2-4 夜蝶の笑顔と後悔と

 俺が詰所を訪れたとき、先輩衛士のファラスさんは机で書き物をしていた。

 俺たちが担当する九番通りの周辺地図のようだ。

 今まで使っていた地図は、色々と書き込みを繰り返したせいで汚くなっていた。

 だから新しく作り直してくれているのだろう。


「え、ええとですね、少し、報告したいことがありまして」


 俺は、自分が酒臭くないだろうかと言うことを気にして、少しばかり距離を取ってファラスさんに話す。

 僅かばかり眉毛をぴくっと動かしたファラスさんは、すぐにいつもの能面に戻って、言った。


「仕事の話か」

「は、はい。商店街で夜飯を食っていたら、気になる人物を見かけたんです」

「詳しく」


 ファラスさんは自分がやっていた作業を中断し、別の紙を出して俺の話を書きとっていく。

 さっきまでベルさんの店で飲み食いしていたこと。

 店にあとから来た二人の客のうち、一人が過去にあった重大犯の一味の可能性が高いことなどを話した。


「……2年、いや1年半前か」


 ファラスさんは書棚から資料を引っ張り出し、俺が話した二人が、手配書の回っている罪人かどうかを確認し始めた。

 そしてその中から、一人の猫獣人女の資料を探り当てた。

 簡単な文字の資料だけで、似顔絵、人相書きはない。


「どんな顔をしていた?」

「え、えーと……」


 あれ?

 猫女に店で実際に会ったときは、過去に出会ったあの短剣使いだ、とハッキリ確信できたのに。

 ファラスさんに女の容貌を説明しようとすると、なぜだか上手く頭が回らず、言葉が出て来ない。


「も、申し訳ありません。こう、ふわっとした女っぽい服を着ていた猫の獣人、と言うことはおぼろげにあるんですけど……」


 自慢じゃないけど、女に対しての観察眼は人一倍ある方だ。

 その俺が、女の顔つき、背丈や体つきを、ぼんやりとしか思い出せない……。


「魔法だ。厄介だな」


 フーッとため息をついて、ファラスさんは机の上に資料を投げた。

 他者の記憶に影響を与えるような魔法があるってことなのか?

 

「で、でも、もう一度見れば、絶対にわかります」


 実際、あの猫女に会って、過去のことをいろいろと思いだした。

 まったく記憶が当てにならないということは無いはずなんだ。


「お前だけがわかってても、仕方ない」

「う……」


 淡々と言われたけど、確かにその通りだと思う。

 俺が猫女をもう一度見つけて捕まえたとしても、おぼろげな俺の記憶だけでは罪に問うにも証拠が少なすぎる。

 あいつが実際に、目の前でなにか悪さをしている現場を取り押さえられるなら別だけど。


「居酒屋で、女店主とその客はなにを話してた?」


 ひとまず猫女のことは置いて、ファラスさんと俺は他の情報を整理する。

 

「ただの世間話みたいな感じでしたけど……店に、花を置けばもっといいんじゃないか、とか、話してました」

「それだ」


 どれ?

 どうもファラスさんは言葉が足りない感じなので、俺には会話の調子がつかめない。

 わかってないでアホ面を晒している俺を見て、ファラスさんは説明を足してくれた。


「花は禁制薬物の隠語だ。花を加工して作るからな」

「ああ、なるほど……」


 ベルさんの居酒屋は価格設定が高めなので、それなりに金を持った客が何人も出入りしている。

 そういう場所に薬物を置けば、効果的に売りさばけるだろう。

 常連客の多くはベルさんに心酔してるから、口が割れるようなことも少ないしな。

 しかしあくまで隠語、符丁のたぐいなので、その会話自体は証拠にならない。

 単に花のことを相談していただけだ、と言い逃れできるからな。


「最近、街中でも薬物の売り買いが増えてるらしい。北門の一番隊と本部の警邏が近々、怪しい連中の巣に突入するって話もある」


 ウォン隊長の一番隊はそんなこともやってるんだ。

 大変な仕事だなあ……って、俺も衛士なんだけど。 

 それよりも、だ。


「べ、ベルさんは、ちゃんと断ってましたよ! 絶対、そんな連中とは関わってないです!」

「それを判断するのはお前じゃない」

「う……」


 ぴしゃりと言われて、俺は黙るしかなかった。


「もう帰って休め。情報は他の班にも回しておく。ご苦労」


 しょげている俺にそう言って、ファラスさんは地図の書き直し作業に戻った。

 俺は帰り道にもう一度、ベルさんの店「恩讐者」を外から軽く覗いた。

 あの二人組はどうやら帰ったらしい。

 他の酔っ払いとベルさんが楽しそうに笑っている声が聞こえた。

 

「ベルさんのほんわか笑顔が歪むのは、見たくねえなあ……」

 

 俺は複雑な気分のまま、部屋に戻った。

 ベルさんが悪い奴らの仲間だなんて、思いたくもなかった。



 後日、俺はファラス先輩と組んで、二人で地域の夜回りに向かった。

 商店街はすっかり灯が落ち、夜に営業している店はベルさんの「恩讐者」しかない。


「どうも。なにか変ったことはありませんか?」


 あくまでもにこやかに、特別なことなどないような態度で、俺はベルさんに挨拶する。


「なにもないわ。お客さんも来ないし、商売あがったり」


 困り笑いをしながら、ベルさんが言う。

 確かに客席には誰も座っていない。

 いつも、人数は少ないながらも客が途切れることはないのに、珍しい。


「それは残念ですね。それでも、なにかあればすぐにお知らせください」

「ええ、衛士さんたちも、お疲れさま」


 対応は全部俺任せで、ファラスさんは一言もしゃべらなかった。

 全然、それでいいんだけどな。

 わずかの機会でもベルさんとお喋りできるのは素晴らしい。

 これが仕事じゃなければ、もっといいんだけど。


「お前の言ってた二人組が、あの後、店に来た形跡はないな」

「と、思うんですけど……ファラスさん、ちょっと、いいですか?」

「なんだ」


 俺は店先でのベルさんの様子がいつもと違う気がして、ファラスさんにこう提案した。


「少し他のところを回って時間を潰したら、もう一度ベルさんの店を、今度は気付かれないように探ってみませんか。裏口から物音を聞く感じで……」

「なにか怪しかったのか」

「はい、いつものベルさんじゃない気がして……ただの勘なんですけど」


 適当な推測で生意気言うな、って怒られるだろうか。

 それでも、ぼんやりとした予感があったのだ。

 このまま見過ごしてはいけないという、確信にも似たものが。


「時間もあるし、良いだろ」

「ありがとうございます」


 案外とすんなり俺の案は通った。

 俺たちは商店街付近を一通り見回ったあと、再びベルさんの店へ。

 さっきと違い、裏道の用水路側から、建物の様子を窺う。

 ベルさんの店「恩讐者」はうなぎの寝床のように細長い造りになっているので、正面入り口からは奥の様子がうかがえないのだ。

 悪い予感は当たるものだな。


「姐さん、いい加減大人になれよ、なあ?」

 

 壁の奥からはベルさんと、他に誰かが言い合っている声が聞こえた。


「もう来ないでって言ったじゃない! せっかくこの街で、真面目にやって来たのに! お店もやっと、いいお客さんがついてくれるようになったのよ!」


 普段のベルさんからは想像もつかないほど、悲壮な声で叫んでいた。


「こんなシケたところで、どれだけの商売になるってんだよ? せっかくいいブツを仕入れる連中と話を付けたんだ。また昔みたいに俺と組もうぜ?」


 もう一人の喋っているのは、先日来た二人組の、犬獣人男のほうだな。

 話の内容から察するに、ベルさんは過去に男となにかの付き合いがあり、一緒に仕事をしていたということなのだろうか……。

 俺とファラスさんは息をひそめて、中の様子を窺い続ける。


「あなたのそんな話に乗ったせいで、私の兄さんは衛士に殴り殺されたのよ! もういい加減にして!」


 その言葉を聞いた俺とファラスさんの間に無言の緊張が走った。

 ベルさんの過去に、そんなことが……。


「チッ、しょうがねえな……!」


 ガタンゴトン、と中でなにかが動き、ぶつかる音がする。

 取っ組み合いが始まったのなら、ベルさんが危ない……!


「行くぞ」

「はいっ!」


 俺とファラスさんは同時に店の裏口の戸を蹴り破った。

 薄暗い室内には犬獣人の男に両手を掴まれ、抑えられているベルさんと。


「あら、また会いましたね。衛士さんだったんですか」


 そこに俺たちが行くのを邪魔するように立ちはだかる、猫獣人の女。

 両手に鈍く光る短剣を持っている。


「ファラスさん、こいつです!」

「ああ」


 ためらうことのない挙動でファラスさんは腰の打撃鞭を抜いて、女の手を狙い打ち据える。


「わ、やりますね」


 キィン! と音が鳴り、ファラスさんの攻撃は軽く横にいなされた。

 猫女は短剣を滑らすように鞭に這わせ、打撃の力を受け流したのだ。


「お前は店主を!」

「は、はいっ!」


 猫女とファラスさんが睨み合ってる横を通りぬけて、俺はベルさんを助けるために店の奥へ。


「ちっ、ガキが!」


 犬男も腰の短剣を抜いて、腰だめに構えて俺を刺そうと向かってくる。

 これ、刺されたら、死ぬ!?


「う、うおおおおおおおっ!!」

 

 俺は自分の胴体を両手で守りながら男に突進し、頭突きをぶちかます。


「ぐぎゃぁ!」


 俺の頭突きを喰らって犬男が上げた悲鳴と。


「いってぇ!」


 男の持っていた短剣に、腕を制服越しに斬り裂かれた俺の悲鳴が同時に響く。

 大丈夫、傷は浅い、と思う!


「やっろォ! 大人しくしろッ!!」


 男が鼻を抑えて怯んでいる間に、俺は打撃鞭でやみくもに殴りかかる。

 ドカッ! バキッ! ボコッ! ガスッ!

 無我夢中になっている俺の身体に、ベルさんがしがみついて、叫んだ。


「も、もうやめて! 死んじゃう!」   

「ぐあぁ……や、やめっ……かんべん……」


 はあ、はあ、と荒い息を吐いて、俺はなんとか動きを止めた。

 床でうずくまっている犬男は……しこたま殴ったけど命に別状はない、だろう。

 あ、猫女と戦ってるファラスさんの方を、手伝わないと!


「あら、やられちゃったんですね」


 軽くそう言った猫女は、相変わらず予備動作もない、恐ろしい速さで短剣を投げ。


「ぎゃあっ!!」


 俺の太ももに刃物を刺し、店からあっと言う間に逃げて行った。


 ピリリリリリリリリリリ!


 ファラスさんが警笛を鳴らして、周囲に警戒を知らせる。

 

「ファラスさん、あいつを追ってくださいッ……!」


 痛みに歯を食いしばりながら俺は言ったけど。


「無理だ」


 それだけ言って、ファラスさんは犬男を縄で縛り、俺の傷口の手当てに取り掛かった。

 くそう、俺が怪我なんてしなきゃ、二人とも取り押さえられたかもしれないのに……。

  

「ご、ごめんなさい……ごめんなさい。死なないで……」


 ボロボロに泣き崩れたベルさんが、俺の顔を覗き込んでいる。

 俺の方こそ、ごめんなさい。

 あなたにこんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。

 自分の力のなさを嘆きながら、俺は血の気が失せて意識が朦朧としていくのを感じて行くのだった。

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