第30話 お父様の心情

「らっしゃい! って、なんだ幸一か」

「悪いが、お座敷使わせてもらうよ」

「へいよ」


 幸一さんに連れてこられたのは、家から歩いて五分ほどの所にある個人経営の居酒屋さん。

 どうやら大将とは顔見知りのようで、当然のように座敷席へと向かって行く。


「まあ、座りなさい」

「はい。失礼します」


 俺は靴を脱ぎ、恐る恐る手前の席へと着く。

 しばらくして、大将が注文を取りにこちらへとやってきた。


「生二つ。あと刺身盛り合わせ」

「まいど」


 注文を取り終えた店主は、そのままキッチンの方へと戻っていく。


「あの……これは一体どういう?」

「男同士二人で話すとなったら、酒の席と相場は決まっているだろ」

「は、はぁ……」


 確かに、俺も怜人と会うときは大体居酒屋だけど、俺に対して悪い印象を持っているというのに、どういう風の吹き回しなのだろうか?


「へい、生二つお待ち!」


 動揺していると、店主がキンキンに冷えたグラスに注がれた生ビールを持ってきてくれる。


「持ちなさい」

「は、はぁ……」


 幸一さんは、グラスの一方の取っ手をこちらに向け、手に持つよう催促してきた。

 俺が恐る恐るジョッキを手に取ると、幸一さんがグラスをかざしてくる。


「さぁ、男の宴と行こうじゃないか」

「は、はい……」


 何が何だかわからぬまま、俺は幸一さんとグラスを合わせて乾杯する。

 幸一さんはそのままグラスを口元へと持っていき、豪快にビールを飲んでいく。

 俺もそれに合わせて、ビールをちびちびと嗜む。


「はぁっ……まさかこうして、千陽の男と酒を交わす日が来るとはな」


 感慨に浸るような言葉を漏らして、幸一さんがこちらへ視線を向けてくる。


「それで? 千陽と結婚すると言っていたが、具体的に婚姻届けはいつ提出するんだ? 式は? 子供をつくる予定はあるのか?」

「いえっ、そんな具体的な話は全くしてないですよ! まずはお父様の承認が最優先だと考えてましたから」

「そうか……」


 俺の話を聞いて、少々残念そうな表情を浮かべたのは気のせいだろうか?

 そんなことを思っていると、幸一さんがしみじみと語りだす。


「千陽はな。学生時代はまあそれは世間知らずだった」

「は、はぁ……」


 ひとまず俺は、幸一さんの話に耳を傾けることにした。


「世間知らずで方向音痴、おまけに男っ気一つない。私はずっと、千陽がいざ独り立ちしなければならない時、この子は自立して生きていけるのだろうか。そんな心配ばかりが先立ってしまってな。ついつい口を挟んでしまったんだ。まあその結果、千陽を縛っていたのは俺自身だったってことに気づかされたんだけどな」


 幸一さんは自虐的な笑みを浮かべながら、話しを続けた。


「そんな千陽が初めて、俺に真っ向から言ってきたんだ。大学は都内の方に進学したいとな。もちろん、俺は反対した。今のままであんな人で溢れかえる街に千陽を放り出したら、どんな危険な目に会うか分かったものじゃないからな」


 以前千陽は、お父様の束縛が鬱陶しくて家を出たかったから、大学は都内にすることにしたのだと言っていた。

 幸一さんは、世間知らずの千陽を守りたい。

 その気持ちを前に出過ぎてしまった結果、彼女に制限を与えてしまい、それがかえって、火種の原因になってしまった。

 幸一さんが千陽のことをどれだけわが子として愛情を持っているのかということが、ひしひしと伝わってくる。


「でも千陽の意志は強かった。反対を押し切ってでも、自分は実家から出ていく。それほどの覚悟を持っていた。俺は折れて、毎日連絡だけは必ず入れるようにという条件付きで、千陽を都内の大学へ進学させることを許可した」

「そんな経緯があったんですね」

「あぁ……結局俺は、千陽を守ろうとした結果、彼女に嫌われてしまった。ほんと、親としてバカなことをしたと思っている」

「そ、そんなことはないですよ。娘さんを溺愛してしまうのは、当然のことだと思いますし……」


 俺が必死に慰めの言葉を述べると、幸一さんはフルフルと首を横に振った。


「いや、いい。同情こそ、最も惨めなことだからな。千陽に嫌われてしまった以上、俺が君との結婚についてどうこう言える権利はない。だから、ここまで虚勢を張ってしまって申し訳なかった。俺が千陽に出来なかったことを、君なら出来ると信じている」

「もしかして、それを試すために、わざわざ俺を実家まで呼び出したんですか?」

「面倒な真似をしてすまなかった。君の本気度を、どうしても親として確かめたかったんだ。これ以上、変な真似をするつもりはない。覚悟を決めてきてくれたようだからな。だから、千陽のことを、これから末永く幸せにして欲しい」


 そう言って、幸一さんは大きく頭を下げてきた。

 最初から認めるつもりだったということだ。

 俺はほっとするとともに、幸一さんに優しく声を掛ける。


「頭を上げてください」


 幸一さんがゆっくりと頭を上げてから、俺はふっと笑みをこぼした。


「千陽はもう、立派に独り立ち出来ています。料理も出来ますし、掃除だってしてくれて、身の回りのお世話だって……。だから、ちゃんと気持ちを伝えれば千陽も理解してくれると思います。多分千陽も……本当に嫌いだったら、あんなに激しく言い争ったりしないと思いますから」

「……君は、本当に千陽のことを良く理解しているんだね」

「まあ、最初は分からないこともありましたけど、今はなんとなくですけど、そうなんじゃないかなと。自分も同じ立場だったら、親に成長したって事を認めて欲しいなって思うので」

「……そうか」


 幸一さんはぐっと噛み締めるようにつぶやいてから、グラスに残っているビールを飲み干した。




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