第31話 和解と火種

 幸一さんを慰めてから、俺は桃谷家に帰宅すると、玄関で栞さんが出迎えてくれた。


「おかえりなさい」

「ただいま戻りました」


 俺がそう答えると、栞さんは俺と幸一さんを見比べてから、柔らかい物腰で尋ねてくる。


「その様子だと、ちゃんと打ち明けられたみたいですね」


 栞さんが嬉しそうに言うと、幸一さんは誤魔化すようにして咳き込んだ。

 恐らく、指摘されたのが恥ずかしかったのだろう。


「お茶を用意してくれ、少々飲み過ぎた」

「はい、かしこまりました」


 幸一さんは草履を脱いで、上がり框へと上がる。


「それから、千陽を呼んできなさい」

「分かりました」


 栞さんは、トコトコと家の奥へと進んでいき、千陽を呼びに行く。


「さぁ、元気君も上がりなさい」

「はい、お邪魔します」


 幸一さんに勧められ、俺も革靴を脱いで上がり框へとあがる。

 そのまま、幸一さんの後を付いていくようにして、畳式の客間へと向かった。

 お互い向かい側の席に座ってまもなく、千陽が客間へと入ってくると、心配した様子で俺の隣へと歩み寄ってきて、耳元で話しかけてくる。


「大丈夫だった? お父さんに何か変なこと言われなかった?」

「聞こえてるぞ」

「うっ……」


 幸一さんに指摘され、千陽はしゅんっと縮こまってしまう。

 俺は千陽に笑みを浮かべながら答える。


「平気だよ。千陽が危惧してるようなことはされてないから」

「本当に? お父さんにどつかれたりしてない⁉」

「してない、してない。凄く優しく接してもらったよ」


 そう答えると、千陽が信じられないといった様子で幸一さんの方を見つめた。

 視線に気づいた幸一さんは、少々ばつが悪そうな顔を浮かべながら口を開く。


「何だ、俺が元気君にもてなしたらダメなのか?」

「いやっ、そういうわけじゃないけど……いきなりどういう風の吹き回し?」

「そ、それは……」

「本当は、反対するつもりなんてなかったのよ」


 口ごもる幸一さんの代わりの答えたのは、お盆にお茶の入った急須と湯呑を載せてやってきた栞さんだった。

 栞さんは机の上にお盆を載せて座り込むと、急須から湯呑へお茶を注ぎながら話を続ける。


「元々この人は、千陽のことをずっと気にかけていたのよ。まあ、それが間違った方向に進んで、こんな過保護おじさんになっちゃったんだけどね」

「こ、こら栞。急に何を……」

「あなた。ここまで来たら、もう後戻りはできないわよ。千陽にもしっかり打ち明けなさい」


 栞さんに窘められ、幸一さんは黙り込んでしまう。

 俺と千陽は固唾を飲んでその様子をじぃっと眺めていた。

 しばしの沈黙の後、幸一さんが一つ咳払いをしてから、千陽の方を見据えて声を上げる。


「その……今まで申し訳なかった。俺は千陽のこと、ずっと心配だったんだ。だから、都内の大学へ進学するって言った時、反対してしまった。千陽は世間知らずなところがあったから、都内に娘を一人野放しで放り込むのが危ないと思ったから。でも、それは杞憂だった。向こうでお前は、家事や洗濯、独り立ちできるスキルを身につけて、元気君という素敵な彼氏まで手にした。俺の知らぬ間に、時の流れというのは早いもんだな」

「えっと……つまり、どういうこと?」

「その……なんだ……今まで俺がしてきた行為は、千陽にとって大層鬱陶しくて嫌だっただろう。本当に申し訳なかった。もう俺がいなくても、立派に生活することが出来る大人の女性に育ってくれてありがとう。成長したな、千陽」

「お父さん……」

「まあなんだ……まあその……元気君との交際の件だが、端から反対するつもりはなかったんだ。彼は千陽のことを想っている素晴らしい子だ。誠実さもある」

「ってことは……交際を認めてくれるの?」

「あぁ……千陽が好きなようにすればいい」


 幸一さんが言い切ると、千陽は緊張の糸が切れたように、ほっと顔を綻ばせた。


「ありがとうお父さん……ありがとう!」


 千陽の目元には、うっすらと水滴が浮かんでいる。


「あぁ、しっかりと、これからも二人助け合いながら生きていくんだぞ」

「うん!」


 幸一さんの言葉に、しっかりと頷いて感謝の意を表す千陽。

 まさに、桃谷家の家族のきずなが感じ取れた瞬間だった。


「さっ、お茶が冷めちゃうわよ」


 幸一さんと千陽の話が済んだところで、タイミングよく栞さんがお茶を差し出してくれる。


「いただきます」


 俺は湯呑を受け取り、ゆっくりと口元へと持っていき、お茶をズズズっと啜った。

 水面には湯気が立ち、香ばしいお茶の香りが漂う。

 ほのかにほろ苦い味わいに、どこか甘酸っぱさも入っているような味わいを噛み締めながら、俺は千陽との交際を認めてもらうという最大ミッションを成し遂げるのであった。


 ピンポーン。


 ほっとしたのも束の間、インターフォンが鳴り響く。


「あら、誰かしら?」

「宅急便かな?」

「俺が取りに行こう」


 そう言って、幸一さんがおもむろに立ち上がり、玄関へと向かって行く。


「よかったわね、二人とも」

「はい、栞さんも、これからも色々とお世話になると思いますがよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ」


 栞さんは優しい笑みを浮かべながらお辞儀してくれる。


「お母さん……本当にありがとう」

「いいのよ。これは千陽がしっかり自立したからこそ得た結果なんだから。私は何もしてないわ」


 そんな謙遜する栞さんと千陽さんが視線を交わして微笑み合っている時であった。


「誰だぁー!!!!」


 玄関の方から、幸一さんの怒号が聞こえてくる。

 その声を聞いて、俺達三人は慌てて立ち上がり、玄関へと向かって行く。


「あなた、どうしたの⁉」


 玄関先に向かうと、そこには、悠姫ちゃんが苦笑いを浮かべながら男の人の腕に抱き着いて立っていた。

 その隣にいたのは……。


「怜人……お前、こんなところで何やってるんだよ⁉」


 友人の怜人だった。


「えと……悠姫ちゃん。隠れ家的なカフェがあるって聞いてたんだけど? ここは?」


 怜人は焦った様子で、悠姫ちゃんに状況説明を求めている。


「ようこそ、隠れ家私の実家へ!」


 悪びれた様子もなく、悠姫ちゃんがニッコリ笑顔で言い切ると、怜人は助けを求めるように俺へ視線を向けてくる。

 俺は胸の前で手を合わせて合掌しておく。

 ご愁傷さまだな怜人。


「うちの娘から手を離せぇぇぇぇぇ!!!」


 この日、幸一さんの元に、新たな火種が生まれた瞬間であった。

 悠姫ちゃんと怜人の二人が、幸一さんに認めてもらえるようになるのは、まだまだ先の話である。

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