3-6 陛下とご息女、若手衛士を翻弄する

 あくる日の、仕事の合間。

 俺がファラスさんの監督のもとで法律の勉強をしていると、陛下が詰所にやって来た。


「この勅令をただちに全国に発布せよ」


 そう言って、陛下は俺に一枚の紙を渡してきた。

 書かれている内容は以下の通り。


「忌まわしき魔物の災禍によって、哀れにも夫を失いし妻、父を失いし子らに対し、大金貨100枚の特別慰労金を国庫より供出すること」


 うーん。 

 とてもいいことだし、気持ちはわかるんだけど。

 これを俺らに渡されてもどうにもならないと言うか……。


「え、えーとですね、陛下」


 俺が困って言葉を出しあぐねていると。


「かしこまりました。すみやかにそのように対処いたします。苦しむ民も陛下の恩寵に深く感謝することでしょう」


 普段は真面目一徹の無愛想なファラスさんが、陛下に対して穏やかに笑い、へりくだって尊敬の意を示した。

 あ、そういう対応でいいのね、勉強になります。

 恭しく紙を受け取ったファラスさんに陛下は満足そうにうなずき。


「うむ、汝らの忠義、余は海よりも深く理解しておる」


 ありがたいお言葉を下されて、どこかに行ってしまった。

 残された勅令らしき紙を見て、俺は苦笑いする。


「こういうことが大切なのはわかるけど、そんなにポンポンと金は出てきませんよね」

「まあ、そうだろうな」


 そう言ってファラスさんは陛下からの勅書という名のペラ紙を、仕事用資料の「市民からの要望」の棚にしまった。

 驚いたのは、その直後である。


「ラウツカ市議会の広報です~」


 衛士北部支処の隊士が、詰所に書類を届けに来た。

 いろいろややこしく難しい言葉でなにか書いている中に、こんな内容もあったのだ。


「戦災で故郷をなくしラウツカに移住した難民や、魔物に家族を殺された被害者遺族に対する、救済金の追加給付が、今期の市議会で審議される。市内在住の篤志家による寄付金を財源に充てる」


 陛下が言ってたことと、ほぼ同じじゃないか……。

 市の広報が出回る前に、陛下は市議会の動向、この篤志家から市への寄付という情報を知っていたのだろうか?

 陛下が道端で政治談議をしている様子なんて、今まで一度も見たことがないけど。


「ファラスさん、これ……」

「たまにある。あれで意外と世の中のことを見てるんだろう」

「そうなんだ……たまにあるんだ……」


 よくよく考えれば、陛下もこの街に長く住んでいるんだ。

 俺なんかよりよっぽど世間のことに詳しくても不思議じゃない。

 最初の印象で、陛下は頭や意識が曖昧になってしまわれているんじゃないかと思ってたけど。

 それは偏見だったのだなと、俺は自分を恥じるのだった。



 その後、俺は再び国務隊の情報員、リックに会った。

 このあたりを探せばいるんじゃないかと目星をつけたら、本当にいたので驚いたよ。


「な、なんでお前にはすぐ見つかるんだ……」


 俺を見るなり、すごく嫌そうな顔をするリック。

  

「リックさあ、人のいない方、いない方にと無意識に移動する癖があるんじゃねえかな。それ逆に目立つぞ」 

「うう……」


 相変わらず尾行の腕には問題があるリック上等卒であった。

 それでもイノさんとは適切な距離を取りながら調査活動をしているようだ。

 イノさんが、周囲に気味の悪い視線を感じることは減ったと言っていたからな。


「ところで質問なんだけどさ。リックたちはイノさんのお父さん、陛下のことは調べてないのか?」

「なんでそんな質問に答えなきゃならないんだ」


 当然の答えでリックは反発したが、俺は意地悪く笑ってこう返した。


「おいおい、お前が無事に任務に当たれるのも、俺とウォン隊長が黙ってるからだってこと忘れんなよ」

「うぬぬ……」


 うん、俺、なんかすごく小者っぽいな?

 小さく唸って、リックは観念したように話し始めた。


「もちろん父親のことも調べた。傷病で働けなくなって年金を貰っている老人だ。通院履歴も市からの傷病認定もきちんとある。それ以上の特別な情報はなにもない」

「と、思わせといて実は?」

「実は、もへったくれもあるか。ラウツカに来る前は首都にいて、夫婦で洗濯屋を営んでいたようだ」

「陛下が洗濯屋かあ……」


 その光景があんまり想像できない。

 きっと真面目な、お客さんに優しい商売をしていたんだろうということはわかるけどな。


「ラウツカに越してきて娘のイノが生まれ、そのあとすぐに夫人は病で亡くなったようだ」

「じゃあ、イノさんはお母さんの顔を知らないのかな……」


 ひょっとすると、陛下は奥さんを失った心の傷で……。

 なんだかあの父子の20年を思うと、急に悲しくなってしまった。


「おそらくな。このあたりの情報は市民台帳にも記載されているし、矛盾もないので真実だろう。なにか法を犯したという前歴もない。特別注意すべき点は見当たらないな」

「じゃあ、陛下が不思議と他人を惹きつけるというか、周囲に人の輪ができることは……?」

「住民たちが憐れんで情けをかけているということじゃないのか?」


 リックの解釈ではそうなるのな。

 俺は、そういう話じゃないと思ってるんだけど。 

 ともあれ、リックたち国務隊は陛下のことを特に怪しんでいない。

 リックが俺に真実を伝えているとは限らないけど、態度から察するに「隠すほどのことでもない」という情報を教えてくれたんだろう。

 調べるのは手間だったろうけど、すべて公的な記録で分かることばかりだからな。


「よくわかったよ。教えてくれてありがとさん」

「感謝してるなら、こっちにもなにか有益な情報をよこせ」

「イノさんは、魔法に詳しいぞ。さすが学院出の才女は違う」

「そんなこと、誰でも知ってる……」


 怒ったのか呆れたのか、リックはどこかに行ってしまった。

 イノさんの秘密なんて、知ってても誰が教えてやるもんかい。

 秘密を分かち合えるような深い仲に、なれたらいいんだけどな。



 夕方過ぎ、仕事を終えて、部屋に戻る途中に、商店街に寄る。

 八百屋の売れ残り品でも適当に買って、今日の夜飯と明日の朝飯にしよう。

 そう思って俺はエルフ男性のムスクロさんが営む店に足を運んだ。


「あれ、誰もいないな。奥かな……?」


 どうやらまだ閉店はしていないようで、入口も開放しているし商品も並んでいる。

 それなのに店先にムスクロさんが立っていない。


「不用心だなあ、そんなんだから商品を勝手に持って行かれるんだよ」


 俺は呆れながら店の奥にお邪魔する。

 中からムスクロさんと、誰かの話し声がするのが聞こえた。


「で、イノちゃんの周りになんだかうろうろ嗅ぎ回ってる奴がいるって?」


 この声は、花屋の旦那さんだな。

 イノさんの話をしているようだ。


「そうなんだよ。僕のところにも、見慣れない並人がイノちゃんのことを聞きに来てね。適当なことを言ってはぐらかしておいたけど」


 一瞬、俺のことを言われているのかと思ったけど、どうやら違うらしい。

 と言うか、間違いなくリックのことだな。

 あいつ、さりげなく情報を集めるということが、徹底的に向いてないんじゃないか?

 国務隊は真剣に、人員の配置換えを考えた方がいいと思う……。


「まさか、あのことが誰かに知られたんじゃねえだろうな」

「どうだろう……時間の問題かもしれない。いつまでも隠し通せることじゃなかったんだよ」


 二人はなんの話をしているんだろう?

 やはりなにか、陛下とイノさんの親子には、街のみんなが意図して秘密にしている、重大なことがあるとでも言うんだろうか。

 こっそり盗み聞きを続けたい気持ちはやまやまだけど、それも卑怯な気がする。

 俺は意を決して、二人が話している間に入って行くことにした。


「あ、あの、すみません。買い物に来たら、二人が話してるの、少し聞こえちゃって……」

「うおっ!」

「ひっ! びっくりしたあ……」


 突然にゅっと出てきた俺の顔を見て、二人はのけぞって驚いた。

 そんなに怖い顔してないと思うんだけどな、俺。


「こんにちは、驚かせちゃったみたいで」

「どこから聞いてた、にいちゃん?」


 花屋の旦那に凄まれて、俺は正直に答える。


「イノさんの周りに怪しいやつがいるというところから……あ、でもそのことは、多分、解決すると思います。少なくともイノさんに害はないはずです」

「衛士さんの方で、怪しいやつを捕まえてくれたのかな?」


 ムスクロさんの質問に、俺はどう答えたものかと悩む。

 リックの存在をホイホイと一般市民に話すわけにもいかないし。

 でも、この二人はきっと、九番街で生まれ育ったイノさんのことをずっと心配して、可愛がって過ごしてきたんだろう。

 今の話しぶりからしても、心からイノさんの身を案じている様子が伺える。

 ええい、話しちまってもいいだろう、きっと、多分、おそらく……。


「あのですね、イノさんの身辺を調査している、国の、公爵家の手がかかった役人がいるんです」

「公爵家が……!」

「やっぱり、そういうことか」


 旦那とムスクロさんは、なにか思い当たる節があるらしい。


「でもその役人には、あんまり怪しい挙動をしてイノさんを怖がらせるなって、バシっと言ってやりましたから、大丈夫ですよ」


 ウォン隊長がな!

 俺は彼女の横で、その迫力にブルブル震えてただけ。

 それにしても、この二人が知っている秘密と言うのは、いったいなんだろう?


「にいちゃんが、イノちゃんのためにそこまで力を尽くしてくれたってえなら、隠してても仕方ねえか」

「僕は、カニングさんは信用できる衛士さんだと思うよ」


 二人は俺に秘密を打ち明けてくれる気になったようだ。

 繰り返しになるけど、リックの素性を明かしたのは俺の手柄じゃないので、少し罪悪感があるのだった。


「誓って、他言はしません」


 秘密情報員リックのことを市民に簡単に教えてしまった、その舌の根も乾かないうちに俺は堂々と言ってのけた。


「これは、イノちゃんが生まれる前のことだ……」


 花屋の旦那は、真剣な面持ちで昔話を始めたのだった。

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