星に願いを
7月1日。
ガッ!
顎に衝撃が走る。先輩のアッパーがクリーンヒットしたんだと分かった時には、アタシはリングに倒れこんでいた。
「ストップ!そこまでッ!」
顧問の先生がスパーリングを止めた。……もっとも、止められなかったとしても、テンカウント以内に立つのは無理だったろうけど。
先生がスパーリングの結果を踏まえいろいろアドバイスしてくるけど、アタシの目は先輩の姿に釘付けだった。
マジックテープ式の練習用グローブを外し、ヘッドギアを取ると、きれいな黒髪がフワリと広がる。本当に美しすぎて、現実というよりも、一流監督による映画の一場面のようだ。
「……い。おいッ!聞いてるのか!?」
先生が顔をしかめて怒鳴る。
「ハッハイ!聞いてます!」
「まったく……。おまえは……。その練習熱心さが、あいつが引退した後も続けばいいんだが」
……そう、先輩はこの夏で部活を引退する。運動部にとっては普通のこと。
だからこそ、アタシのスパーに付き合ってもくれてるわけで。……だから、今日は“勝ちたかった”。スパーは勝ち負けを測るもんじゃないのは承知の上だけど。それでも、勝ちたかった。
「あれならインターハイ、十分狙えると思うよ」
日も落ちた帰り道、先輩がそう言った。梅雨の雲が空にはまだ居座っており、月の光が差さない夜道に、先輩の表情は読めなかった。
「……あざっす」
「まぁ、わたしの保障じゃ心許ないかもねー」
「いえ、そんな」
先輩はインターハイを逃している。
僅差での判定負けだった。本人は務めて気にしていない風に見せているけれど。
入学時の部活紹介で、試合やっているところのビデオを見せられた時から先輩はアタシの憧れになった。それは、インターハイ出場をかけた試合が終わった後、嗚咽を漏らしているところに鉢合わせた時も変わらなかった。
変わったとすれば、先輩に対する想いが単なる憧れだけではなく、愛おしさを含んだ物狂おしいものだと気付いたことだろうか。
先輩に勝ちたいというのはそのことを伝えられないゆえの、代償行為なのではないかと、ふと思う。
先輩に勝って、その思いも背負ってインターハイに臨みたいというのも嘘ではないと思うけど。
「ねぇ、七夕って予定空いてる?」
街灯の下、先輩がこちらに顔を向けて問いかけてきた。
「え……!?あ、はい、空いてます」
「じゃあ、夜8時に。校門前に集合ね」
7月7日。
浴衣を着ていくべきか、前日になって悩み始めたが、そもそも買っていないのだから、いまさら間に合わないと気付いたのが当日の朝。余所行きの夏服なんてそんなに持っていないもんだから、結局、Tシャツにスカートと言ったところに落ち着いた。
でも、校門に付くと、先輩もTシャツにジーンズ姿で、ホッとした。
てっきり神社の七夕祭りに行くのかと思ったが、先輩は学校の敷地の裏手に回ると、低いフェンスをよじ登り、敷地内に侵入する。
「ほら、早く!」
フェンスの上から先輩に手を引かれ、アタシも不法侵入してしまう。
着いたところは部室だった。開けっ放しになっていた窓から侵入すると、今日になってようやく晴れた空から差し込む月光で、リングが薄ぼんやりと浮かび上がった。
先輩はグローブを出してくると言った。
「じゃ、やろうか」
「……え!……なにを、スか?」
分かってる。本当は分かってる。でも、あまりにも自分の望み通りすぎて、まったく信じることが出来ない。だからアタシは先輩の答えを待つ。
「……一度、防具なしで、どっちかがK.O.されるまで闘ってみたかったんだ、わたし。……付き合ってくれない?」
夢ではないか。そう一瞬思う。わたしも先輩と、どちらかが倒れるまで、殴り合いたかったのだから。
たぶん、先輩はアタシに特別な想いがあるわけじゃないんだろう。あのとき、あの試合がプロみたいな殴り合いだったらK.O.勝利でインターハイに進めたと自負しているから、その証明がしたいのだろう。
それでもかまわない。……アタシの想いは、リングの上で伝えればいい。
「夢みたいっス……。星に願いをかけたら叶ったんですから」
グローブをはめ、マウスピースを入れて、リングに上がったアタシはボソッと呟く。
「え?昨日まで星は出てなかったじゃん」
思ったより、声が響いたみたいで、ゴムで黒髪をポニーテールにした先輩が不思議そうな声を上げてくる。
あァ、まさか言えない。6日前、アッパーで倒されたときに「もっともっと先輩と闘いたい」と、目から散った星に願ったとは。
ビィーッ!
タイマーが死闘の開始を告げた。
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