第7話 迎えた初夜

 夕食を終えて、俺は今、片付けを行っている。

 千陽は、『私がやるよ』と言ってくれたけど、俺は『大丈夫だから』と言って、半ば強引に引き受けた。


「その間に、風呂に入ってきちゃいなよ」


 と提案して、千陽は今お風呂に浸っている。

 同棲生活において、どうしても気を吐かな分ければならない場面というのは出てくるというもの。


 お互いの時間を少しでも確保するには、効率が求められるのだ。

 となれば、千陽に家事を任せっきりにさせる訳にはいなかい。

 俺も出来る範囲のことは、してあげたいと思っているのだ。


 使った食器をスポンジで汚れを落としながら、俺はこの後のことを考えていた。

 それは、これから確実に起こる、睡眠イベントについて。


 家に寝室は一部屋だけしかなく、今日から千陽と同じ部屋で寝ることになっているのだが、部屋の間取り的に、シングルベッド二つ置くことは難しかったので、まさかのダブルベッドを購入してしまったのだ。

 当時は物の置き場など、効率ばかりを重視していたから全く考えていなかったけど、付き合ってから一度も一夜を一緒にすごしたことがない身からしたら、いきなりハードモードすぎる。


「もしかしたら、緊張で寝れないかもなぁ……」


 そしてもう1つの懸念材料はもちろん、千陽が先程言っていた言葉。


「じゃあお楽しみは、もっと夜が更けてからだね」




「やっぱり今日の夜って、そういうことした方がいいのかな?」


 彼女と過ごす、初めての夜。

 同じベッドに横になり、何も起こらないはずがない。

 恐らく、千陽も初めての経験だろうし、彼女を幻滅させたくないという気持ちもある。

 加えて、25歳童貞の俺に、初めての夜を上手くエスコートできる自信はまるでない。


 一応、念には念をと、避妊用品はエチケットとして用意してはいるけど、それを堂々と部屋に置いておくのも、がっついているようで何か違うよと思ってしまう。


「はぁぁぁ……世の中のカップルって、みんなこんな状況を乗り越えてきてるのか」


 正直、俺にとってこの山場は富士山よりも高く、越えられる気がまるでしない。


「まあでも、別にまだそういうことをするって決まったわけじゃないし、平常心を装って、寝るタイミングになったら最悪俺がソファで寝るという選択肢も十分に取れる」


 俺の心は、保身へと走っていた。


「ふぅーさっぱりしたー」


 すると、風呂を終えた千陽が、バスタオルで髪の毛を乾かしながら、リビングへと戻ってくる。

 刹那、ムワッとする湿気と共に、お風呂上がりのシャンプーの香りが、俺の鼻腔をくすぐった。


 初めて見る千陽のラフな寝巻き姿は、モコモコしたピンク色のキャミソールという、可愛らしい格好。

 そして、キャミソール越しから見える、千陽の張り艶のある肌。

 純真無垢な千陽の艶姿を直視してしまい、俺の身体の奥底から、グッと何か熱いものが込み上げてきてしまう。


 俺が千陽の姿に見惚れていると、その視線に気がついた彼女がキョトンと首を傾げてこちらを見つめてくる。


「ん、どうしたの元気?」

「いやっ、なんでもない!」


 慌てて取り繕うと、千陽は訝しむように眉根を寄せて、じぃっと見つめてくる。


「俺ちょっと、荷物の整理してくるわ」


 千陽の視線に耐えられず、俺は逃げるようにしてリビングを後にして、一人寝室へと向かっていってしまう。

 施錠をかけて、千陽が追ってきていないことを音で確かめてから、オレはふぅっと大きく息を吐きながら脱力して床にしゃがみ込む。


「こんなに一々反応してたら、身が持たねぇよ……」


 己の自己の弱さに幻滅しつつ、俺は頭を抱えることしか出来なかった。

 しかし、自分の殻に閉じ籠っていても、就寝イベントは刻一刻と近づいてきている。


「もう、なるようになれ」


 結局俺は、考えるのを止め、判断をその時の自分に委ねることにした。



 ◇◇◇



 リビングへ戻ってから、二人で映画を鑑賞を堪能していた。

 蛍光灯の明かりを薄暗くして、まるで映画館のような雰囲気を演出している。

 俺たちが見ているのは、某有名な男性アイドルたちが歌って踊るアニメ映画。

 千陽の趣味で、学生時代から熱心に応援しているのだ。

 話を聞いているうちに、俺も大体のキャラの名前と顔とどういう性格なのか一致する程度には、覚えてしまったというわけである。


「~♪~♪~♪」


 映画から流れて来るアイドルたちのライブ音楽。

 ライブ会場から響き渡る独特の黄色い歓声。

 その映像を見ながら、千陽はくいくいと俺の袖を掴んで、興奮した様子で画面を指差す。


「ねぇねぇ! 今のとこヤバくない⁉」

「うん、そうだね」


 目をキラキラと輝かせる千陽。

 この調子なら、先ほど言ったことなんて忘れてるかもしれないな。

 安堵する気持ちと共に、少し寂しいような複雑な感情に苛まれた。


 上映が終わり、再生が終わったところで、俺が部屋の明かりをつける。


「ふぅー! 満足したー!」

「それはよかった」


 千陽は満足げな表情を浮かべながら、凝り固まった身体をほぐすようにぐっと伸びをする。


「この後どうしよっか?」


 壁に掛けられている時計を見れば、時刻は夜の二十二時を回ったところ。


「そうだな……」


 とそこで、俺は盛大に大きな欠伸を吐いてしまう。


「あははっ……元気はお眠かな?」

「まあね、引っ越し作業で結構体力使ったから」

「それじゃあ、ちょっと早いけど寝る支度しちゃおっか」

「そうしようか」


 どちらからとでもなく立ち上がり、それぞれ寝る支度に入った。

 俺は洗面所に行って歯を磨き、千陽は寝る前のスキンケアを始める。

 先に寝る支度を終えた俺は、寝室でクリームを塗っている千陽をよそに、ベッドの前で立ち止まり、思案してしまう。

 こういう場合、壁側と床側、どちらに寝た方がいいんだ?


「何してるの?」


 すると、鏡越しに突っ立っている俺が見えたらしい千陽が声を掛けて来る。


「いや……どっち側に寝たらいいんだろうと思って」

「どっちでもいいよー。どうせ抱き合って寝るんだし」

「だ、抱き合って寝るのか⁉」


 普通にお互い仰向けになって寝るんじゃなくて⁉


「えっ? 逆に元気はどうやって寝ようとしてたの?」

「いや、普通に二人横になって寝るだけだと……」

「そんなわけないじゃん。だって……初めての夜なんだよ? いっぱいくっ付いて寝たいもん」

「お、おう……そうか」


 改めてそう口にされると、千陽が甘えるように俺にべったりとくっ付いてくる姿を想像してしまい、変な気を起しかけてしまう。


「よしっ、ケア完了! それじゃ、一緒に寝よ!」

「う、うん……そうしようか」


 心の準備をするまもなく、千陽がささっと俺の元へとやってきて、ぎゅっと腕にしがみついてくる。


「えへへっ……」


 ヤバイ、可愛い。


「とりあえず、寝転がるか」

「うん!」


 俺たちはお互い、ベッドに入り、身体を横に倒す。

 向き合う形になって寝転がり、寝室の明かりを消した。


 真っ暗で何も見えないけど、間近に感じる、千陽の気配。

 その時、ピトっと千陽の腕が俺の胸元辺りに触れてきた。


「お邪魔しまーす」


 そして、千陽はスススっと身体を近づけてきたかと思うと、そのまま真正面から俺に抱き着いてきた。

 俺もゆっくりと千陽の背中に手を回すようにして抱き着き返す。

 千陽の身体の温もりと柔らかい女の子の部分が、密着している所全体に伝わってきて、頭がくらくらしてきてしまう。

 そして、ふわりと香るシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。


 これは……これはヤバイ!

 何がヤバいって、好きな女の子とこんなに高密着したら、色々とドバドバ感情が溢れ出してきて、欲望が我慢できなくなってきてしまう。


「ねぇ……元気」


 俺が一人で焦っていると、千陽が声を掛けて来る。


「ん、どうした?」


 平静を装って答えると、千陽は何度か吐息を吐いてから、躊躇いがちに尋ねてきた。


「さっき言ってたこと……する?」

「えと、さっき言ってたことって?」

「だから……キスよりもっと凄いこと」

「うっ……」


 恥じらっているのに、千陽が積極的なのは、お互いの姿を目視で来ていないからなのだろうか?


「ねぇ、元気。元気は私とシたくないの?」

「えっと……それは……」

「無理しないでいいんだよ? 今まで我慢させちゃった分、元気にはいっぱい尽くしてあげたいって思ってるから」

「千陽……」

「元気……」


 顔色をうかがうことは出来ないけど、千陽は朗らかに微笑んでいるような気がした。

 まるですべてを受け入れてくれる女神のように。


 舞台は整った。

 後は、俺の内なる鎖に結ばれた獣を開放するだけ。

 けれど……その一歩の勇気が、ここまで出てこない。

 俺は何度も呼吸を繰り返し、気持ちを整える。

 そして、俺は意を決してついに――


「ごめん!」


 といって、くるりと寝返りを打ち、千陽と反対方向を向いてしまう。

 我ながら、なんというヘタレなのかと思う。

 けど、俺はこの先、どうしたらいいのか分からないのだ。


「……今日はやめておこっか。無理させてごめんね」


 そう言って、千陽も寝返りを打ち、反対側を向いて眠りについてしまう。


 あぁ……!!!!!!!

 俺はなんてバカなことを!!!!


 同棲生活始めての初夜。

 俺のヘタレにより、一線を越えることは出来ませんでした。


 しかし、これをきっかけに、俺達の関係性は大きく進展することになるとは、この時の俺はまだ知らない。


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