第6話 千陽の色仕掛け
風呂から上がり、脱衣所で着替えを済ませて、リビングへ向かうと、テーブルの上には、器に入った出来立てのお蕎麦が置かれていた。
「あっ、ちょうど出てきた! タイミングバッチシ!」
そう言いながら、エプロン姿の千陽が、タッタッタっとこちらへ駆け寄ってきて、そのままぎゅっと抱き着いてくる。
俺の彼女が、こんなに積極的なわけがない。
突然の変わりように戸惑いを覚えつつも、彼女の期待に応えるようにして、俺は背中に手を回した。
「ん?」
すると、俺は妙な違和感に襲われる。
背中に手を回してみると、物凄いスベスベとした感触が伝わってくるのだ。
それに、先ほどから密着している前面も、随分と柔らかい感触がするような……。
ちらりと千陽に視線を向けると、俺はとんでもないものを目の当たりにしてしまう。
なんとエプロンの肩回りの布越しから、地肌がこれでもかと露出しているのだ。
「なっ……何してんだよ千陽⁉」
「何って、裸エプロンだよ!」
当然のように言ってのける彼女に対して、俺は大混乱。
「もう、乙女がそんな簡単に肌を露出させるものではありません! ほら、いいから早く服を着てきなさい!」
「でもこの方が、元気も嬉しいでしょ?」
千陽は俺の元から離れて、ぺろりと肩口を捲ってみせる。
「うっ……そ、それは……」
「それとも、私の裸なんて、興味ない?」
「いや、興味ないってことはないけど……今はタイミングじゃないと言いますか」
「じゃあ、いつならいいの?」
キョトンと首を傾げながら尋ねて来る千陽。
それに対して俺は、視線を泳がせながら答える。
「まっ、まあ……寝るときになったベッドの上なら」
何言っちゃってんの俺⁉
自分のとんでもない発言を後悔しつつ、恐る恐る千陽の様子を窺ってみると……。
「そっか。じゃあお楽しみは、もっと夜が更けてからだね」
そう冗談めかしたように言って、小悪魔的な笑みを浮かべていた。
「それじゃ、着替えて来るから、椅子に座ってちょっとだけ待っててねー」
千陽はそう言うと、寝室へと向かっていき、着替えに行ってしまう。
どこか大人の余裕さえ感じられる千陽の態度に、俺は面食らってしまうのであった。
◇◇◇
「お待たせー」
千陽が衣服を着直して戻ってくると、先ほどのことが嘘のようにけろっとしていた。
俺はいまだに、心臓がバクバクと早鐘を打っているというのに……。
「それじゃ、食べちゃおっか」
「う、うん、そうだね」
視線をテーブルに向けると、用意されていたのは引っ越しそばだった。
しょうゆベースのつゆに、ネギにショウガ、海老天が載せられたシンプルでも見栄えが良く、食欲をそそられる。
「ありがとう作ってくれて! すごくおいしそうだよ」
「出来合いになっちゃってごめんね。もうちょっと豪勢に作れれば良かったんだけど」
「いやいや、これだけでも十分すぎるぐらいだよ! ほら、冷めないうちに食べちゃおうぜ」
「うん、そうだね」
千陽は向かい側の椅子に腰かけると、俺と目配せしながら手を顔の前で合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
お互いにいただきますの挨拶をしてから、お箸を手に持ち、麺を掬い上げる。
フーッ、フーッっと数回冷ましてから、ズズズっとそばを啜っていく。
口に入れた途端、麺に絡み合ったつゆがぶわっと口の中へと広がり、さっぱりかつ香ばしい香りが全体に広がる。
「うん、凄く美味しいよ」
「本当に? よかったぁー」
千陽は安堵したようにほっと胸を撫で下ろす。
「ほら、なんだかんだで、こうして元気に出来立ての料理を振舞うのって初めてでしょ? だからすごく緊張してたの」
「あー……言われてみればそうか」
デートでお弁当を作って来てくれたり、バレンタインやクリスマスに手作りのお菓子をプレゼントしてもらったことはあったけど、こうして千陽が作ってくれた料理を出来立てで食べるのは初めてのこと。
だから、千陽も俺の口に合うか心配だったのだろう。
もちろんの味もピカイチ美味しいのだけど、それよりも、俺のために丹精込めて料理を作ってくれたという事実が何よりも嬉しくて、思わず感極まってしまった。
「本当にありがとう。これからこんなに美味しい料理が食べられるのかと思うと、幸せで胸がはじけちゃいそうだよ」
「もう、なにそれ……元気は相変わらず褒め上手なんだから」
とは言いつつも、千陽は嬉しそうに頬に手を当て、にやにやとにやけている。
あぁ……こんなに幸せな顔が拝めるのであれば、毎日のように早く仕事から帰ってきて、千陽の手料理を食べたい。
そんな欲求に駆られる。
「それじゃ、私もいただきます」
安心したのか、千陽もようやくお箸を手に持ち、髪をかき分けながらフーフーっとそばを冷ますして、チュルチュルっとそばを小さな口で啜っていく。
所作が艶めかしくて、見てはいけないようなものを見ているような気分になってしまい、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
「うん……美味しい!」
自分のそばの出来栄えに、満足そうな表情を浮かべる千陽。
その笑顔を見ていると、千陽のことがさらに愛おしく思えて、ほっこりさせられてしまうから不思議なものである。
そんな様子を眺めていると、千陽がごくりとそばを込み終え、ちらりとこちらを見つめてきた。
「どうしたの?」
「あっ、いや、何でもない」
そう言って、俺は誤魔化すようにしてそばを再び啜った。
すると、千陽がはっと何かを思い出した様子で、にやりと笑みを浮かべた。
「あーっ……もしかして、夜の事期待してたんでしょ?」
「ぶーっ」
唐突な千陽の発言に、そばが変なところに入ってしまい、俺はゲホゲホとむせてしまう。
「大丈夫? はい、お水」
千陽からお水を受け取り、俺は慌ててそれをグビグビと飲み干して、そばを無理やり飲み込んだ。
「ぶはぁっ……。きゅ、急に何言いだすんだよ全くもう……」
「だって、さっきから元気、凄い熱い視線でこっち見て来るから」
千陽は身体をもじもじとさせ、恥じらうように頬を染めながらこちらを見つめて来る。
まあ、頭の片隅ぐらいにはあったけど、四六時中そんなことを主に考えていたら、身が持たなくなってしまう。
「違うよ。ただ俺は、千陽が食べてる姿を見ててほっこりしてただけでだっての」
「もう……女の子が食べてるところをマジマジ観察するなんて、エッチだぞ?」
「えぇい、うるさいわい!」
「あははっ!」
それから、千陽に何度かからかわれつつも、俺たちは他愛のない会話を交わしているうちに、普段の和やかな雰囲気へと戻っていき、楽しい夕食の時間を過ごすのであった。
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