3-4 陛下のご息女、若き心を惑わされる

 昼過ぎの公営住宅。

 俺は学舎の仕事が終わって帰宅したイノさんと出会った。


「授業が午前中で終わったんです。と言ってもこれから、明日の授業の準備なんですけど」


 イノさんがそう言って苦笑いする。

 家にも仕事を持ち帰ってるなんて、学舎の講師は大変だな。

 

「俺なんて帰ったら風呂に入ってメシ食って酒飲んで寝るだけですよ。そう言えば、イノさんは学舎で子供たちにどんなことを教えてるんですか?」


 イノさんが凄い秀才だという話は聞いたけど、どんな分野の勉強をしていたのか俺は知らなかった。


「精霊魔法の開発とか向上、ですね。子どもたち一人一人に合った魔法の使い方や、能力の伸ばし方みたいなのを学ぶお手伝いをしています」 

「魔法なんて、才能とか精霊さまへの信心深さで強さが決まると思ってたけど」


 少なくとも俺は、父ちゃんや村の老人たちからそう教わった気がする。

 俺の疑問に、イノさんはわかりやすく説明して教えてくれた。


「その要素はもちろん大きいんですけど、例えば魔法を行使するときに精霊さまに捧げる祝詞にも、精霊さまによって好みみたいなのがあるんです。力強い言葉を好む精霊さま、流麗な表現を喜ぶ精霊さま、とか……」

「ほえー、そうなんですか……」


 親兄弟から教わったのをなんとなくやってるだけで、気にしたこともねえ。


「あとは毎日の食べ物とか、生活の習慣を変えることで、自分の能力に合った精霊さまとの結びつきを高めたりとか……古いエルフの集落に伝わるおまじないも、最近いろいろ研究と解析が進んできて」


 前言撤回、全く俺の理解の及ばぬ世界の話だった。

 とりあえず、精霊魔法研究のかなりの高みにイノさんがいるということはわかった。

 俺がアホ面晒して話を聞いていると、それに気付いたイノさんが赤くなって慌てて言った。


「す、すみません、私、つい夢中になっちゃって……学舎の外で、こんなふうにお話しすること、あまりないから……」

「いやいや、きっとわかれば面白い話なんだと思いますよ。時間があるとき、ゆっくり聞いてみたいです。俺も少しは使うんで、魔法」

「そうなんですね。カニングさんはどんな魔法を?」


 思いがけず、話題は俺の使う魔法に及んでしまった。

 専門家の前で俺のつたない魔法を披露するのは、恥ずかしくもあるけど、いい機会だな。

 俺のことをもっと知ってもらうのは、二人のこれからのためにも、大事なことだ。


「ええと、そうですね……なにかいいものあるかな」


 俺はイノさんに魔法を見せるために、住宅地の一角に咲いているワスレナグサの花を一掴み摘んできた。

 その花をイノさんの目の前に掲げて、精霊さまに祈りの言葉を捧げる。


「大地を撫でる優しき風の精よ、わが願いを聞き届け、その力をここに示したまえ」


 俺の言葉に呼応して、周囲に小さな魔法の力のうねりが巻き起こり、ひんやりとした冷気が広がる。

 あっと言う間に花束は凍りつき、カチンコチンになった。


「どうぞ、今日は暑いんで、眺めて涼んでください」


 そう言って俺は氷の花束をイノさんに渡す。

 強く握ると砕けてしまいそうな凍った花。

 それを恐る恐る持って、まじまじと眺めるイノさん。


「凄いですね、力の流れにも無駄や淀みが全然なくて。とても綺麗な魔力の残り香……」


 全然、なに言ってるかわかんねえ。

 見ての通り、ただ花を凍らせただけですけど?


「そんな、お褒めにあずかるようなものじゃ。よければもっといろいろ凍らせて見せましょうか」


 あまり一度に何度もやると、激しく精神が疲れるんだけどな。

 俺の張り切りをよそに、イノさんはなにやらぶつぶつ言い始めた。


「祝詞の語彙は公国南部で一般に使われているものから大きく外れていない……それでもこれだけ力が分散しないで一点にまとまっているのは、対象への視覚的な集中力が高い……? いや、思い描いてる力の流れと実際の精霊さまの動きにズレが少ないから……」

「あの、えーと、もしもーし?」


 完全に自分の世界に入っちゃってるな、こりゃ。


「主として動いていたのは風の精霊さまの気配だけど……熱を奪っているから火の精霊さまを花の中から外へ移動させた? にしては、なにか違和感が……あ、水の精霊さまの動きを可能な限り止めてるんだ……」

 

 そのまま、花を睨んで独り言を長々と述べながら、イノさんは自宅へ帰ってしまった。

 夢中になると周りのものが目に入らなくなる奴はいるけど、ここまでとは。


「ま、いいや。俺も仕事に戻るべえかね」


 気を取り直して、周囲の警戒に戻る。

 広場で飲み会をしているオッサンたちも和気あいあいと問題なくやっているようだ。

 しかし、魔法解析の専門家であるイノさんと、魔法なのかそうでないのかよくわからない力で人の心を落ち着かせる陛下と。

 イノさんに付きまとう謎の人物のほかに、気になることが増えてしまったな。



 その後に行った夜の巡回でも、異常と言うほどのことは見つけられなかった。

 仮眠をして、詰所の中の仕事をちょっとこなして、朝になって交代が来たから退勤。


「イノさんはもう出勤の時間かな。散歩がてら様子だけでも見に行くか」


 今の俺は仕事が終わって私服に着替えている。

 制服姿の衛士が近くにいるときは、悪いやつも変な動きを見せずに自重したかもしれない。

 けれど、そうでない状況ならなにか尻尾を出すかもしれん。

 なにもなかったとしても、子どもたちの通学路を気の良いお兄さんが見守っているという話でしかないので、俺の株が上がるだけだ。


「あ、イノさんだ。今日もたくさん本を抱えてるな。鞄でも使えばいいのに」


 遠くに、通りを歩いて仕事に向かうイノさんを見つけた。

 しかし俺は同じ視界の端に、イノさんから離れて怪しい動きをしている一人の男を見つけた。

 土壁の建物や道路に紛れるような土色の服で身を包んでいるけど、注意して見ればすぐわかるようなお粗末さだ。

 物陰に隠れるように歩き、イノさんの後を追いかけ回している。

 けれど、後ろにいる俺から見れば、その挙動はまるわかりだった。


「あいつか、イノさんが言ってたやつは……!」


 イノさんを尾行している謎の男を、俺がさらに尾行してやる。

 大方、春の陽気にあてられてイノさんの魅力に心を乱した変態だろう。

 俺は決してそんな奴らとは違うと自分に言い聞かせながら、男を追跡する。

 しかし。


「特になにもないまま、学舎まで来ちまったな……」


 イノさんが学舎の敷地に入って行く。

 土色の服を着た謎の男はその様子を見届けて、追跡をやめたようだ。

 男はまだ俺に気付いている様子はなく、学舎から離れて人通りの少ない路地へ入って行った。

 俺は男が何者かを詳しく突き止めるべく、さらに後を追う。


「こんな空き家ばっかりのところで立ち止まって、なんの用だ……?」


 そいつは道の片隅で足を止めて、懐から紙と墨筆を取り出し、なにかを書きつけているようだった。

 書き物が終わるとどこからともなく鳩が一羽、飛んで来る。

 男はその紙片を小さく畳んで、鳩の足に括り付けた。

 伝書鳩で、誰かになにかを知らせている……?

 

「お、おい! そこのお前! 今どこになにを送った!」


 謎の男の怪しさにとうとうこらえきれなくなった俺は、ついつい大声を上げてしまった。

 しまったな、もう少し泳がせておくべきだったかもしれない。

 呼びかけられた男の方は、ぎょっとした顔を俺に向けて、舌打ちした。


「クソッ……!」


 小声でつぶやき、その場から走り去ろうとする謎の男。

 一目散に逃げようとするなんて、やっぱりやましいことがあるに違いない。

 

「逃がすかよっ!!」


 格闘は自信ないけど、体力だけは負けねえぜ。

 俺は必死に走って男の背中を追う。

 しかし相手もなかなか足が速く、かなり本気で走っているのになかなか捕まってくれない。

 もう少し、もう少しで手が届きそう、というところで男は急に右に曲がった。

 

「おっとっとっと!」


 俺は体の勢いを持て余して前につんのめりそうになるけど、なんとかこらえた。

 そこに、男が道端の砂を握って、俺の顔面に投げつけて来た。


「うえっぷ! こんにゃろ……!」


 目と口に砂が入ってしまい、一瞬だけど男の姿を見失う俺。

 隙を見せてしまった俺は、男が放った蹴りを横っ腹に喰らって、地面に転がった。

 なんだこいつ、一つ一つの挙動に迷いが全然ねえぞ!

 ただの引っ込み思案な片思い青年かと思いきや、やけに「場馴れ」してやがる!

 

「ま、待ちやがれちくしょう! てめーイノさんのなんだ!?」


 逃げて行く男に叫ぶ俺。

 当然その声は聞き入れられずに男は走り去って行く。

 しかし、直後に俺は目を疑う光景を見た。


「ぐわっ!?」


 男の身体が宙を舞い一回転して、地面にうつぶせに叩きつけられたのだ。

 突如現れた人物が、男の身体を目にもとまらぬ早業で投げ飛ばし、制圧したのだった。


「は、離せっ! なんなんだ貴様ら!」 

「大人しくしろ! 衛士隊だ!」


 そう言って男の腕を背中側で逆関節に極める、そこに現れた女性。


「ウォン隊長!?」


 謎の男を鮮やかに取り押さえたのは、衛士隊男子みんなの憧れ、北門一番隊の、ウォン隊長さんだった。


「やあ、カニング。とりあえず抑えたが、こいつはなんだ?」


 普段と変わらない涼しい顔をして、右手一本で大の男を地面に釘づけにしながらウォン隊長が言った。


「え、ええと、俺もよくわかってないんですけど……ウォン隊長は、どうしてここに?」

「用事で近くを通りがかったら、カニングが誰かを尾行しているのが見えたんでな。面白そうだから私もお前を尾行することにしたんだ。気付かなかったか?」

 

 ぜ、全然わからなかった……。

 イノさんを謎の男が尾行して、そいつを俺が尾行して、俺をウォン隊長が尾行して……。

 一体全体、こんな平和な住宅街で、なにをやってるんだろうな、俺たち。

 でもウォン隊長って、意外とおちゃめなところあるんだな。

 なんだか親近感が湧くじゃねえか……。

 そしてウォン隊長に組み伏された謎の男は、俺たちが衛士であることを理解して、こう言ったのだった。


「お、俺は公邸の、国の仕事であの女を調べてただけだ! お前たちの敵でも、怪しい者でもない!」

「公邸だと……?」  

 

 怪訝な表情を浮かべるウォン隊長。

 公邸と言うのは、国主である公爵閣下、あるいはその公子殿下たちに関わる組織全体を差す通称だ。

 ただの付きまといだと思っていた男は、そこに与する者だと言っている。


「そんなところ、一体イノさんになんの関係が……?」


 俺たちの疑問に、男は歯噛みしながらその重い口を開いて行くのであった。

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