3-9 若手衛士、爵位を賜る

 翌日。

 俺は医者に「仕事は少し休んだ方がいい」と言われたのを無視して、衛士詰所に出勤している。

 九番街の住民たちの間には、ある噂が広まりつつあった。


「陛下が血を吐いて倒れたって?」

「イノちゃんが血を分けて、なんとか治療できたって話じゃねえか。さすが、孝行娘だなあ」

「なんでも、陛下とイノちゃんは随分珍しい血の型だったって言うぜ」

「親子の絆っていうか、運命ってのはあるのねえ」


 そう、俺は花屋の旦那とムスクロさんに頼んで、嘘の噂を街にばら撒くことにしたのだ。

 治療に必要な血を分けたのは、俺ではなくイノさんだということ。

 陛下とイノさんが同じ珍しい血液の方を持っているということは、彼らが実の親子であるのだという認識を一層強くする。

 俺のように医学の難しいことを知らない一般市民にとってはなおさらのことだ。

 20年前にかすかに生まれた、イノさんが公室の血を引いているという噂も、これで完璧に消し飛ぶはずだ。


「カニング、やっぱりお前、今日は帰った方がええんじゃないのか?」


 紫色の唇をしている俺を、班長のレーグさんが気遣う。


「いえ、全然なんてことないですよ。ただの貧血です」

「陛下の娘さんも、治療に使う血をたくさん抜かれたとかで伏せってるらしいの。しかしいくら必要なことでも、血を抜くなんてぞっとせん話じゃなあ」


 この噂を補強するために、イノさんには数日、家から出ないで休んでもらっている。

 一つ問題があるとすれば、イノさん本人は、自分の生まれに関してどのように思っているか、なのだけど。


「そういう噂が昔あったのは知っています。でも、母も亡くなった今、父はなにも語ってくれませんし、私はそれについて考えるのをやめました。私は、誰がなんと言おうと父の子ですし……」


 迷った末に俺たちの計画を打ち明けたたとき、イノさんはそう言ったのだ。

 過去になにがあろうと、自分は陛下の娘なのだと。

 街に広まった噂話は当然、イノさんの身辺調査をしているリックのもとにも届く。

 イノさんが公室の誰かさんに顔が似ているというのも、ただの偶然。

 今回のことで、リックが国務隊の上層部にそう報告してくれればいいんだけど……。


「カニング、お前さんに客じゃぞ」


 仮眠室で横になってたら、詰所に客が来た。

 医院にいたウサギ獣人の女医者だった。


「どうしたんですか? なにかありました?」


 俺の問いに、ウサギ医者は一枚の紙を渡してよこした。


「入院されてる患者さまから、カニングさんにお礼状です。代筆も私がしました」


 それじゃ、と紙だけ置いて、ウサギ医者は去って行った。

 紙には、こう書かれてある。


「貴殿の多大なる献身に対し、永代伯爵位を与えその功に報いんとす」


 わあい、子子孫孫まで伯爵さまに封じてもらっちゃったぜ。


「なんかの役に立つんかな、これ……」


 今回の企み、当然のように医院の人たちにも協力してもらっている。

 ただ、彼らに積極的に嘘をついてもらうわけにはいかない。

 治療の履歴や記録は詳細に残るし、それを改ざん、捏造するわけにはいかないからな。

 だから医院の人たちには「街で流れている噂を、訂正しないでほしい」と頼んだ。

 地元の顔役である花屋の旦那やムスクロさんが、頭を下げて熱心に頼んでくれたおかげで、医院の人たちはそれを渋々ながらも了承してくれたのだ。


「身に余る光栄ではありますが、ありがたく拝受いたします……」


 俺は部屋に帰ってから、陛下から貰った礼状を「大事なものを入れておく箱」にしまったのだった。



 ほとぼりが冷めて陛下の話題も落ち着き、イノさんも仕事に復帰した。

 俺の体調もすっかり元に戻って、今日も元気に巡回である。


「おい」


 そうしていると、後ろから急に声をかけられた。

 国の機関の情報員をやっている、リック上等卒であった。


「おお、今日は近くに来るまで全然、気付かなかったぞ。隠密行動の腕を上げたな」

「うるさい。お前、イノの父親が倒れて運ばれたとき、付き添って病院に行っただろう。なにか変わったことはなかったか?」


 こいつに会ったらこの質問をされることは分かっていた。

 だから俺は、用意していた答えを述べる。


「親子の絆ってのは、尊いもんだなと思ったよ。リックも故郷の父ちゃん母ちゃんは大事にしろよ」

「お前に聞いた俺がバカだったか……」


 リックが肩を落としてうなだれていると、もう一人の人物が俺たちの会話に割って入って来た。


「いたいた。探したぞ、リック上等卒」

「う、ウォン隊長……なにかありましたか?」


 北門衛士一番隊、ウォン隊長さまのおでましである。

 彼女の顔を見ただけで、リックの気力が減衰していくのが手に取るようにわかるのだった。

 

「上の方に話が通ってな。国防に関わることでもないのに、目的が不明瞭な調査をこれ以上続けられても困るということになった。正式な書類のやり取りが済むまで、貴官の活動は凍結させてもらう」

「な……!」


 ウォン隊長は、もうこの街で勝手なことをするな、と言っている。

 調査活動を続けたいなら、ラウツカ市の衛士隊に、国務隊から正式な活動説明をよこせと言うことだ。

 と、いうことになると……。


「リックは首都に帰るのか? お疲れさん、お前のことは半年くらいは忘れないぜ」


 俺の茶化しに、リックは歯噛みしながら答えた。


「そ、そんな指示は来ていない! 俺の仕事はまだ……!」

「リック上等卒は書類が通るまで待機、と言うことになるのだろうかな。まあその辺りのことは私の知ったことではないが。とにかく不用意に怪しい真似はするな。これは北門衛士隊からの警告だ」


 ウォン隊長がそう言ってリックを軽く睨む。

 蛇に睨まれたカエルよろしく、リックはぐうの音も出せなくなってしまった。

 うーん、やっぱり頼もしいなあウォン隊長……憧れるぜ。


「もしもすることがなくてヒマだというなら、北門に遊びに来い。貴官ならいい稽古相手になるからな」

「し、失礼するッ!」


 ウォン隊長のありがたい誘いを振り切り、リックは走り去ってしまった。

 仕事の方針が変わってしまって、偉い人と連絡をやり取りしなければいけないんだろうな。

 宮仕えという点では同じでも、俺たち街の衛士とリックたち国の情報員とでは、苦労の質も違うのだろう。

 若き情報員、リックに幸あれと俺は願うのだった。


「振られちゃいましたね」


 リックに逃げられて少しさみしそうにしているウォン隊長を慰める。


「残念だ。あれくらい『使える』なら、若い隊員たちにもいい刺激になるんだが」

「リックって、そんなにですか」

「ああ、情報機関の末端なんてやらせておくには惜しい。軍人や衛士に転属すればいいものを」


 喧嘩が強そうなのは多少やり合ったからわかるけど、ウォン隊長がそこまで言うとは。


「俺も、少しは鍛えないとなあ……」

「その気があるなら、いつでも訓練の日程を組んでやるぞ? 早い方がいいか?」

「あ、いえ、ちょっと、心の準備をする期間をください……」


 藪蛇にウォン隊長のやる気を刺激してしまって、シドロモドロになる俺であった。



 仕事が休みの日。

 俺が入院している陛下のお見舞いに行くと。


「あ、カニングさん。こんにちは」

「どうも、イノさん。陛下のお加減はどうです?」


 病室でイノさんと鉢合わせた。

 陛下は病床に座って、どろどろの麦粥をのんびりと啜っていた。

 とりあえず自分の力で食事ができているようで、よかった。 


「今日から、ある程度のものは食べられるようになったんです。昨日までは糖蜜を溶かしたお湯とかだったんですけど」 

「そんなんじゃあ、食べた気がしませんねえ」


 俺の感想に、陛下はうむと頷き、匙を置いてこう言った。


「医院の設備も古くなっておる箇所が多いようだ。患者や職員の待遇も含めて、抜本的に改善せねばならぬ」

「お父さんったら、またそんな偉そうなことばっかり言って」


 病に伏しても、民草を気にかけて下さるそのお姿は、まさに俺たちの、九番通りの陛下だった。

 

「じゃあねお父さん。また明日も来るから」 

「俺も時間見つけて、ご尊顔を拝謁に伺います、陛下」


 面会時間が終わる。


「うむ、苦しゅうない。大義であった」

  

 陛下に別れの挨拶をして、病室の外へ。

 医院からの帰り道を、イノさんと並んで歩く。


「本当に、なにからなにまでありがとうございます、カニングさん」

「いえいえ、お役に立てたのならなによりです」


 正直な気持ちだった。

 イノさんも陛下も、とても素敵な人たちだ。

 なんというか、この親子には、邪気がない。

 衛士なんて仕事をしていると、街の、住民の、見たくない箇所をどうしても見なきゃいけない場面がある。

 そんなとき、イノさんや陛下のような人たちの顔を思い浮かべると、心がとても安らぐのだ。


「でも……私、なんとかお礼をしたくって。色々考えたんです」

「そんな大げさなこと。学舎のガキどもに『九番通り詰所にはかっこいい衛士のお兄さんがいます』って言ってくれればそれでいいですよ」

「ふふっ、カニングさんって面白いですね。それで、考えたことっていうのはですね……」


 どうしてもイノさんは、お礼をしなければ気が済まないようだ。

 それがイノさんにとって重荷になるなら心苦しいことではあるんだけど。

 彼女の厚意を無碍にするのもよくないし、とりあえず聞くだけ聞いてみよう。


「はい、なんでしょう」


 精一杯澄ました顔で格好つけながらも、期待に胸が躍る。

 若い男女が二人、お礼をしなければならないという流れで、なにも起きないはずはなく……。


「私……」


 ごくり。

 言い出しにくそうに、手を胸の前でもじもじさせているイノさんを見ると、なんだか興奮してきた。

 お礼に私を貰ってください、とか言われちゃったら、どうしよう? どうする? 迷う余地ないだろそれ!


「私、カニングさんの魔法の力を伸ばす、お手伝いができると思うんです!」


 がくーーーーーっ。

 今、想像の中の俺が、地面に突っ伏すくらいの勢いで、がっくりと項垂れた。

 気分としては、地べたに手足を広げて這いつくばっている有様だ。


「は、はあ、それは、あの、はい……」


 もう、なんも言えねえ。

 色々な期待で胸を膨らませた19歳の男の純情を、いいように翻弄してくれたね、イノさん……。

 いや、こういう人だってのは、わかってたんだけどな。


「カニングさんの魔法に無駄がある、と言いたいわけではなくてですね。とても綺麗にまとまっていて、美しい魔法ではあると思うんです。でも、もう少し遊びと言うか、力の流れの『贅肉』とでもいうべき余裕を設けることができれば、きっとカニングさんの魔法の効果は一段階も二段階も」

「そ、そうなんですか、へえー……」


 あ、まずい。

 これ、止まらないやつだ。

 どうしよう、どこで切り上げたらいいんだ?


「風と水の精霊さまと言えば、これはもう古いエルフの知恵の独壇場という側面があるのはご存じのことかと思いますけど」

「ふむ、ふむ、ほう」


 全然、ご存じないです、そんなの……。 


「近年は私たち並人でも模倣できる術式が多く広まっていて、カニングさんが得意とする氷結魔法の分野でも例えば塩を触媒に用いた氷結効果の増強であるとか、選択肢の一つとしては刺青と言う方法もありますし、あ、もちろん体を傷付けることなので広く推奨されていないのは確かで」

「う、うん、なるほどー」


 その後も俺は、日が暮れるまでイノさんの魔法講義を、ありがたく拝聴した。

 秘匿された公女イノさんと、その父である陛下の事件。

 それは九番通りを少しだけ騒がせ、国務隊情報員のリックの仕事を徒労に終わらせて、幕を閉じた。

 

 そもそも、イノさんは本当に公爵家の血を継いでいるのだろうか?

 イノさんのお母さんが、出産時の痛み苦しみで事実と違うことを口にしたという可能性はないのだろうか?

 謎は謎のままであり、俺はそれでいいと思っている。

 イノさんも、そして陛下も。

 この九番通りで、つましいながらも仲の良い親子として、幸せに暮らしているのだから。

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