自撮り
コンクリート打ちっぱなしの寒々とした部屋。ロッカーに囲まれた一角、異音を立てる蛍光灯の下、少女はベンチに座ったままスマホを片手に逡巡していたが、意を決すると、そのスマホを高々と上げた。
カシャリ
一拍遅れてシャッター音がする。
まもなく、その自撮り写真は、メッセージアプリにアップロードされた。「ミキ」という友人あてである。この二人の間で最後にメッセージが送り合われてからまだ24時間たっていないくらいだろう。「明日(つまり今日)はお互いにアルバイトがあるので遊べない」というのが最後にかわされた会話の要約だ。
だが、そんな普通の会話の次に割り込んできた少女からの写真は異様な物だった。
殺風景な背景、やや緊張した笑顔。これらはまだ言い訳が効くだろう。しかし異様なのは少女の服装だった。身に着けているのは星条旗柄の悪趣味なトランクス。……ただそれだけだった。
胸を隠す物は少女の右腕しかない。その右腕にはバンテージが巻かれており、よく見るとベンチの上には派手な水色のボクシンググローブがある。
ピコンと写真の横に既読マークが付いた。
『ごめんね、ミキ、びっくりしたでしょ』
少女はスマホを操作し、メッセージを送る。
少女の目には不安が浮かんでいる。それは後ろ暗い秘密を明かす者の不安。拒絶への恐れだ。
『実はこれがわたしのバイトなの!わたしは地下ボクシングの選手なんだよ~』
文面にはその不安を出さないように少女は心がけている。
アニメキャラがサンドバッグを殴っている絵文字が末尾を飾る。
少女が操るスマホも地下ボクシングの報奨金で買ったものだった。
少女の家はあまり裕福ではなく、彼女の学費を出すのが精一杯であった。そして「生活水準が低い」という異端はスクールカーストの不可触民となるに十分な理由となった。
バイトを掛け持ちしていた少女はある時、地下ボクシングのスカウトに声をかけられ……異様な世界で見世物となる見返りに、表の世界で人並みに振る舞えるだけの資金を得た。
だが、そのころにはすでに少女が真人間として扱われる余地は学校にはなかった。
急に金回りがよくなった少女に対し、周囲は別の理由を付けて――つまり風俗がどうのこうの――不可触民カーストのまま、遠巻きにして関わらなかった。
ミキはそんなとき出会った相手だった。
私立校の生徒で、少女の水準からすれば雲の上ともいえるようなお嬢様だったが、
ゲームセンターで出会った彼女は明るく快活で、そして気さくに話しかけてきた。
まるで太陽のような彼女との付き合いは少女の心をほぐすとともに、次第に後ろめたさを募らせていった。少女はミキにこれ以上隠し事をしているわけにはいかないと感じ、地下ボクシングのことを告白すると決意した。
『そんなわけで、今日はこれから試合で~す!』
メッセージには既読が付いていくが、ミキからの反応は未だ無い。少女の顔に不安の影が落ちる。
『今日はメインイベントを任せてもらえたんだ!!対戦相手はわかんないんだけど、勝ったらファイトマネーがガッポガッポ』
目がドルマークになっている顔文字を送り、少女は深呼吸をする。
ピコン。既読が付くが、ミキからの反応は帰ってこない。
少女は再び文字を入力していく。
『上位ランカーらしいから勝てるかちょっと不安なんだー。でも、ミキが応援してくれるなら負ける気がしない』
顔文字を入力し、一度文章を切る。
そして少女はその続きを入力する。
『だから、こころの中で、わたしの勝利を祈ってくれても』
いいかなー?と書かれたサングラスをかけた男性タレントのスタンプが送信される。
既読が付く。少女は待つ。ミキからの反応を。
しばらく後、返信が帰ってきた。
『ごめん、無理』
少女の目が絶望に染まる。
ピコン!
新たなメッセージの到来を告げる軽快な音とともに、少女の目は、表情は、驚きに満たされた。
そこには一枚の写真があった。ここと同じような殺風景な部屋を背景に、ピンクのボクシンググローブをつけ、トランクスとリングシューズのみの姿で立つミキが写っている。
『だってわたしがその対戦相手なんだもん』
続くメッセージには、刺激を求めたミキが一人暮らしを機に、地下ボクシングの世界へ身を投じたことが綴られていた。
『そんなわけで、そろそろグローブ付け直さないとだから、続きはあとで』
『じゃなくてリングで、かな?』
アニメキャラが「まけないよー」と目に炎を燃やしているスタンプが送られてくる。
『こっちこそ!』
「ぼこぼこにしてやんよ」としゃべるハムスターのスタンプを送り、少女は既読が付く音を聞きながらグローブを付ける。
スタッフに呼ばれリングに向かう少女の顔は晴れやかだった。
約一時間後、新たな写真が投稿された。
顔面を腫らし、体中痣だらけになった二人の少女が肩を抱き合って満面の笑みを浮かべている写真で、「Winner!」「Loser…」の文字が描きこまれていた。
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