第17話 久々の先輩

 迎えた週末。

 仕事を終えた私は、ぐっと大きく伸びをしていた。


「んんーっ、やっと終わった」


 来週に仕事を貯め込みたくなかったので、気づいたら無我夢中でパソコンに張り付いて作業をしていた。

 腕時計を確認すれば、就業時間まであと少しといったところ。


「お手洗い行っておこうかな」


 私がそう独り言をつぶやいた時である。


「やっほー千陽!」

「ひぃ⁉」


 突然、背中をバシンと叩かれ、私はビクっと身体を震わせながら後ろを振り向くと、そこには私の反応を面白がるようにしてくすくすと笑いながら、肩越しまで伸びた栗色の髪を揺らす美人が立っていた。

 私はその人に向かって、頬を膨らませながら声を上げる。


「もう! ビックリしたじゃないですか愛先輩!」

「ごめん、ごめん! なんか千陽が凄い辛気臭そうにしてたからさ」


 そう言ってニヤニヤとした顔を浮かべてこちらを見つめてきたのは、大学時代からの先輩である愛先輩。

 私と違って、洗礼された立ち振る舞いと、その所作は、まさに高嶺の花。

 愛嬌のある笑顔に、溌溂とした声が良く通る、元気印の塊みたいな人である。


「はぁ……全くもう、先輩には分かりませんよ。座りっぱなしでデスクワークをするしんどさが」

「そんなことないよ。私の部署だって、一日中デスクワークの日だってたくさんあるよ?」

「それじゃあ、私と仕事変わりますか?」

「それだけは嫌です! いつもお世話になっております!」


 愛先輩は営業部で、私は経理部。

 色々と営業部から送られてくる決算書の見積もりを逐一チェックしているので、立場的には頭が上がらないのである。

 とまあ、そんな先輩後輩の猿芝居をしていると、就業のチャイムがオフィス内に鳴り響いた。


「おっ、丁度いいタイミングで終わったね。ほら、千陽も荷物片づけちゃって! 早く飲みに行こ!」

「はぁ……全く愛先輩は自由なんですから」


 そうは言いつつも、愛先輩には感謝しきれない恩があるので、こうして先導して引っ張ってくれる姿はいつ見ても頼もしかった。

 私は荷物をまとめ終えて、同じ部署の人たちに一言挨拶してから、愛先輩と一緒に夜の街へと向かう。


「にしても千陽から誘ってくれるなんて珍しいじゃーん。どういう風の吹き回しよ?」


 私の脇腹をつつきながら、にやにやした笑みを浮かべて愛先輩が尋ねて来る。


「いやぁ……最近愛先輩と全然話せてなかったなと思いまして」

「ほぉーん。つまり私が構ってくれなくて寂しかったってことか」

「ち、違います!」

「はいはい、分かってるって。千陽は結構甘えん坊の寂しがり屋ちゃんだもんねぇー」

「人の話聞いてください!」


 そんなやり取りを交わしながら、電車の高架下にあるしっぽりとした居酒屋。

 ガタガタガタっと引き戸を開くと、大将の『らっしゃい!』という大きな声が聞こえてくる。


「二人です」

「空いているお好きな席へどうぞ」

「はーい」


 慣れた様子で、愛先輩は店の奥へと進んでいき、四人掛けのテーブルへと向かっていく。


「ここにしよっか」

「はい」


 お互い荷物を空いている隣の椅子へ置き、もう片方の椅子へ腰掛ける。

 辺りをキョロキョロと見渡すと、会社終わりのサラリーマンたちが、にぎやかそうにお酒を楽しんでいた。

 その風景はどこか、昔ながらの人の温かみを感じるような雰囲気で、ほっとしてきてしまうから不思議である。


「ここ、先輩上司に教えてもらったんだけど、結構いい感じでしょ? 私のお気に入りのお店なんだぁー」

「はい、なんというか、アットホームな感じで、凄い落ち着きます」

「でしょでしょ! 都内の居酒屋って、どこか冷めてるというか、淡白だったりするところが多いから、こういう所くると、お盆とかお正月に親戚が集まってるみたいな感じだよねー」

「あー分かります。私の地元もこんな感じなので」

「だよねーだよねー! 千陽なら分かってくれると思ってたよ!」


 最近は、親戚も高齢になってしまったこともあり、そう言った集まりは自然と減ってしまったけれど、やはりこういうどこか実家に帰ってきたような落ち着きは、都会でお目にかかることは中々ないので、ほっこりさせられるというのは共感してしまう。


 そんなこんなで、注文したビールを片手に、愛先輩が手を掲げる。


「それじゃあかんぱーい」

「乾杯」


 グラスをカツンっと合わせてから、愛先輩はグビグビと豪快に、私はチビチビとおしとやかにビールを飲んでいく。


「ぷはぁーっ! やっぱり仕事終わりのビールは格別にうまい!」

「なんか愛先輩、おじさん臭くなりましたね」

「そ、そんなことないもん! 私だってまだ一応二十代だし!」


 頬を真っ赤にしながら、愛先輩は拗ねたように言ってくる。


「んでぇー? そういう千陽はどうなのよー? 最近元気君とは元気にやってるー?」


 愛先輩は矛先を私へ向けるようにして、にやりと口角を上げながら尋ねて来る。

 私はビールを一口飲んでから、平静を保ちつつ答えた。


「おかげさまで上手くいってますよ。先月から同棲始めましたので」

「えっマジ⁉ 私聞いてないんだけど⁉」


 愛先輩は驚いた予数で、前のめりになりながら追及してくる。

 私は平常心のまま、淡々と事務的に言葉を紡ぐ。


「まあ、それを言うために今日愛先輩を誘ったんですから当然です」

「あぁーそういうこと。もうー千陽はそういう所生真面目なんだから」


 納得した様子で、愛先輩は自身のグラスのビールを飲みほした。


「すみませーん! ビールおかわり」

「はいよー!」


 愛先輩が叫ぶなり、店員さんから威勢のいい声が返ってくる。


「にしてもそっかぁ……二人が同棲ねぇ」


 愛先輩は頬杖を突き、慈愛に満ちた瞳でこちらを見つめて来る。


「愛先輩には付き合う前からお世話になりっぱなしだったので、一応報告しておこうと思って」

「本当だよ。元気君も千陽も、お互い好きだって意識し合ってるのに、全然進展しないんだもん。見てるこっちが耐えられないって」

「その節はお世話になりました」


 そう、何を隠そう、元気君と私が付き合うきっかけをくれたのは、愛先輩なのだ。


 当時大学生だった私と元気君は、友達なんだけどお互いにそれ以上の感情を華にかしら持っているというような関係性だった。

 けれど、そこから先は、踏み込んではいけないというような、謎の境界線がお互いにあったのである。

 そんな私たちを前進させてくれたのが愛先輩だった。


 私と元気君を花火大会へと連れ出してくれて、途中で二人きりにしてくれて、そこで私は、元気君から告白を受け、付き合うことになったという経緯があるのだ。

 後から聞いた話によれば、元気君も愛先輩から『私が他の女の子から告白を受けたらしい』発破をかけられていたらしく、私が他の男の子にとられたくなかったとのこと。

 今となっては、懐かしい話である。


「でもそっか。千陽と元気君が同棲かぁー! 時の流れって早いものだねぇー」


 そうしみじみと感傷に浸る愛先輩。


「なんだか愛先輩、余計におじさん臭いですよ?」

「なっ……もう! そうやって私を年寄り扱いするー!」


 むすっとした様子で、店員が運んできてくれた追加のビールをグビグビ煽る愛先輩。

 ひとまず、佳穂に言われた通り、愛先輩に同棲の件を伝えるというミッションは無事達成した。

 私が胸を撫で下ろしていると、愛先輩がちょいちょいと手招きしてくる。


「どうしました愛先輩?」

「千陽、この後ってちょっと時間あったりする?」

「えっ? まあ、終電前までなら平気ですけど」

「それじゃあさ、ちょっと紹介したい人がいるんだよねぇー。会ってくれる?」

「はい、構いませんけど」

「それじゃ、決まりね!」


 愛先輩は話はそこで終わりというように、再びビールを飲んでいく。

 私に紹介したい人って、いったい誰なんだろう?


 そんなことを思いつつ、しばらく私は愛先輩と他愛のない話で盛り上がるのであった。


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