2-3 闇の中にきらめく白刃

 ベルさんが切り盛りしている居酒屋「恩讐者」の店内。

 俺の後に入ってきた二人組の男の方が、ぎょろりとした目つきで中を見渡し、言った。


「前に来たときと、あんまり変わってねえなあ。花でも活けりゃいいものを」

「お花は、手入れが面倒だから~」


 ベルさんはあくまでもいつも通り。

 しかし俺は、平常心ではいられなかった。

 犬男の連れてきた猫女が、どう見ても過去の事件で目にした、凶悪な殺し屋にしか見えないのだ。


「あら、それなら私がたまに、お花を置きにきましょうか? 花瓶を用意してくれるだけでいいですよ?」


 殺し屋、いや、犯罪組織の用心棒と言うべきなのか、そいつに似た猫女も、暢気に花の話なんてしている。

 そう思ったのは俺の記憶違いか、他人の空似で、実際は別人なのか?

 顔をじっくり確認したいけど、あまりじろじろ見て不審がられるのも困るな……。


「う~ん、遠慮するわ~。私、あまり匂いの強いお花、好きじゃないの~」

「姐さんがそうでも、客は喜ぶかもしれねえだろ?」


 中々食い下がらねえな、この男。

 この会話になんの意味があるってんだ。

 客じゃねえならさっさと帰りやがれ。

 俺とベルさんの楽しいひと時を邪魔すんじゃねえよ。


「綺麗なお花があると、気分も楽しくなりますよ? お酒と合わせて、お店も賑やかに……」

「ベルさん、お勘定……はもう済ませたか。俺、帰ります」


 猫女の話をさえぎって、俺は席を立った。

 帰りがけにもう少ししっかりと相手の顔を確認したかったけど、ダメだ。

 相手はしっかり横目で俺の挙動を捕えていて、わざとらしく様子を窺うような隙が微塵もねえ。


「あら~、もう帰っちゃうの~? あんまりお相手できなくて、ごめんなさいね~」


 出口までベルさんが見送ってくれる。

 俺は笑顔で手を振って、酔いの覚めた頭で思いを巡らす。

 まだ新人だった頃、先輩たちと経験した、厄介な事件の思い出を。



 俺がまだ18歳になる前の、冬のことだった。

 ラウツカの港で、大量の禁制薬物、阿片とかいう代物が船の中から見つかった。

 もちろん、それを運ぶのに関わってた連中は、ラウツカの街の衛士がしっかり捕まえたんだけど。

 

「見つかった阿片はそれでもまだ一部で、奴らを訊問しても残りの居場所を吐かなかったらしい」


 山道を警戒に向かう途中で、先輩衛士の一人はそう言った。


「そ、それで、どういうことになるんでしょうか?」


 まだなにもわかってない俺は、そう尋ねるしかできなかった。

 今も衛士の仕事を事細かに理解しているとは言い難いけど、当時は輪をかけて無知な若造だったのだ。


「ラウツカで荷揚げして、他の大きな街で客に売るとしたら、首都に続くこの道が経路になる。運び屋がすでに動いてるなら、この道を通る可能性が高いんだ」


 先輩から教えてもらい、俺はなるほどと思って歩みを進める。

 普段は少人数の班で山の中の警備、警戒活動をしている俺たちだけど、このときはラウツカ市内から応援が来ることになっていた。

 人数を増やして、他の大きな街へと続く山道を検問封鎖するのだ。


 このときの俺は、今思うとバカタレもいいところだけど、普段と違う仕事でワクワクしていた。

 悪い奴らを俺たちの手で捕まえるんだという、幼稚な正義感に高揚していたのだ。


「ど、どんなやつらですかね。その、運び屋の連中って」

「わからん。もし見つけても、相手が大人数なら手を出さずに、身を隠して追跡するぞ」


 応援が来るまでの俺たち班員だけの人数は、少ない。

 悪者の集団とまともにぶつかって大立ち回りはできない。

 森の中で物や人を探したり、広い山の中を見まわるのが俺たちの仕事で、戦闘の専門家と言うわけではないのだ。


「この山なら、俺たちに地の利がある。そうそう危ないことにはならんさ」


 もう一人の先輩が言う。

 幸いにも山間衛士は、森の木々に隠れて獲物を追跡する訓練を入念に行っている。

 普段、それで兎や鹿、猪なんかを自分たちで狩って、食料にしているくらいだ。

 俺も山の狩りには随分慣れて来た頃で、最低限、先輩たちの足手まといにはならないだろうと思っていた。


「……あいつら、怪しくないか?」


 俺たちの班は木々の間の細い林道をかき分け、整備された本来の山道を見下ろせる位置に陣取った。

 先輩が示した眼下には、ロバに荷車を引かせて、その周りを慌ただしく並走している集団がいる。


「ロバと荷物の周りに、合計で4人か……こっちは3人……」


 この場を指揮する一番上の先輩が俺ともう一人を順番に見る。

 そして、意を決して、表情を引き結んだ。


「応援が来るまでに逃げられるかもしれない。なんとか足止めするぞ」

「了解」

 

 上の先輩は短弓を、もう下の先輩は手槍を構える。

 山間衛士は魔獣などの相手もすることが多いので、武器や狩猟道具は各自、得意なものをだいたい装備している。

 俺は刃物の扱いがまだまだ未熟だったので、この頃からおなじみの打撃鞭を。 


「は、はいっ。カニング初等隊士、手持ち武器、確認よし、であります」


 この頃は訓練所明けてすぐだったから、まだ初等隊士だったな。

 武器全般が下手なのは自覚してるけど、手投げ銛とかあれば、結構使えると思う。 

 槍を改造していいか、あとで聞いておこうと思った。


「俺が弓でまずロバを狙って、あいつらに警告する。それで従えばあいつらの武装を解除して縄で縛れ。反抗するなら叩きのめせ。いいな?」

「わかった」

「が、がんばりますっ」


 最初に荷物を運ぶロバを狙って警告するのは、もちろん万が一に人違いだった場合の保険だ。

 上の先輩が指示を出したけど、正直、上手くできる気はしなかった。

 しかしそんな様子の俺を見て、下の先輩は言った。


「基本的に俺の後をついて来い。俺が仕留めそこなった奴の脳天に、その太いのを食らわせてやれ」

「わ、わかりました。しっかりやりますっ」


 知恵を持たぬ小さな魔物や、魔力に狂った魔獣の退治は、衛士として山に入って以来、何度か経験した。

 だいたいは先輩の後をついて、先輩が取りこぼした獲物に最後の一撃をかますだけの役。

 しかし今回はそれらの「魔物退治」とは違う、知恵と命ある者たちとの戦い。

 罪人の集団と言う、俺たちと同じ、ヒト種族との戦いなのだった。


「よし、敵の背後に気付かれないように近づけ。行けっ」


 俺たちは上の先輩の指示を受けて、なるべく音を立てずに林道を駆け下りる。

 まだ気付いていない敵の、背後を俺たちが取れる位置の茂みに隠れ、弓矢での援護攻撃を待ち構える。

 シュウ、とかすかに空気が斬り裂かれる音が聞こえ、矢を喰らったロバが啼いた。


「オキュ! ホキュ! ヘキューー!」

「衛士隊だ! 今すぐその場に伏せて、両手を見えるように出せ!」


 ロバの鳴き声と先輩の警告が重なって、森の中は一瞬にして混沌と化した。


「ちっくしょう! もう追いかけてきやがったか!」


 4人のうち一人は、おそらく阿片が入っている重そうな包みを抱えて走り出した。

 しかし。


「残念、行き止まりだ」


 ベチィィン! と痛そうな音が鳴る。


「ぎゃあ! いってぇ!!」


 下の先輩が、手槍の柄の部分で男の太ももをしたたかにぶっ叩いたのだ。


「お、おとなしくしろっ!」

「ごべっ」


 地面でのた打ち回っている男の頭に俺は、死なない程度に打撃鞭を振り下ろした。

 ご禁制の品物も、無事に確保!


「や、やべえ……ずらかるぞ!!」


 2人目の男は、従うでもなく、抵抗するでもなく、一目散に逃げようとした。


「動くな!」


 そこに、上の先輩が放った矢が容赦なく襲いかかる。

 

「ひぎぃ! い、命だけは、命だけは~~!」


 矢は見事に男の膝に命中した。

 あれはもう歩けねえだろうな。

 傷が疼くたび、自分の罪を思い出すといい。

 そして3人目の男はと言うと。


「お、おい! あんたには高い金を払ってるんだ! こういうときのためによお!」


 もう一人の仲間、しゃれた服を着て身ぎれいにしている、猫獣人の女に、なにか叫んでいた。


「誰でもできることと、出来ないことくらいありますよお」


 ふてくされた口調で猫女はそう言って、仲間の男をかばうように立つ。

 先輩が弓で男を狙う、その斜線上に女は立ちふさがったのだ。


「弓で狙ってる! おかしな動きをしても無駄だぞ!」

「私は動きませんので。この人を逃がしてあげたいだけですから」


 猫女は手で逃げるべき方向を男に指示し、男は頷いてそれに従う。


「ま、待て! 逃がすか!」

「邪魔しないで下さいよー」


 下の先輩がそれを追いかけようとするも、猫女は短剣を投げて男の逃走を助ける。


「くッ、こいつ……!」


 俺は両者が見える位置にいたので、その様子がよくわかった。

 そして、理解して鳥肌が立った。

 猫女は、下の先輩の方を全然見ないで、予備動作もなしでいきなり短剣を投げた。

 短剣は先輩の鼻先ギリギリのところをかすめて宙に飛んで行ったけど、先輩があのまま走って進んでいたら、確実に顔に刺さっていた。


「そいつに近付くな! 俺が仕留める!」


 上の先輩はそう言って、猫女に連続で矢を射かける。

 しかし、こいつにとっては出所のわかっている矢など毛ほども怖くないらしく、そのすべてを避けている。

 最後に放った一本の矢は、女の眼前で一閃された短剣に、矢柄を切られてぽとりと地面に落ちた。


「もう終わりですか? じゃ、私もこれで」


 そう言い残して、猫獣人の短剣使い女は森の中に姿を消した。

 4人のうち2人を拘束して、市場に出回る前に阿片を回収できた。 

 手柄を上げた俺たちだったけど、先輩たちはその後、悔しくて泣いていたのを俺は知っている。


 

 あのとき、散々に俺たちに煮え湯を飲ませてくれた猫女が、この街にいる。

 人違い、記憶違いの可能性もあるけど、まずはレーグさんに報告するべきだ、と俺は思った。


「でも、あの連中がなにか悪さをしてたら、ベルさんも疑いがかかっちゃうんじゃ……」


 ベルさんがあいつらと、どういう知り合いなのかはわからない。

 特に、猫女の方とベルさんは、初対面のような雰囲気だった。

 昔からの知り合いらしいのは男の犬獣人の方で、そいつが悪人だと決まったわけでもない。


「どうしたらいいんだ……わからねえよ……」


 俺はこっそりと弱音を吐きつつも、やはり衛士として、街を守るものとして、最善を尽くすために、休みだけど詰所に向かった。

 今の時間はレーグさんか、ファラスさんのどちらかは詰所にいるはずだ。

 相談事や報告をするなら、レーグさんの方が気が楽だなあ、などと考えながら歩く。


「どうした」


 そんなことを考えていたので罰が当たったのか、詰所で俺を出迎えたのは、ファラスさんの無表情だった。


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