オクトパス銀行員

このしろ

第1話

 六畳部屋の小さな学生寮で、香ばしい煙が沸き立つ。

 長テーブルの中心には、隅々まで生地の広がったたこ焼きと睨めっこをしながら具材を投入していく姉の姿があった。

 俺は一息ついてビールの蓋を開けた。

「何年ぶり?」

「あんたと会うのは6年振りだね。元気でやってた?」

「相変わらず。唯一変わったとすれば、この通り、酒の味くらいはわかるようになったことかな」

 軽々しく缶を振ると、姉はまったく、と言いながら生地の中へ生姜を入れていく。

 最後に姉と会ったのは、俺が大学受験に合格した時。その時も、合格祝いで姉にたこ焼きを作ってもらった記憶があるが、いかんせん不味かった記憶しかない。が、この6年で成長したのだろう。大阪で暮らしている姉の姿は、随分とサマになっていた。

 ジュ〜と美味しそうな音が、たこ焼き器から鳴り始める。

「結局どこに就職するんだっけ?」

「どこにも」

 姉が一瞬目を見開いて、俺を見たが、

「そっか......」

 それ以上追求することはなかった。

 この冬が終われば、長かった大学生活も終わる。なんとなく大学院まで行ってみたが、得られたものは何かと聞かれれば、何も無い。

 つまり、就活にさえ乗り遅れた。

「姉ちゃんは銀行員だっけ」

「そそ。大変だよ。利益利益。振り向けば人間関係とお金の応酬だからね」

 銀行の事はよく分からない。が、目の下にできた隈が、姉の努力を如実に物語っていた。

「見んなし」

「は?」

「今、ねーちゃんのおっぱい見てたやろ」

「......いや、相変わらずたこ焼きみたいなおっぱいだな......って、ぐぇっ!」

 ハリセンみたいな何かで叩かれた。

 姉の隈を見ていたとは言わず、関西人なのだからボケにも突っ込んでくれると思いきや、予想以上のツッコミが来た。痛い。

 ほれ、と姉が顎で指示を出す。

 仕方ないので、頭をさすりながら、俺も生地の海へタコを入れていった。

「今度おっぱいみたら、こいつであんたの目ん玉回すからね」

 なぜか楽しそうに、たこ焼きを回す針を俺に向けてきた。

 話題に乗ったら本気でやられると思ったので、とりあえずたこ焼き作りに専念する。とは言ってもすることが無いのだが。

「いい? 生地が固まってきたら格子状にひっくり返すんだよ?」

「こ、格子状?」

「ほら、遅い! 急いで回して」

「う、ういっす......!」

 なんとなく固まってきた生地を、なんとなく回す。

 回した瞬間、ふにゃふにゃの生地が崩れそうになる。

「下手だなぁ」

「ずっとたこ焼き作ってる奴に言われたくない」

「たこ焼き作れない男は一生モテないよ」

「あっそ」

 戯言を適当にあしらっておく。

 しかし俺の不器用な手つきとは違い、姉は瞬時にたこ焼きをひっくり返していく。綺麗な焦げがついた円形のたこ焼きが目の前で出来上がっていった。見ているだけで涎が出てきてしょうがない。早くビールと一緒に喉へ流し込みたいものだ。

「これとかもうできてるから、食べていいよ」

「おう......」

「無職童貞の哀れな弟に、姉からの僅かなプレゼントだ」

「そりゃどうも」

 ふん、と鼻を鳴らしてたこ焼きをいただく。外はぱりっ、中はふわとろ。歯ごたえのあるタコの食感を味わうと、細ネギや生姜の風味が口の中全体に広がる。

 うまい、と感想を言う前に、反射的にビールを口に入れた。

「どうだい?」

 ニマニマと、あらかた俺の言いたいことがわかってるような姉の様子に悔しながらも、

「う、うまい......」

「やろ?」

 味わっているうちに次から次へと、映えた見た目のたこ焼きが間髪入れずに出来上がっていく。

 無職だし彼女もいないけど、それでも、たこ焼きは食べたくなる。

「私ね、会社辞めようかなと思ってんねん」

「......ふーん」

「何その反応、ウケる」

 姉の突然の台詞に、驚くことは何もなかった。

 苦労しているんだろうなということくらい、姉の様子を見れば、就活を逃した俺でもわかることだった。

「会社辞めて、次はどうするの?」

「たこ焼き屋でも開こうかなとか、思ってたり」

「ほう、それはまた親父にキツく叱られそうなことを考えてらっしゃる」

「へへ」

「褒めてないからな」

 まあ、就職する気のない俺が言うことでもないが。

「一緒にやらない開かない?」

「俺を道連れにするな」

「私もたこ焼き作るの上手くなったと思うんだけどなぁ」

 まぁ、6年前よりは確かに上手くなった。味も腕前も。

 が、それを言えば姉は調子に乗るので言わない。

「じゃあ、俺は『姉が銀行員やめてたこ焼き屋始めた件』ていう小説書こうかな」

「なにそのタイトル長い小説。絶対売れなさそう」

「印税は俺のものだ!」

「いらないわよ」

 クスッと笑う姉。

 姉と二人っきりで久しぶりに食べるたこ焼き。こんな狭い部屋だが、まぁ、仕事の息抜きになったのならそれでいい。

 俺は専用のソースとマヨネーズを大量にかけて、全力でたこ焼きを楽しみ続けた。

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