3-7 若手衛士、陛下とご息女の真実を知る
「陛下と奥さんがな、二人でこの街に引っ越してきて、商売を始めたいんだけどどうしたらいいかって、俺のところに相談に来たんだよ。俺はその頃から、かかあと一緒に花屋をやってたからな」
「僕もちょうど市の政庁から八百屋の経営を委託されて、九番通りに来たばかりだったよ」
花屋の旦那とムスクロさんは約20年前のことをそう話し始めた。
「奥さんはその頃もうすでにお腹に赤ん坊がいてな。どうしてそんな時期に引っ越して来たんだろうと俺は疑問だったんだが、人に言いたくねえ事情かもしれねえと思って深く突っ込まなかったんだ」
「首都で洗濯屋をやってたって聞きましたけど、なにかあったんでしょうか……」
俺の言葉に花屋の旦那はまあまあと手を出して制する。
「焦るな、ちゃんと話してやる。そのうち陛下はこの街でも、服の汚れ落としの店を始める準備をした。奥さんのお腹も少しずつ大きくなって行ってな。忙しそうだが、楽しそうだったよ」
「陛下は首都の生まれだったから、都会の流行にも詳しくてね。すぐにみんなの人気者になったよ」
過ぎた日を懐かしむように二人は話す。
昔はもっと、この区域にも人が多く住んでいて、賑やかで景気も良かったそうだ。
しかしその穏やかな顔を険しく変えて、花屋の旦那は続きを話した。
「ただ、子どもがもうすぐ生まれるって頃に、奥さんの体調がどんどん悪くなって来てな。いよいよになって、医者は『このままじゃ、母親と子ども、どちらかしか助けられない。どちらもまずいかもしれない』なんて言い出しやがった」
「それは……」
イノさんに母親がいないということは、そういうことなんだろう。
若造の俺はその悲劇に対して、出せる言葉はなかった。
「陛下は、奥さんに生きて欲しいと願っていたさ。もちろん赤ん坊にもな。どちらか選べなんて出来る訳がねえ。でも、奥さんは医者に、自分はどうなってもいいと言ったそうだ。これは俺のかかあが、医者について奥さんのお産を手伝ったから知ってる話だ」
「そうだったんですね……」
しかし、ここまでの話は俺でも想像できる範囲だ。
イノさんの素性になにか特別なことがあるという説明にはならない。
「そのとき立ち合った俺のかかあがな。俺にだけ話したんだ。赤ん坊を産むときに、奥さんがうわごとのように言っていた、懺悔をしていたってな」
「懺悔? なにか、奥さんは隠しごとがあったってことですか?」
今わの際に陛下の奥さんが残した言葉。
それは、俺の想像を超えるもので……。
「奥さんが産んだ子は、陛下の子じゃなかった。奥さんは首都にいるとき、公爵閣下の息子、今では第二公子って言われるクリスって男に無理矢理襲われて、その子種を身ごもっちまったんだ」
「こ、公子って……!」
イノさんは、陛下の子じゃなく。
公爵家の血が繋がっている、公女さま……!?
唖然としている俺を見て溜息を吐き、旦那はさらに続ける。
「陛下は、このことを知らなかった。自分の奥さんが、不埒な貴族に手籠めにされたなんてことをな。二人がラウツカに引っ越してきたのは、奥さんがどうしても首都にはいたくないと泣いたからだそうだ」
ムスクロさんも、当時を思い出しているかのように辛そうな顔で言う。
「奥さんがそこまで言う理由が陛下にはわからなかったけど、泣くほどのことならとすぐ引っ越しを決めたそうだよ。奥さんを、大事にしていたんだろうね……」
そんな大切な、愛していた伴侶を……。
「そ、その秘密は、陛下は知らないままなんですか?」
俺の疑問に、ムスクロさんが首を振った。
「医局の人間が、その話を面白半分で陛下に言って聞かせてしまったんだ。随分と、ゲスな言い回しでね」
「なんてことを……!」
愛する人を失って、とてつもない悲しみに襲われている陛下に対して……。
そんな仕打ち、あるかよ、クソが!
俺がその場にいたら、悲鳴も泣き声も上げられねえくらいにまで、ひたすら顔面を殴ってやったのに!!
「奥さんが亡くなったこと、命と引き換えに産んだ子は自分の子じゃなかったこと、奥さんがろくでもない貴族に辱められてたこと……いろいろ一気に抱えて、陛下は『壊れ』ちまったんだ」
「陛下の様子は日に日に変わって行ってね。僕もしょっちゅう、杖で叩かれたりしたよ。そんなに痛くはなかったけどね」
最初は、壊れてしまった哀れな男からかうように、商店街の誰かが彼を「陛下」と呼び始めた。
よその貴族の子、公女殿下を育てている男だから陛下、とでも言いたいのだろうか。
しかし、皮肉と悪意に満ちたそのあだ名は、不思議と彼の病んでいた言動を穏やかにした。
特に意味のない、恰好だけの尊大さを残し、陛下と呼ばれるその男は無害な貧民という位置に収まった。
陛下が九番通りに誕生したいきさつは、そのようなものであるという。
そして、九番通りに奇妙な言動をする陛下が誕生したというその話題が、生まれた女の子が公爵家の隠し子であるという噂を、消すことになった。
あくまでも公式な記録の上では、イノさんは陛下と奥さんの間に生まれた、れっきとした実の子である。
その事実がある限り、イノさんが高貴な血筋を引いているという話は霧消していくのも当然だろう。
「じゃあ、今になって国がイノさんのことを調べて回ってるのは……」
「おそらくだけど、首都の高等学院にいる間に、誰かがイノちゃんを怪しいと思ったんだろう。公族に、顔が似ている、ってね」
ムスクロさんはそう予測した。
似てて当然だ、実の子なのだから。
「そ、それで、イノさんが公爵家の隠し子だって知られちゃったら、どうなるんですか?」
「どうなるかは、俺ら庶民にはわからねえよ。むしろ衛士のにいちゃんに聞きたいくらいだ」
花屋の旦那の言葉に、世間知らずの下っ端な俺では的確な答えを返すことができない。
「少なくとも、この街でのんびり、子どもたちの勉強を見て過ごすことはできなくなるんだろうねえ。陛下とも、離れなきゃいけなくなるかも」
ムスクロさんが言った。
そんなの、嫌だ!
イノさんは、今の仕事にやりがいを感じてる。
魔法を学んで、その能力を伸ばしていく子供たちを、一番側で見守っている今の暮らしが。
それに、きっとイノさんは、お父さんの、陛下の側に居たいに決まってるんだ……!
「お、俺に、考えがあります……!」
国の調査の目を欺き、イノさんは公女でないと思い込ませるため。
いつまでも楽しく、この街で子供たちから先生と慕われて過ごしてもらうための考え。
「にいちゃん、そりゃあ、なんだい?」
花屋の旦那が、期待に目を光らせる。
「はい、そのために九番通りの皆さんの、知恵と力を、貸してください」
「僕にできることなら、なんでも言ってよ」
ムスクロさんがそう言って笑う。
商店街のみんなのため。
つらい過去があり傷付きながらも、娘としてイノさんを大切に育ててきた陛下のため。
そしてなにより俺とイノさんの未来のために。
「調査に来てる国の役人に、イノさんは公爵家の血なんて繋がっていないと、そう思わせればいいんです」
リックに恨みはない。
正直なところ、結構いい奴なんじゃないかって思い始めてるくらいだ。
けれど、ここはひとつ。
どうにか騙されてもらって、ニセの情報を国務隊に伝えてもらわなきゃならねえな!
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