第3話 代々木丈

 絶対に県外の大学に進学すると、中学の時から決めていた。本当は高校から県外に出たかったのだけど、親に、

「そんな金ない」

 と一蹴されたのだ。ふざけんな。

 けれど、そんなことで折れるわけにはいかなかった。俺にはこの土地は狭すぎる。息苦しすぎる。そう打ち明けたら、

「うーん。わかる」

 と、分かっているのかいないのか分からない口調で千羽は言った。千羽は、中学に上がったぐらいからどんどん性別が分からなくなっていった。不思議だよな。だって一般的には第二次性徴がどうとかで、髭が生えたり、声変わりしたり、なんか、そういう変化が体に起きるものだろう? そうじゃないやつもいるのかもしれないけど。そう。千羽はそうじゃないやつだったんだよな。特に背も伸びなくて、声変わりもしなくて(少しだけして止まってしまったみたいな、奇妙に掠れた声でおとなになった今は喋る)、髭が生えているところなんて見たこともない。あいつ本当はオンナなんじゃねえか、なんてしょうもないこと言う同級生もいたけれど、そういう連中は俺と真城で〆て歩いた。俺と真城のことを千羽の家来だって揶揄する人も多かったけど……そっちはそんなに気にならなかったかな。だって違うから。全然違う。俺たちは友だちなんだ。無人島に3人で行ける友だち。世界が滅びる時には3人で千羽の家に行って、俺厳選のアニメを見てゲラゲラ笑いながら死ぬんだ。そんな友だち。

 それで、お金がないってことを千羽に相談したら、

「うちでバイトする?」

 と彼は天気の話でもするような調子で提案した。

「バ……バイト?」

「そう。なんかねお母さんが言ってたんだけど、湯場の掃除がしんどいんだって、腰が」

 千羽の家は土地でも有名な温泉旅館だ。観光客もいっぱい来る。大きな露天風呂とか、他にもたくさんのお風呂があるって聞いたことがある。千羽は時々「うちにおふろ入りに来る?」って訊くけれど、そんな、気軽に、お金もないのに、行けるわけないって断ってた。

 断ってた。

 あれ、おかしいな。

 俺たち、友だちなのに、そんなお金のこと気にしたりして。


 千羽の紹介で、俺は千羽旅館で風呂掃除のバイトをすることになった。お給料は、たぶんこのクソど田舎にしてはかなり良かったと思う。真城は参加しなかった。あいつはあいつでなんか別のところでバイトしてるっぽかったし、バイト先が違っても一緒に遊ぶには何の支障もなかったから。

 高校時代の俺は千羽旅館に入り浸りだった。昔はあんなに遠慮していたのにお風呂にも普通に入るようになったし、千羽の広い部屋に1週間のうち半分は泊めてもらってた。家にいるよりずっとゆっくり勉強できたし、千羽が「おれも県外の大学受験するつもりなんだよね」なんて言うから嬉しくなって、この土地を出たらあそこに行ってみたい、ここで遊びたい、なんて話を毎日毎晩、飽きもせず、俺たちは。

 それで高校三年生。いざ受験。気付いたら真城も「俺もここの土地にいたくない」とか言い出していて、3人それぞれ目指す大学の試験に挑んだ。これで俺だけ落ちてたらほんとに笑えないんだけど、奇跡的にそんなことにはならなくて、通う学校はバラバラだったけど俺たちは3人で土地を脱出することに成功した。


 大学で、千羽と真城が何を勉強していたのかを俺は良く知らない。千羽が院まで進んだってことと、真城が外資系のちょっと有名な会社に就職したってことしか知らない。俺は大学を出てすぐに小さな出版社に入社した。営業と編集と制作を全部経験して、最終的には校閲部に落ち着いた。

 大学進学から就職までの数年間の俺を支えたのは、改めて言うようなことでもないけど千羽家だった。千羽のお父さんもお母さんもすごく親切な人たちで、俺ん家の事情も全部知ってて(これはまあ、田舎特有のそういうアレだ)、上京して部屋を借りるってなった時は千羽のお父さんが保証人になってくれたし、それ以外の色々……本来ならば親の許可とか承諾が必要な時に必ず千羽家が関わっていた。


 どうして俺にあんなに親切にしてくれたのだろう。今でも少し、不思議に思う。

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