3-5 陛下のご息女、国務をお揺るがしになる

「国の組織が、わざわざラウツカにまで人をよこして、一体そのお嬢さんになんの用があると言うんだ」


 男を地面から立たせて、ウォン隊長が聞いた。

 逃げることを諦めた男は、苦い顔をしながら答える。


「詳しいことは言えん。ただ、俺たちは上からあの女の身辺を調べることと、なにかあればあの女を警護することを言われてるだけだ」


 俺はそれを聞いて、鼻で笑ってこう言ってやった。


「素人同然の俺なんかに尾行されて気付かないの、人選に問題があるんじゃねえか。公邸はそんなに人手不足なのかよ」

「うるさい。誰にだって得意不得意はある。お前こそあんな単純な目つぶしに引っかかっただろ」


 こいつも見た感じ若いし、俺と同じく下っ端なのだろう。

 あまり自分に向いていない仕事を押し付けられて、難義している様子が目に見えるようだ。


「こら、話が進まないだろう。あまり茶化すな」


 低い次元の言い合いをしている俺と謎男を、ウォン隊長がたしなめる。

 ごめんなさい、調子に乗りました。

 そして、はあとため息をついてウォン隊長が続けて言った。


「私はこの街の北門小隊長をしているウォン・シャンフェイという者だが、公邸がこんなのどかな住宅街で秘密裏になにかをしているという話は聞いたことがないぞ。貴官の身分を証明できるものはあるか?」

「身分や所属を細かく明かすことはできん。俺たちの仕事が街の害になるようなことはないはずだ。黙って知らない振りをしてくれないか」


 いや、だからお前の尾行が中途半端に下手くそだから、イノさんが不安がってるんだっつーの。

 と、俺が言ってやろうとしたそのとき。


「おい、あまり私を甘く見るなよ。身分証を出せと言っているんだ」


 あくまでも普通の声で、普通の口調で。

 しかし周囲が凍てつくような氷の無表情で、身の毛がよだつほどの殺気を体中から漏らしているウォン隊長がそこにいた。

 こ、恐ッ!! 

 一瞬で鳥肌と冷や汗が全身に出たわ!!

 

「ひ、ひっ……わ、わかった、出す、出すから」


 その迫力に全面降伏した男は、胸元から文字や記号が刻印されている真鍮の板を取り出し、震える手でウォン隊長に渡した。

 俺たちラウツカの衛士の身分証は鉄片だけど、首都の武官は真鍮片なんだな、と知る。 

 ウォン隊長は渡された身分証をじっくり、文字通り隅々までよく眺める。


「公国内務局、南部国務隊、都市情報係、リック上等卒、か。ふむ、どうやら本物らしいな」

「あ、ああ。間違いなく本物だ。だ、だが、頼むから首都に照会なんてかけないでくれ……」


 身分を素直に明かした男。

 ふむ、と納得しながらも、ウォン隊長は詰問を緩めない。


「で、この仕事の責任者は誰だ? 内務局の国務隊というのはかなり大きい組織だと聞いているが、一番上は形式的に公子殿下か?」


 国の、首都の組織のことなんか俺は全然知らないけど、ウォン隊長は詳しいなあ。

 俺も少しは勉強しよっと。

 出世するためには必要な知識かもしれないし。


「か、勘弁してくれ……! これ以上、情報が漏れたなんて知られたら……」


 半泣きの顔で、リック上等卒はウォン隊長に赦しを請い願う。

 なんだか見てて哀れになってきたな。

 こいつも上の指示で仕事してるだけだろうに、こんな怖い人に目を付けられちゃって。

 ウォン隊長もそれ以上追い詰めるのは不憫に感じたのか、リックに身分証を返して、言った。


「わかった。しかし、貴官の顔は覚えたからな。この街でなにかおかしなことを起こそうというなら、私が相手になると思っておけ」

「ち、誓ってそんなことにはならないと約束する。なにより、俺たちの仕事にはあの女の警護も入っているんだ。危害を加えるようなことは断じて、ない」


 あの女とか言うなよ、淑女に失礼だろ。

 馴れ馴れしくイノさんとか呼んでも、それはそれでムカつくけどな。


「私たちに関わって欲しくないのなら、もう少し上手に、穏当に尾行するんだな。調査対象に感付かれて気味悪がられているようじゃ、こっちが不安になるのも仕方がないだろう」


 ウォン隊長にそう説教されて、リック上等卒は肩を落として言った。


「わ、わかった。努力する」

「貴官も動き自体は悪くなかったぞ。慣れない仕事を押し付けられたんだろうが、せいぜい怠らず精進することだ」


 俺もそこには同意した。

 リック上等卒は尾行は下手だけど決してボンクラじゃない。

 足も結構速かったし、喧嘩や取っ組み合いなら、俺だと歯が立たないだろう。

 多少の納得できない部分を残しながらも、ウォン隊長はリックにこう言った。


「貴官の発言をひとまず信じるとしよう。言えないことが多いのも国務なら仕方あるまい。しかし、私は私で勝手に、上のものに確認して情報を集めさせてもらうぞ。それまで文句をつける気はあるまい?」

「それは、隊長どののご随意に」


 本当は嫌なんだろうけど、リックは引きつった顔でそう言うしかなかった。


「なら私はこれで失礼する。用事の途中でな」


 尾行が下手な情報員のリックに対するウォン隊長の圧迫は終わった。


「ラウツカの門番は、あんな化物ばかりなのか……?」


 去って行くウォン隊長の背中を見つめながら、リックが言った。


「ウォン隊長が特別なだけ、だと思う」

「あんなにあっさり組み敷かれたことなんて、訓練でも一度もなかったぞ。自信なくすなあ……」


 俺とリックはそんな言葉を交わし、お互い下働きで苦労するという感覚を分かち合うのだった。

 もっとも、首都から来た武官が、ラウツカの衛士にぎゃふんと言わされている状況に、胸がすく思いがしたのは秘密だけどな。

 しかし、いい勉強になった。

 仕事をしてて他の公的な組織と管轄がもつれたりしたら、ウォン隊長のように対応すればいいのか。

 ……って、いやいや。


「無理だわ。真似できる気がしねえわ……」


 俺も、精進しないといけないなあと思った。


 

 イノさんが、誰かの視線を感じるというのは杞憂、勘違いではなかった。

 そのつけ回し犯の正体は下っ端武官のリック。

 彼は公爵家、あるいは国の中枢に関わる内々の使命を帯びて、イノさんを監視し、情報収集しているのだと言う。


「ファラスさん、国の内務局、南部国務隊ってどんな仕事をしてる部署かわかりますか?」


 俺は仕事で組になった先輩衛士、エルフのファラス副班長に聞いてみる。

 法律とか行政関係の情報に詳しいんだよな、この人。

 ファラスさんは、おそらく俺でも理解できる言い方を少しの間、考えてくれてから、言った。


「文字通り、公国南部の政治に携わる様々な仕事だ。一番大きな仕事は戸籍や税制に関するものだと思う」

「公爵や貴族さま、議員さんたちが政治の頭なら、手足ってことですか」


 ラウツカという街は貴族、公族の影響が少ない自由都市みたいなもの。

 だけど、他の街は貴族が市議会議員の大部分を占めていたり、特定の貴族の直轄領だったりと、土地によっていろいろ差がある。


「そうだな。土地を治めるのに必要な政務のあらゆることが内務局の管轄になるから、部署も多いし細かい」


 一概に、どんな仕事をしている組織、とは言えないほど大きいってことか。

 リックの野郎もその中でさらに細かい班や係に属して仕事をしているんだろう。

 身分や素性を聞いたところで、どんな仕事なのか、なぜイノさんが関わるのか、具体的にはまったく想像できないな。


「じゃあ、もしも国務隊の役人が、街の衛士を飛び越えてなにかこそこそ嗅ぎ回っているようなことがあったとしたら、どんなことが考えられますか?」


 俺のおかしな問いにもファラスさんは笑わず怒らず、ふーむと顎を撫でながら真面目な顔で考えて。


「国家規模の重大犯罪、国家転覆や他国の軍勢を国土に介入させるような動きを調査する、とかだな。街の衛士は犯罪組織側に賄賂で抱き込まれていて役に立たない、というような状況の」


 俺の想像していたより、はるかに規模のでかい答えが返って来た。

 リックの様子を見る限り、全くそんな大げさなことが起こる気配はない。

 あいつをバカにするわけじゃないけど、そんな重大な案件ならもっと優秀な人材を、数多く配置するだろう。


「な、なるほど、それは怖いですねぇ。そういう、大きな犯罪とかでなく、もっと視点が低くて規模の小さい案件なら、どういうのがありますかね?」

「小さい規模なのに、秘密裏か」


 ポリポリと頭をかいて、ついでにカリカリと鼻頭をかいて、自慢の長い耳を横にむにょーんと引っ張って伸ばして、ファラスさんは黙考する。

 この人、考え事をしてるときに手指が激しく遊ぶ癖があるんだな。

 そのうち、思いついたように考えを述べた。


「公爵家子女の、結婚相手探しだな。確か内務局の管轄だ」

「結婚!?」


 俺はつい声を張り上げてしまった。

 いかんいかん、あくまでこれはたとえ話という体裁の雑談でなければならないのだ。

 正直、リックの立場なんぞ個人的にはどうでもいいんだけど。

 それでもウォン隊長がリックを見逃した以上は、俺もその判断に倣い、リックの職務上の都合をある程度尊重してやらねばならぬと思うのだ。


「なにかそういう話でもあったのか」


 冷たい目でこちらを窺うファラスさん。

 完全に、なにかあると怪しまれてしまった。


「いえ、最近読んでる本で、そういう、街の事件の物語みたいなのがあったんですよ。続きはどうなるのかな~、なんて」

「ふうん」


 俺の答えに納得したのか。

 それとも最初からこの話題に対する興味が薄いのか。

 ファラスさんはそれ以上なにも言わず、欠伸をしながら仮眠室へ消えて言った。


「ま、まさかイノさんが、首都にいる間に公子殿下の誰かに見初められて……?」


 イノさんは去年の暮れに首都の高等学院を卒業だか退席だかして、年明けからこの街、ラウツカの九番通りに帰って来た。 

 そして最近になって、イノさんの周辺を嗅ぎ回るリックという虫が湧くようになりやがった。

 これは、イノさんに恋をする首都の公爵家の誰かさんが、自分の手下を放って調査をさせているとしたら。


「辻褄が合いやがる……! うう、仲良くなれそうだと思ったのに、またお別れしなきゃいけないのか……!」


 俺は頭をかきむしって考えた。

 イノさんを首都に、嫁になんか行かせない方法を。

 きっとイノさんだってせっかく帰ってきたこの街から離れたくなんかないはずだ!

 単なる俺の思い込みだけど、そうであるに違いない!


「待っててね、イノさん。俺が必ず助けてあげるから!」

「うるさい。寝られん」


 俺が情熱的に発奮していると、奥で仮眠しているファラスさんが苦情を言うのであった。

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