4-1 たのしい訓練、ゆかいな訓練
「まだ遅ォい! もう一度!」
よく晴れた中春の、温かい昼。
俺は、いや俺たち若手衛士は、ウォン隊長のよく通る声のもと、ひたすら汗を流していた。
「は、はひぃ……」
檄を飛ばされた俺たちは、再び所定の位置に戻る。
場所はラウツカ市の北側を囲む城壁の外、そこに広がる原っぱの一角。
俺の目の前には、丸太を組んで作られた障害物と、地面を掘って作られた塹壕の数々。
「もたもたしてると敵に逃げられるぞ! しっかり走れ! 顎を上げるな!」
それらの障害物を跳び越したり、よじ登ったりして、逃げる相手を追い詰める想定の、野外訓練なのだ。
「し、死ぬぅ……もぅ無理ぃ……」
障害物をなんとか突破した先には、カカシのような人型の目標物が置かれている。
こいつに印された急所の位置に、各自が腰に提げた打撃鞭で一撃を食らわせれば、一連の行程は終了。
その始まりから終わりまでにかかった時間を縮めるのが、訓練の目標である。
地獄の訓練が繰り返され、体力に自信のあった俺の些細な自負心もボロボロの粉々に打ち壊された頃。
「よーし、午前はこれで終わり! みな、休んでよし!」
総員、ウォン隊長のその言葉を聞いて、原っぱの上に示し合わせたように、一斉に仰向けになってぶっ倒れた。
「ま、まだ、生きてる……」
虫が鳴くようなか細い俺の呟きに、隣で寝ている短髪褐色肌の衛士が呼応する。
「死んだお婆ちゃんが、笑って手招きしてるのが見えた……」
こいつの名はローナと言って、並人の女性衛士だ。
俺と新人訓練所時代の同期でもあったりする。
今回の合同訓練、ローナは自分から志願したという。
俺は班長のレーグさんに勝手に参加者の欄に名前を書かれてしまっただけ。
「と、とにかく、飯だ。少しでも食わないと、本当に午後の訓練で死んじまう……」
俺はなんとか気力を振り絞って起き上がる。
疲れすぎて吐きそうだけど、空腹感はしっかりあった。
「うう、負けるかぁっ……」
それにつられてローナもガクガクに笑っている膝でなんとか立ち上がる。
二人で城門の衛士詰所に昼飯を取りに行く。
今回、北門衛士のウォン隊長が指導役となり、ラウツカ市内の若手衛士に訓練を施す研修が組まれた。
それに参加して今日で二日目、合計で五日間の予定である。
どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだと、激しくレーグさんを呪う。
「午後はどんなしごかれ方をするんかなあ……」
「なにをするにしても、昨日より楽ってことはないでしょ……」
今日の午前中は基礎体力をつける訓練と、さっきのように特定の状況を想定してどのように動くかという訓練が行われた。
昨日は今日の訓練で使う障害物を設営したり穴を掘ったりだったので、まだ序の口だったんだな。
「でも、ローナがまさか、北門一番隊に志望してるとはなあ。今回の訓練で、心折られたんじゃね?」
「そ、そんなことないもんっ。私、絶対に一番隊に入って、ウォン隊長と一緒に働くんだから……!」
物好きな奴もいるものだ。
なんとローナは過酷な任務で知られる一番隊への配属を希望している。
ウォン隊長は確かに憧れの的だけど、俺はさすがにそこまで覚悟決まってないなあ。
「せいぜい頑張れや。俺はこの訓練を五日間、生き残る自信すらないけど……」
「ちょっとジョー、途中で脱落したりしないでよ? 私、他に知り合いいないんだから……」
「俺も特に顔見知りはいねえけど。他の同期の連中、今どこでなにやってるんだろうな」
今回の訓練は市内や北門、港湾の衛士から若手を十数人集めて実施されている。
合同訓練が始まって最初に顔合わせをしたとき、久々にローナに再会して驚いた。
長かった髪をバッサリ切っていたのもそうだし、小さかった背もかなり伸びていたからだ。
「何人か、辞めちゃったって話は聞いたけどね。あとは、ギュスターヴが……」
「ああ、あいつ、魔獣に襲われたんだってな……」
同期にいた、ギュスターヴという名の、ハーフドワーフの怪力男。
そいつは去年、森の中の警戒任務の最中、魔獣の群れに襲われて死んでしまった。
五体満足で、元気な顔で同期の面子と再会できるというのは、貴重でかけがえのないことなのだ。
「いい奴だったのにね」
グスリ、と涙をこらえてローナは昼食のパンをかじる。
「屁は臭かったけどな」
俺もギュスターブの暑苦しい笑顔を思い出し、鼻の奥につんと来るものを感じながら、牛乳茶を飲むのだった。
休憩が終わり、本当に遺憾ではあるけど午後の訓練が始まってしまう。
「対人訓練を始める前に、諸君らの実力を少し試させてもらう。この木剣を持って私にかかって来い」
ウォン隊長がそう言って、全員に木剣と呼ぶには粗末な、中尺の棒が配られた。
普段使っている打撃鞭とほぼ同じ長さだ。
躊躇している衛士たちの中から、生意気な一人が笑ってウォン隊長に質問する。
「……全力で仕掛けても、構わないのですか?」
「もちろん」
どんと来い、と武器もなにも持たずに堂々と答えるウォン隊長。
右手右足を若干ながら前に出すように、体を斜に構えている。
「では、遠慮なしに、行かせて貰いますッ!」
勢いよくウォン隊長に挑みかかった男の衛士は、言葉通りなんの躊躇もなく、木剣を振りかぶってウォン隊長の頭めがけて振り下ろした。
うわっ、危ねえ、と俺は一瞬思ったけど。
「おわ!?」
挑みかかった男は木剣を持っていた手をウォン隊長に取られて、くるんと投げ飛ばされて仰向けに地面に倒れた。
むぎゅ、と男の胸のあたりを足で踏んづけて、ウォン隊長が講評する。
「思い切りがよくて結構だな。次!」
まるで麦の穂を一束刈った程度の、ささいなことしかしていない、といった顔である。
お前先に行けよ、いいやお前が、と目線でお互いに牽制し合うへっぽこ衛士たち。
その中から一人、興奮気味に上気した顔で名乗りを上げる者がいた。
「し、市中南部支処、庶務隊、ローナ・リングス五等隊士、行きます!」
憧れのウォン隊長に直々に指導していただける光栄に喜んでいるであろう、ローナだった。
勇気あるなあ。
いや、どのみち順番が後か先かの違いで、俺も行かなきゃいけないんだけど……。
「よし、来い!」
元気に挨拶したローナに気をよくしたのか、ウォン隊長も楽しそうに笑って挑戦を受ける。
「て、てやあああああっ!」
雄叫びと共に勢いよく走ったローナは、間合いに入ると右手に持った木剣を上段から振りおろし……はしなかった。
木剣を振ると見せかけて、左足で蹴りを放ったのだ。
しかしその攻撃もウォン隊長は読んでいたのか、体を後ろに反らしてローナの蹴りを空振りさせ。
「狙いは良かったな」
蹴りが躱されて体勢を崩したローナに足払いをひっかけて、ころんと転倒させた。
「ぎゃん!」
尻もちをついて叫ぶローナ。
転んだ拍子にローナの手元から離れた木剣を蹴り飛ばして、ウォン隊長が寸評を述べる。
「武器にこだわらず、蹴りと言う選択肢を持つのはいい考えだ。しかし蹴りは外した際に体勢を崩しやすいのは見ての通りだな。使う場面には気を付けなければいけない」
その後も俺たちは一人ずつウォン隊長に向かっては転がされ、向かっては転がされ。
もちろんまことに哀しいことに、俺にもその番は回ってくるわけで。
「カニング五等隊士、行かせていただきます!」
「おう!」
なぜか俺のときだけ、ウォン隊長は手のひらで拳をパンパンと鳴らし、他の連中よりも若干低い体勢で構えている。
そんなに期待されても、大したことはできませんよ?
あと、できれば殴らないでくださいね?
「うおおぉぉぉっ!」
気合いとともに俺は駆け出し、手に握った木剣を。
投げた。
「おぉ」
ウォン隊長は面白い顔をして飛んできた木剣を軽く避ける。
俺はウォン隊長の意識が上方向に向かっているであろうことを願いながら、彼女の足に体当たりを仕掛けた。
「あら?」
しかし、俺が突っ込んだ先にはすでにウォン隊長の身体はない。
ウォン隊長は俺の身体を跳び越して、俺の背後に回っていた。
「ていっ」
俺の片腕がウォン隊長に捉えられて、背中側に極められる。
そのままウォン隊長の身体が俺の背中に丸ごと乗っかり、俺は地べたに伏して身動きができない状態で逆関節を取られてしまった。
「いぎぎぎ! く、苦しいであります、小隊長どの!」
「大した力は入れてないぞ。カニング、体が硬いんじゃないか?」
「そういう問題では、ないものと思われます!」
苦悶する俺が面白いのか、ウォン隊長は上機嫌でみんなに向って言った。
「追い詰められた者が、手に持っている武器や周囲にあるものを投げてくるというのは、実によくあることだ。捕り物の最中は常にそのことを意識するといい。避けられずとも、隊士服を着込んでいる状態で防げば、被害は最小限で済む。眼に当たらないように気を付けろ」
俺の背中を椅子にして、ありがたい講釈をウォン隊長は語るのであった。
その後はウォン隊長の指導のもと、格闘術の基礎練習にいそしんだ。
殴るときはこう、蹴るときはこう、相手のここを掴んで足を引っ掛ければ転がせる、などなど。
新人の頃に訓練所で習ったのは「さわり」程度のものだったので、それより深く、細かいことを教わっている感じだ。
「ウォン隊長は、どこであんな凄い技を身に着けたんだろ……」
休憩中、素朴な疑問をローナが口にした。
言われてみると、ウォン隊長のことなんてほとんど知らないな、俺も。
「外国生まれだとは言ってたけどな」
「それでも、子どもの頃にこの国に帰化したわけでしょ。そうじゃないと衛士になれないし」
「確かにそうだ」
外国で生まれ育った者がこの国、俺たちの住む公国で軍人や政治家、役人や衛士などの公職に就くためには、帰化する必要がある。
そして、移住者は公国での居住歴が5年を過ぎないと、基本的には帰化することができないのである。
もっとも、例外はある。
戦災で故郷を追われたとか、魔物に故郷を滅ぼされたとか。
特別な事情で難民として認定されれば、帰化までの年月は早まる場合があるらしい。
他にも特例はあったと思うけど、俺にはよくわからん。
「よ、よっし。私、聞きに行ってみる」
「頑張れよ」
決意のもとに立ちあがったローナに、俺は応援の声をかけた。
「一緒に来てよ。ジョーってウォン隊長と知り合いなんでしょ?」
「たまに会って話すくらいで、そんな込み入ったこと聞ける関係じゃないから……」
「つべこべ言ってないで、ほら!」
結局はローナに腕を引っ張られて、俺もウォン隊長のもとへ行く羽目になるのだった。
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