってプロになれる人間もいる。
理不尽で残酷だが、残念ながらこれが現実だ。
「理想ばっかり追いかけてないで、早めに自分の素質や成長パターンを知って、堅実な生き方をしろってか? 分かってねえなAI……それがキツくてしんどいから、皆なりたい自分になれるMMOをやってんだろうに」
なんて毒を吐いたところで、それが仕様だと言われればこちらが合わせるしかない。
とはいえ、時々VRMMO板を覗いていたにしても一年のブランクは大きすぎる。
特にアルケーオンラインなんて、前評判やPVから絶対にやりたくなると分かっていたから配信も情報も意図して遮断していた。
だからどういうキャラビルドが存在するのかも分からなければ、どんなスキルが存在するのかも分からない。
……とにもかくにも、今はありとあらゆる情報が足りないな。
「よし、ひとまず少し狩りをしたら近場の町にでも行ってみよう。レベルも上げたいし、アルケーのスキルやアクションの仕様も理解しておきたいしな」
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